08. 置いてって、ごめんなさい


本当に参った。

自室の机の上に突っ伏し、頭を抱える。

折角入った高校だけど、早くも行きたくなくなった。
でも苦労してあそこに入れてくれた父や母にはそんな事言えない。
あと3年。
その期間我慢すればいいだけ。
…無理だわ。

たった1日でこんなに疲労困憊なのだから、3年も続けたら私、鶏ガラみたいになるんじゃないの。
絡んで欲しくないのにやたらあの先輩は話しかけてくるし、朝迎えに来ようとするし。

「こっちの身にもなってほしい…」

同じ顔なんだってば。
同じ声なんだってば。

その顔で笑わないで。
その声で名前を呼ばないで。


「善逸さんじゃないくせに」


ポツリと呟いた声は次第に涙を誘う。
あれから毎日泣いてるな、私。
涙腺が緩くなって困る。
これで目が腫れたら、またそれで絡まれても困る。
脳裏に容易に想像出来てしまう行動に、ため息しか出ない。

せめてどうか明日からは穏やかに過ごさせて欲しい。

そんな私の願いは勿論、叶うことは無かった。


ーーーーーーーーーー


「ちょっとそこ、退いてもらってもいいですか、先輩」

朝から頭が痛いと思ってはいた。
頭痛薬は飲んだけど、効いたのは午前中だけで、薬が切れたら酷くなっていた。
何とか昼休みまで耐えた。
昼休みにゆっくりして、午後授業頑張って、あとはさっさと帰ろう。
そう決めていた。
なのに昼休みになった途端、隣の竈門くんは話しかけてくるし、それから逃げようと教室を出ようとしたら、我妻先輩がドアの前にいた。

いつ剥がれてもおかしくない笑顔で何とか対応するけれど、本当にしんどい。

「名前ちゃん、お昼一緒に食べない?」
「食べません」
「遠慮しないで! みんな居るから、一緒に食べよう?」

どこをどう聞けば遠慮に聞こえるんだ。
所謂ポジティブ野郎な先輩は、変わらない笑顔で私の手を取る。
いつもみたいに元気だったら、触れる前に弾くことは出来るのに。

先輩の所為で余計に頭が痛くなった気さえする。
こうなったら、さっさと相手してゆっくりさせてもらおう。
今日は笑顔の期間限定タイムセールだ。
そんなに長くは持たない。

私は反論もせずに、お弁当さえ持たずに先輩について行く。
にやにやと気色悪い笑顔のまま、先輩は私を先導するように前を歩く。
階段を上り、目の前のドアを開けた先には女の子と男の子が座って待っていた。
多分、私を。

2人の顔を見た瞬間、また私は一瞬思考が停止したけれど、もうそこまで混乱はしなかった。
だって、先に3人ほどお目かけしましたので。

ただ、その後の先輩のセリフには正直、脳のキャパを軽く超えてしまった。


「姉ちゃん! ほら、ちゃんと連れてきたよ!!」


禰豆子ちゃんにしか見えない女の子に、先輩が自信満々でそう言う。
姉ちゃん…?
色んな事が頭を過ぎる。
それって、どういう事だろう。
頭が痛くて、よく分からない。

善逸さんの近くにいた女の子を想像してみる。
私以外に、善逸さんと繋がりのある子は…。

あぁ、なるほど。

禰豆子ちゃんが。

理解した時、私はいつの間にか自分で笑っていた。
あはは、なんだ、そうなんだ。
不思議そうな顔で振り返った先輩が私の名前を呼んだけど、構ってられない。


「初めまして。苗字名前と言います。我妻先輩のお姉さんですか?」


全力で、無理矢理笑顔を作った。
先輩の横を通って、禰豆子ちゃんとよく似た女の子と、何処と無くカナヲちゃんに似た男の子の前に立つ。

ズキズキ、頭だけじゃなくて、胸も痛いや。
でも痛みだけじゃないよ。
心の何処かでほっとしてる。
禰豆子ちゃんで良かったって。

「こんにちは、善照の姉の燈子です。こっちは竈門カナタ、炭彦のお兄ちゃん」

昔と変わらない笑顔の…燈子先輩。
そして、やっぱり見覚えのある瞳のカナタ先輩。
どちらも私の大好きな人の、子孫。

「皆さんでご飯を食べてらっしゃるんですか? 仲がいいんですね」
「仲が良いのはそこの2人だけだよ…滅びろ」
「…なんですって?」
「事実ではあるかな」

なんだか懐かしい気もするし、新鮮な気持ちも感じつつ3人の会話を聞いた。
でもそろそろ限界かも。
心の中で広がるモヤモヤを制御出来ない。
頭が痛い。
胸も痛い。
でも、この人達を見ていたい。
そんな複雑な気持ちが私の脳を掻き回していく。


「名前ちゃんも、ご飯食べるでしょ?」


燈子先輩が可愛らしい表情を向け、そう尋ねてきた。
それを私は酷く残念そうに「折角ですが、実はこの後呼ばれているんです、またの機会にでも」と丁重にお断りをする。
我妻先輩が横で「えっ?」と声を上げた。
そんな話聞いてないとでも言うかのように。

少し落胆した顔を見せた三人に「本当にごめんなさい」とさほど思ってない事を言う。

「また誘って下さい、それでは」

最後まで淡々と、演じることが出来た。
踵を返して私は屋上を後にする。
扉を閉めて、階段を降りようとしたけれど、足元が何だか覚束ない。

またか。

落ちては困るので、手すりに捕まりゆっくりと階段に腰を落とす。
頭が割れるように痛い。
胸はこの前からずっと痛い、けど、今日はもっとひどい。

現実をさらに直視した。

「禰豆子ちゃんで良かった、本当に。心の底からそう思ってるよ」

だけど、ちょっとだけ。
自分勝手に傷ついてしまった。
善逸さんの前から居なくなったのは、私の方なのにね。

「ありがとう、禰豆子ちゃん」

善逸さんと一緒になってくれて。


階段下で生徒たちの笑う声を耳にし、私はそのまま膝に額をつけて目を閉じた。

何も感じなければいいのに。
あの人達を見て傷つくのも。“あの人達”の傍に居たいって思うのも。全部。

意識が段々と遠くなっていくのを感じた。
抗うのもつらいから、そのまま身を任せておいた。
完全に意識が途絶える前に誰かの声が聞こえた気がしたけど、これもきっと気のせい。


――――――――――――――


身体中がぽかぽかしていた。
あんなにズタズタだった胸は、残念ながら穴が空いたままだけど。
夢を見ている、それだけは脳がはっきりと感じている。

ずっと夢の中に居たい。
だってここには何も無い。真っ黒な広い空間。
同じ顔、声の人なんていない。
私だけの空間。

『名前ちゃん?』

私だけの空間だった筈なのに、声が聞こえる。
誰の声かなんて、分かってる。でも、それは、“どっち”?
願わくば、あの人の呼ぶ声でありますように。

希望を込めて瞼を開けた。

朧気に見える視界の中、見えたのは金色の髪。


「…ぜん、いつさん」


私の声で、彼がこちらを見た。
思っていた以上に声には力が無かった。
情けないと思うけれど、これ以上頑張れない。

いつの間にか自分の身体に掛けられた布団の中から、そっと手を出して善逸さんの服を摘まむ。


「置いてって、ごめんなさい」


ポロポロと性懲りもなく涙が零れてきた。
頬を伝って、枕に沁み込んでいく。
彼は焦ったような顔をして、私の頬に手を伸ばし、涙を拭った。

そこで気付いた。

この人は、黒髪だと。

窓からの夕焼けの光が反射して、金色に見えただけだったみたい。

「名前ちゃん、俺が誰に見えたの?」

何だか、複雑な顔をした先輩が私を見据えてそう言った。



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