11. それ以上、読まないで下さい


「先輩はとっても優しい人ですね。ありがとうございます」

そう言って初めて俺に笑いかけてくれた名前ちゃん。
すぐに目を閉じてまた眠ってしまったけれど、俺の胸の音は、寝ている名前ちゃんにまで聞こえてしまうんじゃないかってくらい騒がしかった。
自分の胸のセーターを掴んで、なんとか音を鎮めようとしたけど無意味だった。
頭からさっきの名前ちゃんの顔が離れない。

「まじか…」

自分の髪をわしゃっと掴んで、寝ている名前ちゃんの顔を見る。
さっき言われた事よりも、俺に、俺だけに笑ってくれたそれがこんなにも凄まじい破壊力があるとは思ってなかった。
自覚した気持ちのやり場に困る。


その後少ししてから、名前ちゃんのお母さんが迎えに来た。
お母さんが俺を見て、驚いた顔をしていたのが印象的だった。でもすぐに「もし良かったら、今度遊びに来てね」と言って貰えた。

あとは任せて、俺は帰ることにした。
帰宅途中もずっと頭の中はグルグルしていて、全く纏まらなくて。
帰ってベッドに転がってもそれは変わらなかった。
名前ちゃんの言ってたこと、本当なんだろうか。
普通に考えるとフィクションの世界だけど。
手元のスマホで「2年 行方不明 女の子」と検索すると信じられない件数がヒットした。
探せるのかこれ、と思ったけど案外あっさりと目ぼしい記事を見つける事が出来た。

「これだ…」

俺の住む町の近所。
確かに2年くらい前に、当時中学生の女の子が行方不明となっていた。
学校からの帰宅途中、友達と別れてから何処へ消えたか不明だと。
この記事には名前は出ていないけど、十中八九名前ちゃんだろう。

「大正時代、か…」

そのまま大正時代に飛ばされたとか言ってたな。
所謂タイムトラベル?SFは苦手だから小難しい事は分からないけど。
そこで俺や姉ちゃん、炭彦とカナタに似た人達に会ったらしい。
…子孫なんて言われてもわかんねーよ。

でも、そうだとしたら初めて名前ちゃんに会った時の反応は納得がいく。
誰だつったっけ、

「ぜんいつ」

ポツリと呟く。
あれ、ちょっと待って。
保健室で聞いた時はなんかまだフワフワしてて、どっかで聞いた事あるなーくらいだったけど、さ。

俺はベッドから大きく起き上がり、ベッドの下に落下していた小汚い本を掴んだ。

「善逸伝…マジか」

今まで気にして読んではいなかったけど、表紙に書かれた文字に驚愕する。
そうだ、これはひいじいちゃんの自伝。
善逸じいさんの…。

それをはっきり認識した時、夏でもないのに背中に冷たい汗が伝った。

ちょっと前に俺と初めて会った名前ちゃんが、この本のひいじいちゃんの名前なんて知るはずがない。
ましてや俺ですらちゃんと認識していなかったんだ、口に出すことも無い。

名前ちゃんは、本当に大正時代にタイムスリップしていた?

嘘だとは思ってなかったけど、まだどこか信じてなかった自分が居たんだろう。
今はそれが本当にあったことだとしか思えないけど。

パラパラと本を捲り、1つのページを開く。

苗字名前。
確かにその名前は存在していた。
じいちゃんの師匠の屋敷で働く、女中さん。
可愛い女の子。

紛れもない、名前ちゃんだ。

俺は突然目の前のこの本が気味悪く感じて、ぱたんと閉じる。
本を持つ手元も微かに震えているみたいだ。
…マジかよマジかよ!!
ひいじいちゃんと名前ちゃんは会っていたんだ。
大昔に。

「俺、夢見てんのかな」

起き上がった身体をまたベッドに転がして、天井を見上げる。
このまま寝たら、実は夢ってことないかな。
いや、夢だったら明日名前ちゃんとお昼食べるのを約束した事が無かった事になるな。
それは嫌だ。

名前ちゃんに、言わないと。
明日お昼を食べながらでもその話をしよう。

そう決めた。
姉ちゃんが下から俺を呼ぶ声が聞こえたので、むくりと起き上がり、部屋を後にした。


ーーーーーーーーーー

「信じて貰えるか分かりませんが、一応持って帰ってきたモノを持ってきました」

お昼休み。
名前ちゃんの教室に行くと、彼女は廊下で待っていた。
手には可愛らしいお弁当の入った巾着と別に、何かが入った袋を持って。
顔色が良いのを見て良くなったみたいだと安心した。

そのまま俺たちは屋上ではなく、寒くなって人が居なくなった中庭に出た。
そこにある人通りの少なそうなベンチに腰をかけ、名前ちゃんが弁当では無い方の袋を開ける。

確かに昨日、大正時代から持って帰ってきた証拠がある、って言ってたな。
それを思い出して、名前ちゃんの手元を見つめる。
ガサゴソと取り出した最初の物は綺麗な羽織だった。

「これは私がお世話になっていた御屋敷の女中さんから頂きました。私のお姉ちゃんなんです」

可愛らしい黄緑色の羽織が、綺麗に畳まれている。
よく着ていた様だが、とても綺麗にしていたみたいだ。

「これ、どっかで見た気がする…」
「まあ羽織なんて、探せばお店で売ってますからね」

なんだか既視感を感じてそう言うけど、確かに店で売ってると言われるとそうだな。
羽織を綺麗にたたみ直して、自分の膝の上に置く名前ちゃん。

「次はとっておきです」

ふふ、と悪戯っ子のように笑う。
昨日までの名前ちゃんよりも、今の名前ちゃんの方がやっぱり俺は好きだなとぼんやり考えていた。

「じゃーん」

すっと袋から出てきたものに、それは目ん玉を最大限広げて驚いた。

「は、はああああっ!?」
「先輩、静かに。誰かに聞こえます」
「いや、それどころじゃないよね!?何でそんなの持ってきたの!!」

それは所謂、小刀と言われるもので。
名前ちゃんがカチャっと鞘を抜いて見えた刃が、模造刀なんかと違うものだってはっきり理解した。

「キュウリも切れますよ」
「キュウリどころか人まで斬れるでしょそれ!! 早くしまって!!」

クスクスと楽しげに笑って名前ちゃんは、袋へそれを戻した。
思わずデカい声を上げてしまった。
ってか、そんなものを持ってよく学校に来たな?

「今の私に指導が入ったら即締めあげられますね」
「いやいや…速攻で警察行きだから。締め上げるの意味違うから」

本気で焦った。
いくら人が居ないとはいえ、流石に肝を冷やすわ。
はあ、とため息をついて俺は名前ちゃんを見た。

何処か不安そうな瞳と目が合った。

「心配しなくても信じるよ」

安心させるようにそう言うと、名前ちゃんの表情が柔らかくなる。
あ、その顔好きだな、可愛い。

咄嗟に沸いた気持ちを隠すように、すぐに名前ちゃんから視線を外した。

「…あ、そう言えばさ」
「はい?」
「ぜんいつ、って言ってたじゃん。大正時代に会った俺の御先祖さん」
「ええ、我妻善逸さん」

昨日のことを話そうとそう切り出した。
不思議そうな顔で名前ちゃんは頷く。

「その人、俺のひいじいさんだったみたい」
「…でしょうね」

そうは言っても名前ちゃんはあまり驚いた風ではなかった。
むしろ当然だろう、と言わんばかりの返答だ。
俺もそうだろうなと思うけど、これは想定外じゃない?


「ひいじいちゃん、自伝を残してて、それが家にあるんだよ」
「自伝?」


ほらね。
めちゃ吃驚した顔してる。
こんな事なら持ってくれば良かったな。

「そこに名前ちゃんの名前、あったよ」
「…先輩は全部読まれたんですか?それ」
「いやまだ。俺が見たのは名前ちゃんとうちの爺さんが同じ屋敷でお世話になってる所までだよ」

何だか急に名前ちゃんの声のトーンが低くなった。
それから今きも泣きそうな顔になって、

「それ以上読まないで下さい」と、ポツリと呟いた。

「どうして?」
「どうしても、です」
「……わかった」

ひいじいちゃんの話をすると、そんな顔するんだ。
ズキン、と何故か胸が痛くなった。
俺はそれに気づかない振りをした。



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