28. 穏やかな時間


ぐっすり眠る事は出来なかった。
善逸さんの事、善照さんのこと。
色んな事が頭をぐるぐる駆け回って、布団に入ってもやっぱり落ち着かないままで。
でもどこかすっきりした気持ちになるのは、愈史郎さんと善照さんとちゃんとお話することが出来たからだろう。
結果的に寝不足だけれど、私の気分は悪くはなかった。

早朝、まだ日が昇っていなかった。

「一晩泊めて頂いてありがとうございます。近いうちに必ず伺います」
「あぁ。これからが大変だと思うがな」

愈史郎さんに一晩のお礼を伝え、私と善照さんは山を下りる事にした。
家族の事を済ませたら必ずここに来ると伝えると、愈史郎さんは少し難しい顔をした。
私もそう思う。
きっと大反対されるだろうから。

「人と別れるのはつらいから、な」
「そうですね。……愈史郎さんも、珠世さんとお別れするときはつらかったです、よね」
「……知ってたのか」
「いえ、全く。何となくです」

私がそう言うと愈史郎さんは寂しそうに空を見て「そうか」と呟いた。
炭治郎さんから聞いていたのは珠世さんと愈史郎さんという二人の優しい鬼がいるということ。
なのにこの家には愈史郎さんしかいなかった。
愈史郎さんがひたすら珠世さんの絵を描き続けている理由を、何となく察したのだ。
鬼は頸を落とすか日の光を浴びないと死なない。
愈史郎さんはきっと今までいくつもの別れを経験してきたことだろう。
最愛の人との、別れも。

「では、また」
「次はもう少し分かりやすくしておいて欲しいね。山で迷うのは勘弁だからさ」
「俺が忘れない内にまた来ることだな」

善照さんがはあ、とため息を吐いて周囲を見渡す。
確かに行きのように散々迷う羽目になるのは大変だ。
私達は愈史郎さんに深々と頭を下げて、別れを告げた。

道中、愈史郎さんから聞いていたように山を下りていくと、思っていた以上に早く山を下りる事が出来た。
あっという間に駅の前に着いてしまって、善照さん共々ぽかんとしたくらいだ。

駅のホームで電車を待つ間。
二人で並んでベンチに腰を掛けた。
善照さんは近くの自動販売機でジュースを買ってくれて、私に一つ渡してくれる。
それを有難く受け取り、口に含んだ。

「これから、どうするの?」

ゴクリと冷たい炭酸が喉を通っていく。
善照さんが小さく呟いた。
私は缶を口から離して、善照さんを見る。

「家族と話さないといけないですね」
「……だよね」

家族の事を考えると気が重くなる。
折角帰ってきた娘が、また居なくなろうとしている。
それも、今度こそ一生会えない。
家族がどんな思いをするのか想像するのは容易い。
もしかしたら説得に何年もかかるかもしれない。

「もし、なんだけど」

私の苦い顔を見て、善照さんが口を開く。
私は黙って善照さんの言葉を聞くことにした。

「良かったら、その場に俺も一緒に居ていいかな」

善照さんの言葉で私は驚愕した。
目を見開いて驚いている様子が分かったのだろう。
善照さんは苦笑いを零す。

「無関係だってわかってるんだけどね」
「……善照さんにとって良い場面ではないと思いますけど」
「じゃあこれだけでも渡して欲しいな、見てもらいたいんだ。名前ちゃんのお父さんとお母さんに」
「見てもらいたいもの?」

ごそり、と善照さんがカバンを漁る。
中から出てきたのは「善逸伝」と書かれた、古い本だった。
初めて見るそれを私は瞬時に理解した。

「持ってきてたんですか!?」
「最近はずっとね。名前ちゃんに見せるのは嫌がると思ったから、見せてなかったけど」

前に善照さんが言っていた、善逸さんが残した自伝。
それが目の前にあった。
でもどうしても私はそれを見る気にはなれない。
むしろ恐怖さえ湧いてくる。
善逸さんの元に帰ろうとしているのに、その気持ちさえ揺らぎそうになる。

「これを、お父さんとお母さんに渡してくれる?」
「…なんで」

ジド、とした目で善照さんを見る。
何を考えているのか分からない。
善照さんはにこりと笑い「名前ちゃんが見る必要はないと思うよ」と言う。
そう言われると気になってしまう。

「そんな酷いこと書いてあるんですか?」
「いや…むしろ、読んでるこっちが恥ずかしくなるくらいだわ」
「どういう…」
「ま、それは置いておいて、困ったらこれをお父さんとお母さんに渡してね」

はい、と私の掌の上に置かれる善逸さんの本。

私は今、どんな顔をしているんだろうか。

何とも言えない気持ちで、それをカバンの中にしまった。


◇◇◇


「ただいま。あれ、お父さんだけ?」

あれから無事に善照さんと私たちの町へ戻ってきた。
帰って早々、私はリビングに居た父に母の所在を尋ねる。
父は欠伸をしながらこっちを見た。

「おはよう、おかえり。早い時間に帰って来たんだな」

パジャマ姿でソファに腰掛けながら、コーヒーを飲む父。
手には新聞があった。
母は裏庭で花に水をやっているそうだ。
私はカバンをソファの横に置いて、父の隣に腰を掛けた。
最近はあまりそう言う事をしていなかったので、父は少し驚いた顔を見せたけれど、すぐに柔らかい表情になって新聞に目を移した。


「何かあったのか?」


まだ何も言っていないのに、父は新聞から目を離さないでそう言った。
私は驚きつつ「どうして?」と尋ねる。

「これでも子供の父親だからな。母さんほどではないけれど、子供の変化くらい気付く努力はしているんだよ」

父は読んでいた新聞紙を綺麗にたたむと、それをテーブルの上に置いた。
その動作を私はじっと見つめていた。
こんな、変哲もない日常が、もうすぐ終わってしまう。
私の所為で。

そんな事を考えたら、この想いを口にしていいのか本気で悩んだ。
あの時代に帰りたい。そう思うけれど、家族とも離れたくない。
私はワガママなのだ。

「…お母さんが戻ってきたら、話すね」
「そうしてくれるか。聞いといて何だが、一人で聞く勇気はないんだ」
「お父さんらしいね」

私がくすり、と笑うと、父も一緒になって笑みを浮かべる。
時間が穏やかに進んでいく。
あの時代に飛ばされる前、私はこの時間が好きだった。
あの時代に行ってすぐ、この時間がもう手に入らないと自覚した時、この世の終わりだと思った。

善逸さんが私の変化に気付くまで、一人で泣く事も出来なかった。
ずっと胸の中に仕舞いこんだ。
それくらい大切な時間。

それから5分くらいして、母は戻ってきた。
私が帰ってきたことに驚いていたけれど、いつものように優しく「おかえり」と言ってくれる。
私は父の横に座ったまま「ただいま」と返し、それから

「話があるの」

と、二人に切り出した。

私の様子を見て察した母がソファの対面に腰を掛ける。
その表情は神妙な面持ちだ。
父も同じような表情をしていた。

ごめんなさい、お父さん、お母さん。
心の中で二人に謝罪をして、私は覚悟を決めた。



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