33. ネックレス


家の中に入って早々、愈史郎さんから着替えるように言われた。
私もこくりと頷き、先日私が泊まらせてもらった部屋で持参した着物に着替えた。
部屋に置かれた姿見で自分の恰好を確認する。
数か月に見る、着物と袴、そして私の羽織。
いつものシュシュがないのが少し寂しいけれど、紛れもないあの時代のものだ。

自分の洋服を丁寧に畳み、リュックの中に収納した。
このリュックは持っては行けない。
中から私の愛刀を取り出し、懐へ刺した。

「よし」

背筋が伸びるようにぴし、と気持ちも整理できた。
久しぶりの着物はとても着心地が良かった。
リュックを手に、私は部屋を出た。
ゆっくりと階段を下りていく。
リビングに居た善照さんが私を視界に捉えて、ぼうっと見つめていた。

「やはり、その格好の方が似合うな」
「そうでしょうか」

愈史郎さんが懐かしむように目を細める。
お世辞でも今の私には嬉しい言葉だった。

「善照さん、これを家に持って帰って頂けませんか」

固まったまま座っている善照さんに、そっと先程自分が背負っていたリュックを渡す。
善照さんは一瞬リュックに視線を落としたけれど、すぐに私を見て

「…わかった」

と重々しく言った。


「一応確認しておく、本当にあの時代に戻っていいんだな?」


愈史郎さんの声が私の脳を揺さぶる。
一寸置いて私は頷いた。

「あの人に会えるなら、」

どうしても脳裏に浮かべるのは金髪のあの優しい笑み。
いつも私を守ってくれる大切な人。
あの人がいない世界で生きていく事は、私には無理だ。

「…面倒な奴らだな」

安心したように愈史郎さんが言う。
奴ら、の中に私と善逸さんが含まれていればいいな、なんて考える私はとことん善逸さんの事しか頭に無いらしい。

「別れの挨拶は済んだか?」

愈史郎さん曰く、術が発動すれば一瞬の内だと。
思っていた以上にあっという間で、聞いているこっちが驚いた。
「お前があの時代に連れ去られた時も一瞬の内だっただろう」と言われて納得する。

くるっと身体を翻し、私の後ろにいた善照さんに向き直った。
私はまだ、別れを言わないといけない人がいる。
この時代で誰よりも近くで支えてくれた人。
善照さんは、私を見て悲しそうに微笑んだ。


「善照さん」


他の人にはちゃんと言えたのに。
こうして目の前にすると言葉が出てこない。
何か言わないと、と思って口から出たのは善照さんの名前だった。
何度も呼んだこの名前を口にするのもこれが最後。
鼻の奥がつんとなるのを必死に我慢して、わなわなと唇が震える。

指先まで震えが伝った時、善照さんが震える指ごと私の手を握る。

「プレゼントがあるんだ」

と、にこりと微笑んで。

「プレゼント?」
「そう、ちょっと後ろ向いて」

善照さんが私の肩をくるりと翻し、私の首にチェーンを通す。
視線を下げて首元を確認したら、そこには私の羽織と同じ色の石が嵌め込まれたネックレスがあった。
善照さんが後ろでチェーンをつけて「もういいよ」と呟いた時、また善照さんに向き直る。

「これ、は?」
「俺からのプレゼント。大事にしてくれる?」

指の腹の上に小さく乗った石。
なんて言う名前の石なのかわからない。でも淡い光を放つその石に思わず見とれた。
言葉を失う私の肩をぽんと優しく叩く善照さん。

「頂けません…」
「なんで?」
「だって、私、善照さんにプレゼントを貰うようなこと、してない」

ぶんぶんと首を横に振って、ネックレスを外そうとした。
けれどそれも善照さんの手によって止められて、じっと私の瞳を見つめられた。


「俺のエゴなんだよ。名前ちゃんがじいちゃんの所に戻っても、俺の事覚えてほしいっていう、さ」


そう言う善照さんの瞳が少し潤んでいるのを見てしまった。
そんなの、忘れるわけない。

とうとう私の瞳を限界を迎えた。
ポタポタと零れ落ちる雫を止める事が出来ずに、善照さんの胸にこつん、と頭をくっつける。


「貴方みたいな人を、忘れるわけない」


ずっと私を支えてくれた。
相手にしなかった時も、私が挫けそうになった時も、ずっと傍にいてくれた。
私の為に、ずっと。

「その石ね、石言葉があるんだってさ」
「石言葉…?」
「そ。意味はね、」

善照さんの顔が近付いてきて、そっと私の耳に囁く。


「再会」


言われてすぐに顔を上げた。
目を見開いて泣く私に善照さんもまた、涙を一粒流して笑っていた。

「俺、絶対に会いに行くから。名前ちゃんもそれまで覚えておいて」
「善照さん、私」
「俺が会いに行くまでボケたりしないでね」
「…ボケませんし、死にません!」

善照さんと会うその日まで、絶対に生きると誓った。
絶対に。


「うわ、すっごく不細工」
「善照さんのばかぁ」
「うそうそ、俺だって同じ顔してるよ」


二人泣きながらお互いの涙を拭い合う。
ぐちゃぐちゃの情けない姿だけども、それでも不器用に笑みを浮かべる事が出来た。

「善照さん、ありがとう」

ありがとう。
私の大切な人。

善照さんがぽんと頭を撫でる。

「約束覚えてる?」
「はい」
「じゃあ、そっちの約束も守ってね、嘘ついたら会った時にわかるんだから」

前に善照さんと約束をした。
何があっても善逸さんの傍に居る、って。
善照さんの言葉の意味はよく分からないけれど、なるべく守るつもり。

愈史郎さんがゆっくり近づいてくる。
そして、私の手首に触れて「いいか?」と尋ねる。
私が何かを言う前に善照さんが「いいよ」と言って頭にあった手が離れていく。

手首の痣が熱を持つように暖かくなっていく。
なんとなく、これで最後なんだと理解した。

私の手首を持つ愈史郎さんを見つめた。

「ありがとうございます、愈史郎さん。貴方に会ったら、この御恩を一生かけて返します」
「別にいい、と言ってもお前は言う事聞かなかったからな。勝手にしろ」

やれやれ、と息を吐く愈史郎さんだが、その口元は微かに緩んでいた。
そして、今度は善照さんを見る。

「元気でね、名前ちゃん」
「善照さんこそ、お元気で」

ぐずぐずの鼻を最後に啜って善照さんの手に、自分のものを重ねた。



「またね ――――ちゃん」


最後に善照さんの声を聞いて、私の意識はブラックアウトした。



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