「我妻が好きなのは禰豆子ちゃんでしょ。冗談言っても通じないよ」


そう言って好きな女に振られたのはかれこれ三年前だったか。
元々お酒には弱い事は知っていたし、大学の卒業前にみんなで飲みに行った矢先、調子に乗って潰れる所までは予想していた。
だから、俺が介抱したついでに、あわよくば告白でもしてお酒の力でOKを貰おうと思った、それだけ。
そんな邪な思いはあっさり打ち砕かれてしまったが。

確かに禰豆子ちゃんの事は好きだった。
まだ高校生の時、ずっと彼女を追いかけていた。
それを見てケラケラ笑っていた名前を気になりだしたのは、高校の卒業前。
大学も同じところだったから、気にせずこれから時間を掛けて落とせばいいと、呑気にしていたのが悪かったのだろうか。
仲は良かった。友達として。
でもそれ以上は進展せず。
いよいよ皆の進路が決まり始めて、卒業すれば中々会えなくなる、という瀬戸際になって告白する勇気を持った。

帰る方向は違うけれど、ふらふらしている名前を送る途中。
やっと口にした「好きだ」という言葉は冒頭の台詞によってあっけなく砕け散った。
よく考えればそうだ、高校の時あれだけ「禰豆子ちゃんが好きだ、可愛い」と連呼していた。
それを知っている名前には、どれだけ俺の気持ちを伝えても冗談にしか聞こえないんだろう。
名前に俺への気持ちがない事を知った俺はそのまま送り狼になることもなく。
後日お礼の電話がかかって来たけれど、酒の所為で全く覚えてないときた。
こちらとしては都合がいいような、悪いような。
三年と言う月日の中、名前の事を忘れるために過ごして来た。

たまたま仕事帰り。
最近よく行くようになった居酒屋に顔を出した時、カウンターで腐ってる女を見て心臓が跳ねた。
昔と変わらず話しかけてくる名前。
それとなく探りを入れると、相手はいないようだった。
一度諦めた想いが燻っているのを感じる。
このチャンスを逃すまいと自宅へ誘った。

吃驚する事に、名前はのこのこついてきた。
警戒心というものが欠如しているのか、それとも俺相手だからなのかと悶々と考えて複雑だった。
家についても相変わらず酒、酒、酒。
流暢に零していた愚痴が段々呂律が回らなくなり、そして瞼がどんどん下がっている事に気付いた。
三年前と同じ。
飲み過ぎるとこのまま記憶がぶっ飛ぶ。
それを知っていて、俺は名前を帰すことなく、自宅に泊めた。

自分の布団に転がせ、「皺になるからジャケットを脱げば」と言うと、ジャケットどころか下着姿になるまで脱ぎ捨て、俺の布団に潜り込む。
そして赤らんだ顔と潤んだ瞳で「我妻も一緒に寝よ…?」と言われれば、我慢できる男はいないと思う。
自分の上半身に纏っていた服を脱いで、名前の上に。
そのまま可愛らしい口に口づけを落とし、さわさわと身体に手を這わせた。

が、口づけの途中。
明らかに反応のなくなった名前。
そして、固く閉じられた瞼。
微かに聞こえる寝息。

は、はああああッッ!???

寝やがった、コイツ、寝やがった!!

「マジで…ふざけんな」

人の気も知らないでぐーすかと寝息を立てる女に対するいら立ちなのか。
それとも、酒に溺れた女を襲おうとした自分に対する情けなさなのか。
良く分からない感情でぐちゃぐちゃになる。

寝ている相手を襲う程、俺はまだ腐ってないらしい。
そのまま諦めて彼女の横に転がった。
ただ、寝顔は可愛かった。


いつの間にか寝ていたが、名前がドタバタする音で目が覚めた。
何かいいように勘違いしているようだったので、昨日の腹いせに俺も勘違いを助長させてやる。
絶対初めてだろ、と思ってカマをかけたらそうだったらしい。
こっそり胸の内で喜ぶ。

そっから色々あって、俺は名前と体のお付き合いをすることになった。
…いや、した事はないけれど。
俺にとっては願ったりかなったり。
諦めてた女が餌を垂らしてそこにいるんだから。
名前は嫌そうだったけれど、無理やり約束させた。
今思えば普通に告白すればよかっただけなんだけど。

暫く名前の家に通うようになり、まるで同棲しているカップルのような落ち着く時間だった。
このまま過ごしていれば、いつかは本当に付き合えるんじゃないかって思った。
それぐらい居心地のいい空間だった。



「さっさと良い人見つけてよ。そしたら、私、あんたとお友達に戻れるんだからさ」



そんな俺の気持ちを知らないで、名前が言う。
三年前に言われたセリフと相まって、俺は目の前が真っ暗になる。
俺、本当にコイツに何とも思われてないんだ。
そう認識した時には、体が勝手に動いていた。

少しは意識してくれていると、音を聞いて思っていた。
でも彼女はそうはなりたくなかったらしい。

嫌がる彼女の唇を奪い、そのままベッドへ。
彼女が泣いても完全に止まる事なんて出来ない。

と思っていた。

彼女が泣きながら「ごめん、嫌だ」と言った時。
俺の手は止まった。


好きだ、好きだ。
ずっと好きだった。
だけど、伝わらない。

むしろ嫌われ始めている。

嫌われてもいいなんて脳筋でいればよかったけれど。
最後の良心が俺を止めた。



逃げるように名前の家を出て、俺は久しぶりに自宅で飯を食べた。
情けない事に涙まで出てきた。
いい年の男が泣くなんて情けない。
学生の時みたいにびえんびえん泣いているわけじゃないからいいだろうと自分に言い聞かせて、一晩泣いた。



そしてなんやかんや。
俺はこの面倒な場に座っている。
目の前の眼鏡の大人しそうな女の子は、上目遣いで俺に可愛らしく話しかけてくる。
大人しい容姿、立ち振る舞いだけど俺は知ってる。
音がそりゃもう夜中に道路を爆走する暴走族ですか、っていうくらい暴れ回っているのを。
結局人は見た目によらない。

適当に相槌を打って、にこにこしておけばいいんだろう。
相手が飽きるのを待って、たまにちらりと端に座ってる女を見る。
誰が着せたのかわからないけれど、良く似合ったガーリーな服。
メイクだっていつもとは違う。
可愛い。

人に刺さりそうなくらい鋭くこちらを見ていた癖に、ヤツが話しかけると自然をにこにこし始めた。
ヤツも、隣のコイツも悪い奴ではない。
この場に誘う時も俺の愚痴を聞いて「まさか告白も出来ない成人男性が存在するなんて」と嘆かれた。
それを聞いてなお、この場に来てくれたのだから、仲を取り持ってくれるかなんかしてくれるのかと思っていたけど、
全然そんな事ない。
普通に仲良さげに喋ってくれている。
ふざけんな。お前。
ただでさえ、今日の名前可愛いんだよ、余計な事すんな。


今にも殴り込みに行きたいくらい、イライラしていた。
名前があまりに無防備に笑ってるから、余計に。
最近はそんなに連絡していなかったけれど、テーブルの下でスマホをいじる。


『鼻毛出てる』


イライラしすぎて訳わからん内容になったけど、
怒りのまま飛ばした。
すぐに気付いて何か反応すればいい、と思った。
ちなみに別に鼻毛は出てない。

なのに、名前は気付く事なく。
つーか無視しているのかもしれないけど、そのまま仲良く奴と連絡先まで交換する始末。
意味わかんねぇ。
お前、俺が連れてきたんだから空気読めよ。

呪詛的な意味を込めた視線を奴に送ると、奴はウィンクを飛ばしてくる。
おい、ふざけんなよ。
わかっててやってるだろ。


追撃するようにどんどんメッセージを送る。

『ソイツ、実は彼女いるぞ』
『結婚詐欺師』
『酒飲みすぎ』
『顔、緩んでる』
『目が据わってる』
『フラフラしてるぞ』
『おい』
『気付けよ』

どれだけメッセージを送っても、酒というポーションを手に入れた名前には効かなかったようだ。

挙句の果てにはフラフラしてトイレに行くとか言って立ち上がるけれど、案の定倒れそうになってる。
それを奴が颯爽を抱き留める。
くそが、死ねお前。
結局奴がトイレに連れて行くらしくそのまま仲良く個室から出て行きやがった。

『酔い醒ませ』
『自分で歩け』
『早く戻って来い』
『気付け』
『聞いてんの?』
『ねえ』

相変わらず返事は帰って来ないし、既読までつかない。
奴にも名前にもイライラする。

「我妻さん…?どうしたんですか?」

あぁ、何ちゃんだっけ。
目の前の女の子が首を傾げてこっちを見ていた。
何でもなかった顔をして「何でもない」と答えると、ぱあっと顔が明るくなる。

奴らが個室を出て行って結構な時間が経った。
ふざけんな、トイレまでそんな険しい道のりだったのかよ。

そんな事を考えていたら、マナーモードにしていたスマホがブルブルと震える。
やっと返事が返ってきたのかと、慌ててスマホを見たけれど予想していた人物からではなくて、
忌々しい奴からだった。



『迎えに来て』



誰を、とは書かれていなかった。
だけど、俺はそれを目にしてすぐに立ち上がり、横で「どこいくんですか?」と尋ねる女の子を置いて個室を飛び出していた。



―――――――――――


「何これ。なんで名前が寝てるわけ?」
「眠たくなっちゃったらしいよ」


慌てて飛び出しトイレに到着した俺は、トイレの前で寝息を立てている名前とその横で困った顔で座っている奴を発見した。
まあ、あれだけ酒飲んでいたら寝るだろう。
過去のやらかしから考えて十分にあり得る話だ。

「お前、何もしてねぇだろうな」

ギロリとヤツを睨むと爽やかな笑みのまま「我妻と一緒にすんなよー」と呟く。
俺だって寝ている相手に手を出してないから!

「じゃあ、後はお願いね。俺は我妻が抜けた席に座るからさ」

すっと奴が立ち上がり、ひらひらと手を振って元来た道へ歩いていく。
すれ違いざまに「サンキュー」とだけ言うと、背中から「今度奢れな」と聞こえた。


奴の座っていた場所より、すこし名前側に詰めて腰を下ろした。
久しぶりにこんなに近くに来た気がする。

「ん…」

思わず聞こえた寝息にびくんと体が跳ねた。
壁にもたれていた体がぐらついている。
倒れても困るので、そっと肩を掴んで俺の方に傾けさせた。

ちょこんと俺の肩に名前の頭が乗る。
なんかちょっといい匂いもする。
思わずドキドキしてしまった。

ポケットからスマホを取り出して、未読スルーされている相手に更にメッセージを送る。

『何でそんな可愛い服着てるの』

誰に見せようとしてたの。
もしかして、本当に彼氏作りにきた、とか。
そうじゃないといいな。
俺に、見せるためだったら嬉しいのに。

『何でずっと俺のこと見てたの』

穴が開くほど見てた。
まあ、俺も気付かれないくらいには見てた。

『なんで』

ポン、と送信ボタンを押す。


『俺のこと、好きになってくれないの』


横で寝ている名前のポケットからバイブ音がする。

ずっと、好きだ。
三年、いや…もっと前から。
だから、こっち見てよ。


『俺は、名前が好きだよ』


最後にそれを送信して、俺は髪を片手でかき上げた。

その振動が伝わったのか、名前の頭が微かに揺れる。
一寸も置かないうちに、名前は目覚めたようだ。
謝罪しながら俺の肩から頭を退けて、ベンチの前に背中を向けたまま立ち上がった。
どうやら酔いは醒めたらしい。


「どうしたの、ほら、行こ…」


そう言って振り返った目が、大きく見開かれる。
そりゃそうだろう、予想していた人物と違う人物がいるんだから。
え?とかは?とか聞こえる。
そのまま固まってしまった名前に俺は気まずくて顔を逸らした。

「あ、我妻?」
「よぉ」

恐る恐る視線を合わせて言う。

さあ、覚悟を決めろ、俺。


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