我妻の一言に私の眉間に皺が寄った。
私の顔を見て我妻も口を閉じればいいのに、そのまま続ける我妻。

「そんな怖い顔すんなよ。名前と俺の願望の間を取るとそう言う事になるでしょ?」
「私の言ってる友達って、そういう意味じゃない!!」
「怒るなって」

吃驚するほど大きな声が出た。
さっきまでどん底で声を出すのもしんどかったのに、怒りって凄い。
私が本気で怒っているのを見ても我妻はへらへらしている。
さらにイライラしてしまうけど、コイツの調子に乗ってしまうと、私が疲れてしまう。
自分を落ち着かせるため、胸に手を当ててすうっと息を吸った。

「まあ、そんなに深く考えるなよ。さっき言ったように、お互い相手がいないんだし? どっちかに相手が出来れば、この関係は解消って事でいいじゃん」
「アンタは良くても、私は全然良くない」
「だったら、縁を切るしかないんじゃないの。終わった事は無かったことには出来ないから」

我妻に縁を切る、と言われてハッとする。
最近は連絡を取り合っていなかったとはいえ、我妻とはいい友達だった。
大切な友達だ。そんなコイツとさっさと縁を切る、なんて馬鹿だと罵られてしまうかもしれないけど、
私には選択できない決断だった。
優柔不断もいいところだけど。コイツが本当に良い奴だっていうことを知っているからだ。



「…分かった」



良くはない。
でも、私の数少ない友達をこれ以上、減らしたくない。
それに我妻は良い奴だ。奴が本気を出せばきっとすぐに彼女の一人や二人出来るだろう。
私はそれでお役御免、さっさと元の友達に戻ればいい。

私の返事を聞いた我妻は、さっとソファから立ち上がり台所へ歩いていく。
何をするつもりなのか分からなくて、私はぽかんとその様子を見ていた。

「名前さ、昨日何か食べた?」
「…水」
「それ、飲み物だし。何も食べてないだろ。ずーっと腹が鳴ってんだよ」
「えっ!」

我妻の言葉で私は慌ててお腹を押さえる。
それをニヤニヤした様子で見る我妻。
こいつ、本当に耳が良いんだよね。

「朝ごはんのつもりで適当に買ってきたから、なんか作ってやるよ。名前は座ってな」

財布しか目に入ってなかったけど、そう言えば我妻はビニール袋を提げてきていたな。
足元に転がっている袋に目をやりつつ、私はお言葉に甘える事にした。
お腹が空いてあまり動きたくもないし。
慣れた手つきで調理を進める我妻を見つつ、私はテーブルの上を片付ける。
自炊しているんだなぁ、じゃないとこんなに手際よくしないだろうし。
私も一応自炊はするけど、最近は帰宅時間が遅くてどうしても買って済ます事が多くなった。

「目玉焼き、何かける?」
「塩」
「OK」

片手にフライパンを持つ様はわりと似合っていた。
学生時代に一途に一人の女の子を追いかけてはいたけど、実は他の女子から一目置かれていたのを知っている。
別に私みたいな女を相手にしなくてもいいのに。
それだけ奴にとって都合のよい相手という事かもしれないけど。

ぼーっと眺めていたら、4枚の皿を持って我妻が台所から出てきた。
器用だな。
2枚を私の前においてくれる。
半熟の目玉焼きと、ベーコン、そして食パン。いい匂い。

「飲み物はさっきのコーラでいいだろ?」
「うん、ありがとう」

さっさと冷蔵庫まで取りに行き、私の分のコップを用意する我妻。
とっとっと、コーラがコップに注がれ、私の前に置かれる。
我妻は私を見て「食ってみ?」と微笑んだ。

「いただきます」

お腹は空いている。
さっさと手を合せて、私はご飯に手を付けたのだった。



我妻の作った朝ごはんは、とても美味しかった。
昨日、何も食べてないから余計そう思ってしまうのかもしれないけど、私には十分すぎるご飯だ。

さっきまでの空気が嘘なんじゃないかと思うくらい、穏やかな時間だった。
二人で食べ終わる頃にはもう時計の針は12時を過ぎていた。
朝昼兼用のご飯だったかな。

食べたら動く気が湧いてきたので、食べ終わったお皿を台所で洗う私。
私の後ろから空になった皿を流しに持ってくる我妻。
今度は私が片付ける番だから、我妻にはソファって座っててと命令してテレビのリモコンを投げつけた。

そんな私の様子を見てふう、と息を吐く。


食べ終わったんだからすぐに帰るかと思ったけど、我妻は帰る様子がない。
というか、自分の家並みにくつろいでいる。
最初は座ってテレビを見ていたのに、それも崩れてきて今ではソファに寝そべりながら肘をついている。
いや、そこまでくつろぐなら帰れよ。
洗い物も済み、私は自分の手をタオルで拭いながら我妻の前に戻ってくると、我妻の視線はテレビから離れ私を見ていた。

「何?」
「いや…」

私が尋ねると我妻はすぐに目を逸らしてしまった。
言いたい事があるなら言えよ、と思ったけど、面倒臭そうだったから聞くのは止めた。
ソファに座らず、床に腰を下ろす私。
すると我妻はソファから立ち上がって、わざわざ私の横にやってきた。
瞼をぱちぱちさせてそれを見ていると、我妻は何事もなかったように、またテレビを見始めた。

「何?」
「何も」
「…まだ帰らないの?」
「帰らねーよ。暇だもん」

まあ、暇そうではあるけど。
セフレ、という関係になったとはいえ、私達は学生時代と変わらない空気のまま
その日一日を過ごした。

ちゃんと晩御飯を食べたら帰ってくれたので、それだけは一安心だった。




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「苗字、なんか今日顔色いいな」
「え、そうですか?」

月曜日、会社に出勤すると直属の上司が私の顔を見て言った。
別にメイクを変えたわけでもないし、普段と変わらないと思うんだけどな。
首を傾げつつ自分のデスクに座った。

「金曜の事があったから、心配していたんだけど、元気そうで良かった」

ふ、と笑う上司につられ、私も微笑んだ。
金曜?あぁ、そう言えば同期のクソミソ野郎に企画を取られたんだった。
あれだけ金曜の晩は荒れていたのに、土日は全然同期の事は考えてなかった。
むしろどうでもよかった、それより頭の中は忙しかったから。

ぱっと頭の中に爽やかな笑みをした我妻の顔が浮かんで、ついイラっとしてしまった振り払うように頭をブンブン横に振った。

…頼むから、さっさと相手を見つけてくれ。
そしてただの友達に戻りたい。

地の底から出たようなため息を吐いて、私は業務を開始した。


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