02


「私、生徒だけじゃなくて先生方のメンタルヘルスに取り組もうと思うんです」
「まあ、それはとてもいい考えね!」

保健室の椅子に腰かけた綺麗な女性。
頭の両サイドにチャームポイントである蝶の髪飾りを付け、艶やかな長い髪はストレート。
彼女は生物教師の胡蝶カナエ、この学園のOBというだけあって、学園の事には詳しい。
この学園の生徒・教師のメンタルヘルスマネジメントを取り組むためには、意見を仰ごうと決め、
まず相談したのが彼女だった。
彼女は私の話を楽しそうに相槌を打って聞いてくれ、そして最後には拍手をして「いいと思うわ!」と喜んでくれた。

「生徒の事は勿論、私達教師の事まで考えてくれるなんて、素晴らしい保健師さんね」
「…い、いえ、そんな大層な事でもないですよ。ちょっと気になる人がいたので…」

褒められ慣れていない私は苦笑いを零した。
事実、冨岡先生の事がなければ一つも考えなかった。
決して褒められるような人間ではない。

「そんな事ないわ。それよりも気になる人って、冨岡先生の事?」
「どうしてわかったんですか?」

ふふふ、と可愛らしい笑みを見せる胡蝶先生。
口元をこれまたお上品に手で押さえ「あの人くらいしか思いつかないんだもの」と呟く。

「PTAから苦情が来ているのも冨岡先生だから、もしかしたらって」
「えっ!? PTAから苦情が来ているんですか!?」
「そうなの」

何故笑っていられるのかわからないけど、変わらない笑みを見せる胡蝶先生。
何でもスパルタ的指導の所為で、保護者からクレームの嵐だとか。
あの冨岡先生が?ボッチなのに?

「でも、こうして教師の相談窓口になってくれるだけで、嬉しいわ。昨今、何があるかわからないもの」
「そうですよね。でも、皆さん悩み事なんてあるんでしょうか…悩み事とは無縁のような方ばかりですけど」
「そんな事ないわ。…そうねぇ、例えば不死川先生も兄弟仲で偶に怖い顔しているときがあるし」
「不死川先生はいつも怖い顔してますけど…」

考え込むように胡蝶先生が顎に手を当てる。
私の頭の中にある数学教師の不死川先生の表情は、いつも不機嫌そうで近寄るだけで殺されそうだ。
そんな不死川先生も家族の悩みがあるんだろうか。
まあ、ケンカはしそうだけどさ。
確か、弟さんがこの学園にいたよね。

「他の先生方にも宣伝しておくわ。きっとみんな相談したい事、山盛りあると思うの」
「や、山盛りはちょっと困りますけど有難うございます。…それにしても遅いなぁ」
「遅い?」
「えぇ。もう昼休みも半分過ぎましたよね」

時計をチラリと見つつ、私はため息を吐いた。
不思議そうな顔をした胡蝶先生が首を傾げる。
実は…と昨日無理やり冨岡先生とお昼を一緒に食べる約束をした事を話す私。
それを聞いて、更に胡蝶先生の目がキラキラと輝く。
両手をパンと叩いて「素敵ね!」と笑う姿に戸惑いを隠せない。
自分で言うのもなんだけど、そこまでいい案ではないような気もしなくもない。

「冨岡先生はシャイだから、恥ずかしいのよ。きっともう少ししたらここへやってくるわ」
「そうでしょうか。約束をブッチされてしまうかもしれませんよ…」
「いいえ、冨岡先生はボッチだけど、約束はブッチしたりしないと思う」
「それ、シャレですか?」

ふふふ、とニコニコ笑う胡蝶先生。
綺麗な人だけど、どこか別次元に住んでいるような人だ。

「冨岡先生が来るなら、私はそろそろお暇しましょうか。生徒にも苗字先生の事、話しておきますから」
「有難うございます。そう言えば、胡蝶先生の妹さんもこの学園にいらっしゃるんでしたっけ」
「そうなの。可愛い妹が二人。今度、是非華道部にきてね。しのぶもいると思うし」
「是非、遊びに行かせてもらいます。今日は、突然お呼びしてすみません」

保健室のドアまでお見送りをすると、胡蝶先生が私に向かって小さく手を振ってくれた。
ああ、可愛い。在学中は学園の三大美女に選ばれていたんだよね。
そりゃ選ばれるだろうし、胡蝶先生とよくお話をしている不死川先生には脅迫状が送られるとかなんとか。
私も同じように手を振ると、廊下に出た胡蝶先生が、何かに気付いた。


「あら? 丁度良かった」


そう言いうと、私を見て「ランチを楽しんでね」とウィンクを一つ飛ばして行ってしまった。
胡蝶先生とすれ違い、ドアの前にやってきたのは、難しい顔をした冨岡先生だ。
手にはぶどうパンと牛乳の紙パック。
ちゃんと約束通り、保健室へやってきてくれた!
私は嬉しくて「冨岡先生!」と声を上げてしまう。

「遅くなってすまない」
「いいんです、どうぞ、中へ」

先程まで胡蝶先生が座っていた場所を勧め、私はその向かいに腰を下ろす。
冨岡先生が来るまで待っていたので、私もいただきます、と手を合せて自分のお弁当を広げ始めた。

「胡蝶が来ていたのか」
「ええ。昨日の事、ご相談してました」
「…そうか」

ガサゴソと冨岡先生がぶどうパンの包装を破る。
そしてパクリ、と険しい顔で口に含んだ。
私は自分のお箸を取り出したまま、それを見ていた。

「何だ」
「…いえ、なんか難しい顔で食べてらっしゃるなーと。パン、美味しくないんですか?」
「そういうわけではない。特に深い意味はない」
「あぁ、癖になってるんですね」

そんな怖い顔で食べていたら、ボッチだけじゃなくて、怖い人だと思われてしまう。
いきなり笑顔で食べろとは言わないけど、もう少し表情を緩める事はできないだろうか。
うーんと、首を傾げつつ、お弁当の卵焼きを食べた。

「冨岡先生、何か楽しいお話をしましょう。そうすればそんな怖い顔しないと思います」
「…怖い顔になっているか」
「不死川先生ほどではないですけど…」

正直に言うと、冨岡先生が少しショックを受けた顔をした。
気付いていなかったのか。
そちらの方がびっくりだ。

「冨岡先生の好きな食べ物は何ですか?」
「食べ物…」
「ほら、甘いモノ〜とか、辛いモノ〜とか」

私の話題はそんなに悩ましいのか。
冨岡先生は無表情で固まってしまった。
そんなに難しい話をしたわけじゃないんだけど、もしかして好きな食べ物なんてないとか?
どうしようかな、なんて頭の奥底で考えていた時、やっと冨岡先生の口が開いた。



「鮭大根」



小さい声でぽつりと呟いたそれを、私は聞き逃さなかった。

「鮭大根、お好きなんですね。大根に味がしみてるの、私も好きですよ」
「…あぁ」

冨岡先生に笑いかけながらそう言うと、少しだけ、ほんの少しだけ、冨岡先生の口元が緩んだ気がした。
そう、それ! 冨岡先生、その感じです!

私はちょっとだけ嬉しくなって、何とかこの先もやっていけそうな気がした。


笑うとどんな顔するんだろう。

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