16. 決意



自分が誰に何をしたのか、瞬間には気づかなくて、反射的に身体が動いていた。
いつも抱きついた時は、目の前に金色の羽織があって、隊服のボタンが顔に当たる感触があるけれど、今回は無かった。
そんなの当たり前だ。
だってこの人は、善逸さんじゃないから。

ハッとなって慌てて離れようとした。
とんでもない事をした、と。

また私は間違えたんだ。

良く考えれば、頭にあった金色の髪は、さっきの出店で貰った粗悪なウィッグ。
本物の髪とは似ても似つかないのに。
そんな粗悪なものでも、私の目に映れば善逸さんに見えてしまうなんて。

だけど身体は一向に離れようとしない。
何故なら、先輩が私の後頭部を抑えて抱き締めているから。

近くで聞こえるはずの花火の音が遠い。
時が止まったような感覚に陥る。

胸板を軽く押しても先輩は手を離さなかった。

「名前ちゃん…あのね、」

先輩が私の耳元で呟く。
その声が本当に善逸さんのそれに聞こえてしまって、私は頭に浮かんだ幻想を振りほどく。

「今だけ、俺をひいじいちゃんだと思っていいよ」

ぎゅう、と私の後ろに回った手に力が込められる。
思わず声が出なかった。
先輩、気づいたんだ。ってか当たり前だよね。
善逸さんの名前を呼んで抱き着いているんだから、ね。
なんて言えば良いのか分からない。
だけどこれ以上、そんな失礼な事は出来ない、緩く首を横に振った。
そんな私を見ても穏やかに話し続けた。

「俺としてはさ、女の子に抱き着いて貰えるのは、大歓迎ってかおいしい話なわけ。名前ちゃんだって、モヤモヤするより、ひいじいちゃんに似てる俺に抱き着く方がスッキリするんじゃない?」

言われている意味は理解した。
だけど、それを肯定するわけにはいかない。
以前、手を握って貰った、あの時に私はもうあれを最後にしようと心に決めた。
なのに…

「…そんな事、出来ません」

やっとの事で絞り出た声は、情けないくらい震えていた。

貴方は、善照さんだから。
こんな優しい貴方を、これ以上善逸さんの代わりにする訳にはいかない。

「あー…俺の事気にしてるのかもしれないけど、気にする必要なんてないんだよ。だって俺は名前ちゃんの先輩なんだからさ。ねえ、名前ちゃん、じいちゃんは名前ちゃんのこと、何て呼んでたの?」

いや、気遣ってくれてるのは善照さんの方だ。
私に気を遣って、わざと笑いながら言ってくれてる。
とんでもなく酷いことをした私に。
さっきよりも強く首を横に振った。
だけど相変わらず、善照さんは優しい声で私を諭すように言う。

「大丈夫だから。ね、何て呼んでたの?」

ゆっくり顔を上げて善照さんを見た。
金色のナイロンの髪の間に見える黒髪。
前髪の隙間から見えた優しい瞳に、私は泣きそうだった。

「…いつもは、名前ちゃん、と。でも、偶に名前って…」

言いながら自分の目の縁に雫が溜まっている。
脳裏に浮かんだあの人が私の名を呼ぶときは、いつだって、優しい表情をしていた。
善照さんは紛れもない、善逸さんの子孫だ。
こんなに優しい人に、私は酷い事をしている。

「そっかぁ…じゃあ、目を閉じてよ」

言われた通りに瞼を閉じる。
雫がつーっと頬を伝っていった。


「名前、好きだよ」


善照さんは、そう言って私を強く抱き締めた。
口にしているのが善照さんだと分かっているのに、どうしてもまぶたの裏にはあの人が見える。
ああ、もう…私はダメなんだ。
本当に、あの人が居ないと、ダメなんだ。
ごめんなさい、善照さん。

ずっと好きです、善逸さん。

震える手でそっと善照さんの背中の服を掴む。
ごめんなさい、ごめんなさい。
ずっと胸の中で私は謝っていた。



ーーーーーーーーーー


「花火終わっちゃったね」
「…そうですね」

結局まともに花火を見ることは出来なかった。
花火が終わってしまったので、周りで見ていた人達もぽつりぽつりと消えていく。

善照さんがくるくると人差し指でウィッグを回して遊んでいる。
その横で私は、もう花の咲かない夜空を見つめていた。

「これ、捨てようと思ったけど、残しておこうかな」
「何故?」

くるくる回していた指を止めて、掌の上にウィッグを載せる善照さん。
私は首を傾げて尋ねた。

「だって、残していたらまた名前ちゃんに抱き着いて貰えるでしょ?」

そう言って、にへらと笑う。
…とても複雑な心境ですよ、私は。
ただでさえ、罪悪感が土石流のように私の方に降り注いでいるというのに。
なんとも言えない顔で善照さんの顔を見ていたら、善照さんは少し慌てて「冗談だよ!」と言った。
本当かな…?

「名前ちゃん、あっちの時代に戻りたい?」
「…何故、そう思うんですか?」
「あのね、さっきまで俺をひいじいちゃんと間違えてグズグズ泣いてたのは誰よ」
「私です、ごめんなさい」

善照さんの言葉で、さらにズンズンと頭の上に落ちてくる罪悪感。
もう駄目だ、私は本当にダメ人間だ。
本当にごめんなさい。

謝罪のループに入りかけた私を見て、善照さんはくすりと笑う。

「だったら、戻る方法を考えようよ」
「…そんなの、」
「あるよ、絶対」

私の言葉を遮って先輩が言う。
はっきりとした声で。
そして善逸さんとは少し違う、強い瞳が私を見る。

「鬼がいるんでしょ?まだ、この時代に」
「……」
「どうにかなるかもしれない。…名前ちゃんは、戻りたい?」

ぐ、と今まで堪えていたものが漏れ出そうとしている。
それが分かったのか、善照さんは優しく頷いた。

「…善照さん、」
「あ、え…はい」

名前を呼ぶと善照さんは、目を泳がせて、少し顔を赤らめた。
あ、そうか。初めて名前を呼んだんだ。
なんの抵抗もなく口にした事に自分でも驚いた。

「ちょっとだけ、そのウィッグ、貸してください」
「…ウィッグ?」

目を細めて、はい、と返事をすると、変な顔をした善照さんが恐る恐る私にウィッグを手渡す。
私はすうっと息を吸った。

ウィッグの毛束を1つ掴んで、叫んだ。

「善逸さんのばぁかぁ!!」

ブチブチと音を立てて、毛束が抜けた。
ギョッとした顔で隣の善照さんが私とウィッグを交互に見る。

そして、もう1束。

「私が居ないのをいい事に禰豆子ちゃんと添い遂げるなんてぇええええ!!」

はぁ、はぁと荒い呼吸を整える。

「そりゃあ、禰豆子ちゃんは可愛いですし?炭治郎さんの妹の禰豆子ちゃんなら、とっても優しいでしょうし?」

毛束を摘んでは抜き、摘んでは抜きを繰り返しながら、恨み節を吐き出していく。

「善逸さんみたいな泣き虫な人には、とってもお似合いでしょうけどね…」

これでもかと言うくらい、力を込めて。

「…善逸さんを選んでくれた禰豆子ちゃんには感謝しかないし、目の前にいたらありがとうって言いたいですけど、それでも少しだけ…」

金色の毛束を掴んだ手の甲に、ぽたりと雫が落ちる。

「少しだけ、ほんの少しだけでもいい、一緒に居たかった…」

視界が涙で歪んでいく。
初めて愚痴を言った。
ずっと溜め込んでいた。
もう愚痴を言いたい相手には会えないと決めつけて。
でも、私はあの人がいないとダメだ。


「だから、絶対にまた会いに行きます」


貴方に会いに、私はあの時代へ行った。
戻ってきても、また私はあそこへ、貴方の隣へ行く。
絶対に。


すっかりハゲ散らかしてしまったウィッグを、ポカン顔の善照さんに返して、私は大きく伸びした。


「あー…スッキリした」


心の底から出た言葉だった。



< >

<トップページへ>