31. 竈門炭彦
燈子先輩やカナタ先輩に時間を取って頂いて、遠くに行く事、それから今までのお礼を言わせてもらった。
とは言え、二人とは私自身あまり絡んでいなかったので、普通に別れを言うことが出来た。
ただ燈子先輩は少し残念そうに「善照も知ってるの?」と聞いてきたけれど、「はい」と答えると更に複雑そうに「そっか」と笑った。
私はその意味に気付かないフリをした。
二人とお別れが済んで、私の心は穏やかだった。
あとは彼だけだ。
自分の教室に向かい、待たせている彼に別れを言おう。
善照さんの次に、仲良くなった彼と。
放課後という事もあって、教室には既に誰も居なかった。
私の席の隣、その隣に彼、竈門炭彦くんは窓の外を眺めて座っていた。
もしかしたら、寝ていたのかもしれない。
炭治郎さんとは全然違う姿に私はくすりと笑みを零す。
その様子に気付いた竈門くんがゆっくりこちらを見た。
「ごめんね、待たせて」
そう言って竈門くんに近付いた。
竈門くんは首を緩く横に振って、席から立ち上がる。
少し小さめの欠伸をしたところを見ると、やっぱり寝ていたんだろうか。
「ううん、寝てたから大丈夫」
にこりと人懐っこい笑顔を見せる竈門くん。
やっぱり寝ていたんだ。
自分の予想が当たって、心の中でまた笑った。
「竈門くんに伝えたい事があって…」
「それって告白とかじゃない、よね?」
「うん、違うよ」
「良かった、善照にぶっ飛ばされるとこだった」
わざと冗談を言う雰囲気を作ってくれる竈門くんに感謝した。
私はふふ、と笑って「ありがとう」と小声で漏らす。
竈門くんの目が細くなって、じっと私を見つめる。
私は小さく息を吸って、口を開いた。
「竈門くんにちゃんとお別れを言おうと思って。私、もう遠いところに行っちゃうんだ」
「……そっかぁ」
案外、竈門くんはあっさりと返事をした。
確かにそこまで仲良かったと言えば、善照さんに比べると絡みも少なかったし、精々隣の席で少し喋ったくらいだった。
だから別れと言っても、あんまりなのはなんとなくわかる。
「隣に誰も居なくなっちゃうと、寂しくなるね」
「その内すぐに席替えになるよ」
「そうだね」
竈門くんの視線は私の席へ。
少しの間、じっとそれを見つめて、そして見つめたまま竈門くんは口を開く。
「…善照とは、いいの?」
「…うん」
意味深に善照さんの事を言われて。
私は困ったように笑うことしかできない。
竃門くんは、とても鋭い。
この数ヶ月一緒になっただけでも、それがわかるくらい彼は周りのことをよく見ている。
竃門くんはよっこいしょ、と自分の机に腰をかけて、私を見据えた。
背中に見える茜色の光で、どんな表情をしているのか良くはわからない。
でもきっと、彼は笑っているんだろう。
「…じゃあ、もう会えないね」
何かを知っているような、そんな悲しげなトーンで。
竃門くんはポツリと呟いた。
私は一瞬で笑顔を剥がしてしまった。
なんで、そんな風に言うんだろう。
燈子先輩もカナタ先輩も、転校するんだと理解してくれたのに。
なんでそんな、今生の別れみたいに。
竃門くんの瞳が一瞬、赤く光ったように見えた。
どこかで見たその瞳に、私は慌ただしく心臓が動き出すのを感じていた。
バクバクと跳ねる心臓を制服の上から押さえて、私はただ竃門くんを見つめた。
「……名前が決めたのなら、俺は何も言わない。きっと悩んで悩んで、善逸の傍に居ることを決めたんだろう?」
空気が変わった。
先程までの竃門くんの口調とは正反対の、その言葉。
あまりの衝撃に、まるで時が止まったように固まる私。
それでも口はなんとか動いてくれた。
心臓は相変わらずうるさいけれども、私は震える声を放つ。
「たん、じろ…さん?」
竈門くんは私の事を呼び捨てにしない。
竈門くんはそんな口調で話したりしない。
竈門くんは善逸さんの事を知らない。
目の前に机に腰を掛けるその人が、どうしてもクラスメイトの“竈門炭彦くん”には見えなかった。
だからと言ってこの時代に存在する筈のない人の名前を言うなんて、どうかしている。
そんなこと、自分でもよく分かっているのに、私は自然とその名前を口にしていた。
彼の口から目線を逸らすことが出来ない。
何と言うんだろうか、彼は。
まさか、そんなこと、ありえない。
色々な感情が駆け巡る。
“彼”は己の人差し指を唇にあて「しー」と小さく口にした。
ふらふらと、ゆっくりと、“彼”に近付いていく。
動けなかったはずの足は、ちゃんと前へ進んだ。
覚束ない足取りだけども、ちゃんと。
そして、“彼”の前に向かい合う様に立ち止まった。
「なん、でっ…なんで、教えて、くれ…ても」
まるで幼い子供のように拙い言葉で。
そして溢れる涙を乱暴に袖で拭っては、ずるずると零れそうになる鼻を啜って。
ぐちゃぐちゃの顔で、“炭治郎さん”に泣き喚いた。
「ごめんな。名前がこの時代で生きていく可能性があったから、わざわざ俺たちの事を思い出させる必要はないと思っていたんだ」
「そ、そんなの…それだけそっくりな顔をしておいて、思い出さない方がおかしっ、じゃないですかぁ!」
「……そうだな、悪戯につらい思いをさせただけだったかもしれない」
「たん、たんじろ、さんっ…」
私が“炭治郎さん”と呼んでも、否定はしなかった。
肯定もしなかったけれど。
それでも、私は目の前のその人が炭治郎さんであると確信した。
感情が制御できない。
顔だけじゃなくて心の中もぐちゃぐちゃだ。
竈門炭彦くん。
彼は、私のクラスメイトで、暇さえあれば寝ている。それからちょっと周りの事に関して鋭い人。
当たり前だ。
だって彼は、炭治郎さんなんだもの。
うえーん、と一際大きく泣く私の声はさぞ、うるさかったことだろう。
その内廊下を疾走する足音が聞こえて、「名前ちゃん、どうしたの!?」と大声で教室に入ってきた善照さん。
汚い顔で号泣する私と、困った顔で笑う竈門くんを見て、目を吊り上げる。
「炭彦おおお!! 名前ちゃんに何したんだよ!!」
「ごめんね、ちょっと泣かせちゃった」
はは、と笑う口調はすっかり竈門炭彦くんのものだった。
竈門くんに掴みかかろうとする善照さんを何とか止めて、私はまた竈門くんの顔を見て泣いた。
「名前ちゃんがこんなに泣くなんておかしいだろうが!! 炭彦、まさかお前…」
「ちょっと。何もしてないよー、俺は」
いや、貴方の所為だ。
だってこんなにも安心して力が抜けたのは、貴方が陰で私を見守ってくれていた事を知ったから。
結局私が泣き止むまで二人はその場で睨み合っていて。
(睨んでいたのは善照さんの方だけだったけれども)
やっと泣き止んだ時に、竈門くんに思いの丈をぶつけることが出来た。
「ずっと、炭治郎さんたちに会いたかった」
唇を尖らせて、腫れた目で睨んでみると、竈門くんはこくりと頷き、
「…名前とクラスメイトになれて良かった。俺の大切な友達によろしく伝えておいてくれ」
と笑った。
その大切なお友達だけじゃなくて、貴方本人にも、よろしく伝えておきますね。と心の中で呟いたのだった。