01. 帰ってきた、の?


こんなことってあるんだろうか。

きっと、夢だと思う。

だってさっきまで善逸さんと一緒にお話して、手を繋いでいたんだもの。
それなのに私の右手は空っぽで、立っていた場所だって全然違う所。
隣にいた筈の善逸さんがいない。

私の足元に見えるこれはアスファルトで、私の鼻を掠めるこの臭いは排気ガスの臭いで。
周囲に並ぶ一軒家、高層マンションは現代のそれで。



「…帰って、きたの…?」



自分の立っている場所が、大正時代でない事にこんなに絶望するとは思っていなかった。
私の服は藤乃さんから頂いた着物と袴。
そしていつもの若葉色の羽織。
私一人が、この現代の景色の中で異質だった。

髪が風に揺れる。
いつの間にか髪が崩れている、と思ったらシュシュがない。
何処かに落としたのか、それとも、あちらに置いてきたのか。
心臓がまるで氷点下まで冷え切ったように痛い。
それなのに自分の心臓のバクバクという音だけが聞こえる。

夢か、現実か。

それをはっきりさせるため、私は見慣れた道を進んでいく。

少し景色が変わったところはあるけれど、ここは通学路だった。
いつもイヤフォンをして音楽を聴いていた。
あちらの時代に行った時もこの道を歩いていた。

その角を曲がって真っすぐ進むと、これまた見慣れた一軒家が見えた。

ここに来るまでにすれ違った人は何人か居た。
どの人も私の姿に物珍しそうな視線を投げかけていた。

恐る恐る一軒家のインターフォンのボタンを押す。

「はあい」

聞きなれた声がスピーカーから聞こえた。
けれど、その声はすぐに震え始め、大きな音を立てて遮断された。

数十秒待って、勢いよく目の前のドアが開かれる。

中から現れたのは、私の知る人物。

「名前っ…」

母は私の姿を目に入れた瞬間、裸足のまま飛び出して私を力いっぱい抱きしめた。
痛い、と思う。
けれどそれは口にはしないで、私も同じくらいの力で母の背中を強く抱きしめる。

いつのまにか瞳から零れた雫が母の肩を濡らしていく。
少し痩せたし、老けたと思う。
2年ほど、家に帰らなかっただけなのにそう感じてしまう。

きっと私がそうさせたんだろう。

「お母さん、私…帰ってきたの?」
「名前…そうね、帰ってきたのよ」

何故、母に尋ねているのか分からない。
けれど、今の私にこの質問に答えられるのは母しかいない。
それを聞いて安心するような気持ちと、先程感じた絶望が入り混じったような、複雑な想いが交差している。

帰ってきた、の?
なんで?どうして?

善逸さんは、どこにいるの?


神隠しにあった娘が、数年振りに帰ってきたことを喜ぶ母には言えなくて、
私はそっと瞼を閉じて脳裏に金色の人を思い浮かべた。


――――――――――――――


夢だと思っていたのに、夢ではなかった。
その証拠に、自分のベッドで寝て、目が覚めても自宅だった。
現実だった。

血鬼術、しか考えられない。
だってあちらの世界に行ったのも、血鬼術が原因だったから。
だけど、この世界に鬼がいる筈もない。
あちらから飛ばされたと考えて間違いないだろう。
でも、何故私が?


考えても考えても分からなくて、何もする気が起きなくて、ただただベッドで数日過ごした。
父も和樹も私が帰ってきたことに喜んでくれていた。
私も家族に会えてうれしかった。

だけど、胸に燻る絶望を感じて、ただただ窓の外を見る事しか出来なかった。

きっと父と母は大変だったと思う。
数年間消えた娘が帰ってきたと思ったら、ろくにご飯も食べず寝たきりになったのだから。
それでも元の生活に戻そうと奮起してくれていた。

そんな父と母の姿を見て、いつまでも情けない姿を見せる訳にはいかないと、ご飯を食べるようになった。
美味しかった。
久しぶりの母の手料理。
これがこんなにも私の胸を揺さぶるなんて。

まともに食べるようになってきたら、和樹と外に出るようになった。
和樹は中学生になっていた。
記憶の中のやんちゃ坊主は、いつの間にか低い声を発し、私よりも背が高くなっていた。

まだスニーカーに慣れてなくて足が覚束ないけれど、和樹は私に合わせてゆっくり歩いてくれた。
あんなにケンカをしていた姉弟だったのに、いつのまにか大人になっていた。

近くの公園まで行って、そしてまた家に帰るだけの30分のお散歩。
それなのに私は酷く疲れていた。
景色が喧しい。
前までそんな風に感じた事はなかったのに。

数日経つと、母が参考書を数冊用意してくれた。
私の学力が和樹とそう変わらない事を悲観して、高校へ通えるように買ってきてくれたのだ。
正直有難かった。
元々勉強は好きだった。だから、あの時代でも習う事に貪欲になれたと思う。



そんな生活を数か月続けた。



父と母が頑張ってくれたおかげで、私は高校生になる事が出来るらしい。
学力の遅れから本来の学年になる事は出来ないけれど、有難い事には変わりはない。

編入試験を受けさせてもらい、無事に高校生になった。
セーラー服から着物へ、そして着物からブレザー姿となった私。
鏡の前に立つブレザー姿の自分がまだ現実ではないようで、ふわふわした気持ちで見ていた。

どんなに状況が変わろうとも、相変わらずあの時代の事を忘れる事は出来なくて。
ふと気が付けば歴史の本や、あの時代にもあった物に目を追っている。
夜になれば着ていた若葉色の羽織を抱き締め、ベッドに横になる。

持っている羽織が私のモノではなくて、善逸さんのモノだったらよかったのに。
そうして夢だけでも会えますように、と毎晩願いながら瞼を閉じるのだ。
戻りたい、なんて家族の前で口に出すことはできない。
だけど、布団の中だけでも吐き出す事を許してほしい。

「善逸さんの、馬鹿」

早く私を連れて行ってくれと、願う私は親不孝者だ。



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