22. 消えないで


「ねえ、今度は何があったの?」
「何もありません」

登校途中、何度尋ねても名前ちゃんは腫らした目の理由を話してくれない。
ぷいっと横を向かれているのも、悲しいんだけどな。
俺は適当に当てていくことにした。
だって好きな女の子が悲しそうにしているのなんて、嫌だし。

「ひいじいちゃんの事考えていたんでしょ」

どうせ名前ちゃんが考える事って、それくらいしかない。
ほぼ九割当たっているだろうなんて思いながら言ったけど、名前ちゃんはあっさり「違います」と即答した。
話しの感じから嘘を言っているようには見えなかった。
あれ?珍しいな。
じゃあ、なんだろう。

「えーっと…今日テストがある、とか」
「テストで泣くような脆弱な精神は持っておりません」
「ですよねー」

ぴしゃりと冷たい言葉で言われてしまった。
俺だって本気であってるとは思ってなかったけどさ。
速足で俺の前を歩く名前ちゃんに俺は首を傾げながら付いていく。

「じゃあ、怖い夢を見た、とか」
「夢には慣れてます」
「…慣れてるってどういう事?」
「慣れてるのは慣れてるんです」

どうやらこれも違うようだ。
発言は気になるけれど、相も変わらず顔を逸らしたまま。
こんな調子でうだうだ言っていたら、あっという間に校門が見えてきた。
このまま授業を受けるなんて、もれなく俺が授業に集中出来ない。

歩を緩めることなく進む名前ちゃん。

俺は絶対違うと自負しながらも、呟いた。


「俺の事?」


ピタ、と名前ちゃんの歩いていた足が止まる。
え、嘘。ビンゴ?
当たって嬉しいようなそうでないような。
名前ちゃんは更に下を向いて歩き始める。

「名前ちゃん?」

名前を呼んでも名前ちゃんは反応を示さなくなった。
本当に当たってたみたいだ。
にしても俺の事を考えて泣くって何?
とうとう嫌われた?いや、それだったら登校すら一緒に行ってくれないだろうし。
スタスタとスピードを上げて下駄箱へ急ぐ名前ちゃん。
俺はその腕を掴み、無理やり動きをとめた。

「ねえ…っ」

ぱっ、と俺を見る名前ちゃんの瞳からまた大粒の涙がこぼれ落ちそうになっていた。
一瞬たじろいだけど、引くわけに行かない。
俺はぐっ、と堪えて少々でかい声で言った。

「昼休みはっ…?」
「え?」
「今日、一緒にいれる?」
「…いえ…」
「じゃあ、放課後ね。絶対教室まで迎えに行くから」

待ってて。

そう言うと俺はぱっと手を離した。
名前ちゃんは俺の方を振り返ることなく、そのまま靴を履き替え、階段を駆け上がって行った。


ーーーーーーーー


気づいてしまった。
馬鹿な私はその事実に気付くまでにとんでもなく時間がかかり過ぎていた。
本当に馬鹿だ。

如何に自分のことしか考えていなかったのか、よく分かる。
昨晩はそのお陰で涙が止まらなかった。
昨晩だけじゃなくて、それを心配した善照さんを見ていたら、また泣きそうになった。てか泣いた。


あれだけ来て欲しくないと願った放課後まで、あっという間だった。
だけど善照さんがあんなに有無を言わさず、放課後の約束をしてくるとは思わなかった。
断る気力もなかったから、仕方なしに私は誰もいなくなった教室でぽつんと待っている。

隣に座っていた竈門くんが、何か言いたげに私を見ていた。
でも、悲しそうに笑って「また、明日ね」と言ったので、私も同じように返した。

2年生はホームルームが終わるのが遅いみたい。
待っててと言われたので、動く訳にはいかないし。
誰もいない教室の机に突っ伏し、私は目を閉じた。

私が選ぶことで皆が不幸になるなら、それなら私は…

ごめんなさい、善逸さん。


「名前ちゃん?」


脳裏に浮かんだ善逸さんの顔と声が一致する。
でも、この声は善逸さんじゃない。

ゆっくり瞼を開けたら、教室の扉近くで荒い呼吸をした善照さんがいた。
急いで来たのだろう、肩で大きく息をしている姿に申し訳無い気持ちでいっぱいだ。

「遅くなってごめん」

そう言って、私の前の席に腰掛ける善照さん。
自分のカバンは足元に置いて。
私はのっそり身体を起こし、善照さんに向き直る。
言わないといけないだろうか。
口に出すのも嫌だ。
でも、心配してくれている人に、そんな事言えない。

「…朝の、聞いてもいい?」

仕方ない。
私は諦めて口を開いた。


「私、あの時代に戻るの、やめようと思いまして」


なるべく暗くならないように、明るく言った。
言った瞬間、善照さんの目が大きく見開かれて、それならすぐに「は?」と口元を歪める。
そういう反応、すると思った。

「だってよく考えたら、あの時代ってこの時代みたいに便利なものはないし、こっちには家族がいますし。もう戻らなくてもいいかなって」

にこり、と笑ってみるも善照さんの顔は優れない。
信じられないものを見るような目で、私を見ている。

「そう考えたらちょっと寂しくなっちゃって。それで昨日泣いたんです。でももう大丈夫ですから、善照さんに迷惑もかけませんし」

自分の気持ちとは裏腹に、ペラペラと零れていく言葉。
ズキンズキンと痛む心臓に蓋をして、私はまた嘘の笑みを見せる。

一通り喋ったら話すことが無くなってしまった。
だから、ずっと黙っている善照さんに「早く帰りましょう?」と声をかけた。
でも善照さんは動かない。
困ったな。

微塵も動く気配を見せない善照さんの前で、私はニコニコ笑うのみ。
久しぶりにこんな笑い方したな。


「名前」


ビクリと身体が反応した。
ずっと黙っていた善照さんの口から出たのは、私の名前。
いつもちゃん付けで呼ぶ癖に、何で呼び捨てで。
善照さんの声は善逸さんのそれに似ている。
だから余計に反応してしまった。

思わず笑顔を捨てて、善照さんを見た。
少し怒ったような、そんな顔でそこにいた。

「そんな顔で、そんな事言わないでよ。俺にはその顔見せないでって、言わなかった?」
「…あ…」

そう言えば、前に嘘の顔は見せないと約束したっけ。
でも今回に至っては仕方ないというかなんというか。
怒った善照さん、初めて見たかも。
戸惑いつつ、善照さんの顔を覗き込む。

「名前を呼ぶのはずるいですよ…」
「名前ちゃんがそんな顔するからでしょ。いいから、早く理由言いなよ。じゃないと本気で怒るから」
「もう怒ってるじゃないですか…」
「はやく」

ずいっと顔が前に出てきて、私を鋭く見る善照さん。

私は、何回か口を開いて、閉じてを繰り返して、やっと言葉にした。


「も、もし…戻れたとして、もし、まかり間違って善逸さんと添い遂げるような事があったら、そしたら…」


我慢出来なくなった雫がポロポロと零れていく。


「そしたら、善照さんや…燈子先輩は…どうなりますか?」


自然と手が伸びていた。
目の前の大好きな人に似た、優しい人の制服の袖を掴む。
私の手は震えていた。

馬鹿な妄想だ。
もし戻ったら、私と善逸さんはどうなるのか。
もしかしたら上手く行かなくて、別れを選択するような事があるかもしれない。
でも、そうならないかもしれない。

もしそうなったら…

本来禰豆子ちゃんと添い遂げる筈だった善逸さん。
二人の間に生まれる筈だった子が生まれず、その子から生まれる筈だった子も、今目の前にいる人も存在しないんじゃないかって…。

善照さんが消える、存在がなかった事になる。
そんなの許される訳ない。
私は、私のワガママで人を不幸にする。
それだけは嫌だ。

「勿論、戻ったらどうなるかわかりません。でも、戻らなかったら、確実に善照さんは存在するんですよ?だったら、戻らない方が良いに決まってる」

何でもっと早く考えつかなかったんだろう。
あの時代の人達も大切だけど、今の私は目の前の人も大切なのだ。
大切に、なってしまった。

「貴方がいたから、私はここまで普通に過ごす事が出来たんです」

ぎゅっと袖を握る手に力が篭もる。
涙はとめどなく溢れて、ぽたぽたと机の上に落ちていった。

だからね、善照さん。
お願い。


「お願いだから…消えないで…っ…」


その為なら、私はあの時代に戻らなくてもいい。
二度と善逸さんに会えなくても、いい。

…善逸さんなら、きっと許してくれるから。



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