25. 伝言


愈史郎さん?は私たちをお家の中に入れると、暖炉まで完備された部屋のテーブルと椅子へ案内する。
視線だけで座れと言われた気がしたので、私と善照さんは2人横に並び、大人しく椅子に座ることにした。

「わっ」
「何?」

その時、足元にふあっとした感触があって、思わず声を上げてしまった。
善照さんが慌てて私を見て、それからテーブルの脚に目をやる。

「猫?」

足元には可愛らしい三毛猫が居た。
私の足をひと舐めして「みゃーお」と鳴く姿は、こちらの顔が思わず緩んでしまうくらい可愛い。
猫に気を取られている隙に、愈史郎さんは台所の方へ消えて「しばらく待ってろ」とぶっきらぼうに言い放つ。
お茶の用意をしてくれているみたいだ。
私が三毛猫ちゃんとキャッキャウフフしている間、善照さんは複雑そうな顔で私を見ていた。
善照さんの考えている事は私にもわかる。
まさか会えると思ってなかった愈史郎さんに、家に入れてもらうという展開。
しかもどう見ても愈史郎さんの容姿が私たちとそう変わらないものだから、余計に混乱しているのもわかる。
…鬼は歳を取らないから。
勿論、敢えて老けた容姿にする事は可能だと思うけれど。

「大丈夫なの?」

善照さんが重い口を開いた。
何が、なんて言わなくてもわかる。
正直大丈夫かなんて分からない、だけどここで帰る訳には行かないので、私は困ったように微笑んだ。

「あれだったら善照さんだけでも…」
「いや、ここまで来たら名前ちゃん残して帰らないから」
「…ありがとうございます」

ブレない声で力強くそう言われると、少し不安だった私も安堵できる。
三毛猫ちゃんを最後にひと撫でして、私たちは愈史郎さんが戻ってくるのを大人しく待つことにした。


「茶々丸」

愈史郎さんが顔を出して一声。
言われたと同時に三毛猫ちゃんが、たっ、と愈史郎さんの方に向かって歩いていく。
茶々丸ちゃん、ていうんだ、あの子。
動物は好きだ。チュン太郎ちゃん然り。伊之助さん然り。
…伊之助さんはどう見ても野獣だよね。

「茶菓子に期待するな、そもそもこの家にはまともな飯がない」

コトン、と私と善照さんの前に冷たいお茶が置かれる。
山道を歩いて身体が暑かったから、丁度いい。
ありがとうございます、と一言言って私はお茶を頂くことにした。
愈史郎さんが私達の真向かいに腰を下ろすと、先程同様、面倒臭そうな顔でじろりと睨まれる。
飲んでいたお茶を吹き出しそうになったけど、寸前で我慢した。

「…あの、愈史郎さん、ですよね?」

先程と同じことを尋ねる私。
愈史郎さんだとは思うけど、一応不確かだから。
すると愈史郎さんの目がすうっと細められて「ああ」と返ってくる。
やつぱり、愈史郎さんだった。
本当の意味で私はやっと安心した。

「私たちは…」
「説明はいい、こっちはある程度把握している。…ただ、我妻まで居るとは思わなかったがな」
「えっ?俺の事、何で…」

私の言葉を遮って、それから善照さんを見る愈史郎さん。
あれ、善照さんて、名乗ったっけ?
ポカンとしていたら愈史郎さんが続ける。

「そんなふざけた顔した奴が我妻以外にいるなら、話は別だが。どいつもこいつも同じような顔をして、隔世遺伝もここまでくると、笑えてくる」
「…やっぱり、貴方はあの時代の人なんですね」
「ふざけた顔…俺そんなに顔、変?」

寂しそうに零した善照さんの言葉を愈史郎さんと私は華麗にスルーし、会話を続ける。
確証が持てた。この人は正真正銘、鬼だ。
あの時代から生きる、鬼。

「どうして、私たちが来る事分かってたんですか?」

不思議だ。
いくら鬼と言えど、未来のことなんて予言できるだろうか?
だから尋ねた。私と愈史郎さんは初対面のはずだから。
愈史郎さんは小さく息を吐いて「聞いていたからな」と零す。

「誰から?」
「…まあ、それは言わなくてもその内分かることだ」
「は、はぁ…」

軽く流されてしまった。
もっと深く尋ねたいけれど、こんな感じでかわされると、いつまでも本題に入れないな。
どうしたもんかな、と思っていたら私の隣から言葉が紡がれる。


「…名前ちゃんを、あの時代に帰したいんだ」


思わず善照さんの顔を見た。
今まで何回か見た、真面目な顔で。
胸が熱くなるのを感じると同時に、色々込み上げてきそうだった。
それを表に出さないように、私はこくりと頷いた。

「事情をご存知なら、私の事もご存知ですよね?どうして私はこの時代に戻ってきたんでしょうか?」
「そもそも、お前が向こうに行った経緯は鬼の血鬼術によるもの。滅せられた鬼の血鬼術は無惨の元へ戻る。無惨が数百年振りに手負いになった事で、術が不安定に作動したんだろう」
「…あ、そう言えば」

愈史郎さんの淡々とした説明を聞いて、私は納得した。
あの時代での最後の記憶は、御館様の御屋敷に無惨が襲撃した直後だった。
その際に無惨が何らかの攻撃を受けていたら、有り得る話だ。

ちらりと右手首の痣を見た。
じゃあ、私はあの時代に戻れるのか。
それとも。


「戻れる」


私が何かを言う前に、愈史郎さんがハッキリと力強く言った。
そこには1つの迷いもなくて、断言するくらい確実な情報。
私と善照さんが同時に息を飲んだ。
ポカンとする私達を余所に、愈史郎さんはもう一度同じ言葉を繰り返した。

「戻れる。だが、それでいいのか? お前の元居た時代はここだろう? 一度あの時代に帰れば、もう戻ってくる事は出来ない。それがどういう意味か、分かっているだろうな」

愈史郎さんの目が私を射抜く。
同時にその言葉でドキリとしてしまった。
善逸さんのいるあの時代に帰りたい、と思う。でも、ここに残していく人たちの顔がフラッシュバックする。
お父さん、お母さん、和樹。

そして。

気付いたように隣の善照さんを見た。
善照さんは首を傾げていたけれど、私は…この人達を置いていく事の意味を、初めて理解した。

今度こそ、二度と会えなくなる。
折角この時代に戻ってきて、もう会えないと思った家族と。
私を支えてくれた、この人と。

それでも、私は。


「善逸さんの元に」


先程から我慢していた涙がついぞ零れてしまった。
愈史郎さんは嫌な顔一つずに私にティッシュをくれる。
有難く受け取り、目が腫れないようにそっと涙を拭った。

「……お前に伝言がある」

何でもないように愈史郎さんが自分のポケットをゴソゴソと漁る。
グズグズしている鼻をすすり、愈史郎さんの動作をじっと見ていた。
やがて、愈史郎さんのポケットから出てきたのは一枚の紙。
不思議そうにそれを見つめる私と善照さん。

「元の紙はボロボロになったからな。俺が中身だけ新しい紙に書き換えた。お前宛だ」

ピラ、と乱雑に扱う様にそれを渡され、
私は眉間に皺を寄せつつ、涙の引っ込んだ潤んだ瞳で書かれた文字を追っていく。


「あ…」

「名前ちゃん?」


善照さんが心配そうに顔を覗き込むけれど、私はそれに反応できなかった。
折角引っ込んだというのに、またもや溢れんばかりの涙が私を襲う。
途中から拭う事もやめて、涙で歪む視界のまま文字を見つめた。
それから愛おしい書かれた言葉に指で触れる。



『俺が寂しくなる前に帰って来てよ』



誰からの伝言なんだと言われなくとも分かる。
震える手で紙をそっと包むと、私は声にならない声を上げ、その場で何度も頷いた。



< >

<トップページへ>