10. 微笑み


我慢の限界だった。
元来私は用もないのにニコニコ笑っていられる女ではない。
ただ隣に善逸さんがいて、善逸さんと一緒に過ごす内に笑う事に慣れていた、だけ。
善逸さんがいないのなら、一生笑わなくても過ごしていける。
そんな私が無理矢理ずっと顔を作っているのも、限界だった。

頭の痛みは相変わらずだけど、誰にも言えなかった事を吐露して、私は少しだけすっきりした気持ちだった。
先輩を「善逸さん」と呼んだときは本気でやらかしたと思ったけど、いつかはやると思っていた。
それぐらい、私はもう限界だった。

嘘の顔を見せない。

そう言って私の話を信じると言ってくれた目の前の先輩。
私が嘘くさい笑みを見せている事に気付いていたんだろうか。
失礼な事をしたと思う。

私の事を信じても信じなくても別にどうでもいい。
ただ、もうこの人の前で無理やり笑わなくていいという事が、私を安堵させた。

「信じるからさ、頼むからもう一回ベッドに横になってよ。まだしんどいんでしょ?」
「…正直言うと、先輩が目の前に居るだけで頭痛がします」
「え、嘘!?」
「ほんと」

お言葉に甘えて、布団の中に再度潜り込む私。
取り繕う必要がなくなっただけで、こんなにも楽になれると思わなかった。
これからは本音でバンバン話そう。それで引かれて頭のおかしい女だと思われても別にいいし。
むしろその方が近寄ってくれない分、いいかも。

先輩は若干の戸惑いの色を顔に見せて「俺、やっぱり出たほうがいい?」と私の顔を覗き込む。
私の事を心配してくれている、というのが手に取るように分かってしまったので無碍に出来ない。

「今更ですよ。好きなだけそこに居てください」
「あ、ありがとう」

私がぶっきらぼうに言った言葉に、ちょっとほっとしたような顔を見せる先輩。
この顔は何度も見てきた。
私にケガをしてないか、と尋ねた後の善逸さんの顔だ。
隔世遺伝ってほんと厄介。

「えっと…名前ちゃんは何で俺の先祖のこと、知ってるの?」

信じると言ってくれたからには、聞かれた事には正直に答えようと思った。
恐る恐る先輩が発した言葉に対して、どう説明すれば一番分かりやすいのかって考えたけれど、
どう考えても理解できるはずなかったので、馬鹿正直に思った事を口にした。

「私は数か月前まで、2年ほど行方不明でした」

先輩は「は?」と言葉の意味を理解しないまま、言葉を発して首を傾げる。
なるべく混乱させないように、ゆっくり穏やかに喋ろう。

「私は神隠しにあったんです。そして、飛ばされた先が今から100年以上前の大正時代です。証拠、というほどでもありませんが、いつくか持って帰ってきたものがあるので、それを見て貰ってもいいですけど」
「大正? え?」
「…やっぱり、すぐには理解できないですよね」
「ごめん、俺バカだから…すぐには無理かも」

申し訳なさそうに謝る先輩を見て、今この場で全てを話すのは無理があると判断した。
当たり前だ。これからもっと複雑な話をするというのに、サラリと理解できるわけがないし。

「また、今度にしましょ。今度はちゃんと逃げませんから」
「逃げる、って…やっぱりお昼のアレ、逃げようとしてたんだ…」
「やたら先輩が追いかけてくるからですよ」

口には出さないけど、ガーンとショックを受けたような顔をする先輩。
はあ、と小さいため息が聞こえて、先輩は私に手を伸ばした。

「泣き止んだ?」
「……もうとっくに」

頬を撫でる指がどこか懐かしくて、縋りつきたくなってしまう。
絶対にしないけど。

「今度学校に来たら、俺とお昼ご飯食べてくれる? みんなじゃなくて、俺と。名前ちゃんの話ぶりだと、俺以外の皆の顔見るのも、つらそうだから」
「言っておきますけど、先輩はその中の筆頭ですよ。つらいなんてもんじゃないですよ」
「そんなに俺のこと嫌いなの!?」

「…むしろ逆だから余計につらいんですよ」

最後の言葉は小さく聞こえないくらいの声量で漏らした。
きっと善逸さんならモロバレだったかもしれないけれど、先輩はそうじゃない。

「何か言った?」
「いえ」

不愛想に返す私。
自分でも可愛くないと思うけど、こちらは体調も悪いので加味して頂けると助かる。

「明日。一緒にご飯食べてくれますか?」
「…えっ、いいの?」

ぱあっと先輩の表情が明るくなる。
ころころと変わる素直な表情は本当に同じだな。
なんてことを考えて先輩を見た。

「いいですよ、その代わり…」
「その代わり?」
「もう二度としませんから、これっきりですから…手を、繋いでくれませんか」

とっても失礼な事を言っている自覚はある。
だけど、ちょっとだけ。
終わったらまた頑張るから、お願い。

ポカン顔の先輩にお願いしてみると、すぐに表情が柔らかくなって「いいよ」と笑ってくれた。

このお人よし。
私は貴方に、“あの人”の代わりをしてほしい、って言ったのに。
それを分かってて微笑む先輩は本当にお人よしだ。

するすると布団から手を出そうとしたら、それよりも早く先輩が私の手を握る。
ふにふにとした、柔らかい手の感触が手に広がる。
もう片方の手が顔に伸びてきて、そっと私の瞼を閉じさせた。

「寝てていいよ。名前ちゃん、すっごく疲れてるんだって…ゆっくりお休み」
「誰かさんの所為ですね」
「ねえ、この手振り解いて良いかな?ねえ?」
「だめです、もう少し、だけ」

ぎゅっと自分の方へ寄せた。
修業で出来た豆もなくて、潰れて硬くなってるわけでもないのに。
こんなに安心するのは、先輩のどこかに善逸さんを感じているから。

安心した私に急に振って沸いた眠気が段々意識を遠ざける。
寝ちゃおうかな、すごく疲れてるそうだから。
あ、でも寝る前に…。


「先輩は、とっても優しい人ですね。ありがとうございます」


心の底から微笑んで、最上位のお礼を。



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