35. 手を離しちゃだめだよ



「嘘だろ嘘だろ、夢でも見てんの、俺」

どんどん人影に近づくにつれて、その人の恰好がどこか古めかしい事に気づいた。
どこかで見たようなボロボロの羽織を着ていて、足元には同じ柄の脚絆。
そして黒い洋服の腰に刺さっているのは…
さーっと血の気が失せていく。
この目で本物は見たことなんてないけれど、紛れもないそれは日本刀なのだろう。

もちろんそれだけじゃない。
体中のあちこちから出血している人影は、ぐったりと倒れたままぴくりとも動かない。
その髪の色が輝かしい金色であることを理解した俺は、なんとなく状況を読んだ。

……あー…俺、名前ちゃんが会う前に先に会ったみたい。

頬にひび割れのような傷があるけれど、その表情は俺にそっくりだった。
倒れるその人の顔に自分の顔を近づけてジロジロと観察する。
頭の先からそれこそ爪の先まで。
俺の想像が正しければこの人は、名前ちゃんが無理をしてでも会いたかったその人なんだよね。

「…えーと、ひいじいちゃん?」

語尾は疑問形だったけれど、本当は分かっている。
この人が名前ちゃんの会いたかった“善逸じいさん”であることを。

ひいじいちゃんだとしたら、何故俺はじいちゃんの前にいるんだろう。
そして何でひいじいちゃんはこんなにボロボロなんだ。
愈史郎さんは何をしたんだ。

色々疑問点は思いつくけれど、この場所には俺とひいじいちゃんしかいないみたいだ。
もちろん俺たち以外何も存在していないのだから、そうなのだろうけども。
倒れてるひいじいちゃんの前に腰を下ろし、俺ははあ、と溜息を吐いた。

「見れば見るほど腹が立つわ」

自分でもびっくりするぐらい、そっくりなんだから。
髪はそりゃどうすることもできないけれど、俺だって脱色して染めればひいじいさんに瓜二つになるんじゃないかと思う。
マネキンのかつらをかぶっただけで名前ちゃんが驚くはずだ。
似てるからこそ、余計に腹立たしい。

しばらく起きそうにないから、起きるまでずーっと恨み節を呟いておこうかな。
それくらい許されるだろ、どうせこの後ひいじいちゃんは名前ちゃんと幸せに暮らすんだからさ。

まだ眠るその顔に舌打ちを零しながら、俺は思いのたけをぶち撒けることにした。


◇◇◇


ふと話し声がすぐ近くで聞こえた気がした。
元々眠っていても周囲の人の声は聞き取れる。
夢の中に意識を持ちながらも、声に集中する。
するとどうだろうか、最初は小声で申し訳なさそうに呟く程度だったのが、段々と苛立ちを含み声が大きくなる。
目を瞑っていた俺も、いい加減夢から醒めるくらいにはやかましい。
まるで伊之助を相手にしているみたいだ。
まあ、あいつのはただがなり立てているだけだけど。

うっすら瞼を開けてみた。
誰かが俺の体の前に腰を下ろしている。
そして、ぶつぶつと呟いている。


「大体さー…背は俺の方が高いわけじゃん? ちょっとばかりマッチョで金髪だからって顔はほぼ同じなのに、名前ちゃんはこんなのがいいわけ?」


その言葉の中に聞きなれた名前を耳にして、俺は目を見開いた。

俺が目を覚めたことに気づかない誰かは、そのまま続ける。

「俺の方が優しいって言ってくれたんだからさー…俺だって好かれる要素はあったと思うんだよね。はあ、ほんと恨むよひいじいちゃ…」

男の声は途中で途切れた。
目線が俺のそれと合ったからだ。

俺たちの間に何とも言えない空気が流れる。

先に口を開いたのは目の前の男だ。


「うわああああっっ!! 起きてんじゃん、起きてんじゃん!! 起きてるなら言ってよ!? なんで黙って目を開けてるの、こえーよ!!」


ぎゅいーんと後ろに後ずさりし、自分の心臓あたりを手で押さえながらはあはあと荒い呼吸を繰り返す男。
俺はゆっくり体を起こして、自然と自分の腰のものに触れる。

「ちょーっと!! ストーップ!! そんなもの俺に向けないでよ! どう見たってひ弱な人間でしょうよ!!」

まだ触れただけだというのに、男をビビらせるには十分だったらしい。
人間だなんてこと、そんなの寝ている時から分かっていた。
近くに鬼がいないこともわかっている。
だけども、目の前の男の装いからして、只者ではないことくらい、お見通しだ。

「待って待って! お願いだから、話を聞いてひいじいちゃん!!」
「……お前のひいじいさんになった覚えはないんだけど」
「無くてもそうなるの!! 未来のひ孫に刃物を向けないでくれよ! 名前ちゃんが泣くよ?」

「何で名前の名を」

地を這うような声が自分の口から出た。
他人の口から、しかも見知らぬ男の口から名前ちゃんの名前が出ただけでこれだ。
カチャリと日輪刀の柄に触れると「ひいいい!!」と男は悲鳴を上げた。

「よく見てこの顔!! なんか思うことない!?」

男は半泣きになりながら前髪を無理やりかき上げ、自分の顔を指さした。
俺は目を細め、じーっとそれを見つめる。

ぴくりと額が反応した。

自分でも驚いた。
男の顔はまるで鏡でも見ているような、俺と同じものだった。
奴の髪が黒いということが大きく違うけれど。

「言っとくけどねえ! 俺何も悪くないから! 悪いのはひいじいちゃんだから! 名前ちゃんを置いていくから、そのまま俺のところにやってきたんだからな!! それを苦労して帰したのに、こんな仕打ちあんまりだわ!!」
「……は?」

刀に掛けていた手の力が緩んだ。
泣き叫ぶように言う男の言葉。
それはどこか俺にも思い当たるところがあって、すべてを無視することはできない。
なんで、こいつ、名前ちゃんを置いて行ったことを知ってんの。

っていうか、大体ここはどこだ。
俺は無惨を倒すために地上に出て、それから伊之助たちと無惨に攻撃を仕掛けていたんじゃなかっただろうか。
ヘマして攻撃を食らった覚えはあるけれど、そこからは分からない。
きょろきょろと辺りを見回しても、意識を失う前のものとは全く違う。

「……俺だって好きでここに来たわけじゃないからさ、文句は愈史郎さんに言ってよ」
「愈史郎?」

知ってるでしょ、愈史郎さん。
男は先ほどまで泣き叫んでいたというのに、呼吸も落ち着いてきて。
そして重い溜息とともにそう呟いた。

愈史郎って、あの愈史郎?
鬼だけど俺たちの味方で、それから俺を助けてくれた、あの人。
脳裏に浮かぶは何故か隊服を身にまとったあの姿だ。

「俺の仕事は終わったんだよ、名前ちゃんは無事にそちらに帰したんだから、さっさと戻りたいんだけど、愈史郎さんが俺にも文句を言う時間をくれたみたいだからさ」
「…どういう、」

「手なんか離しちゃだめだよ、ひいじいちゃん」

俺の言葉を遮って男が口を開く。
そして、ゆっくりと立ち上がり、俺に近づいてくる。

「名前ちゃんに生きてて欲しかったのは良くわかるよ、でもね、彼女はひいじいちゃんと一緒に居たかったんだよ。一緒に死んだとしても、それでも」

男の言葉に俺は言葉を失う。
何で、まるで見たことがあるかのように言うんだ。
名前ちゃんのこと、知っているようなそんな口ぶりで。

コツコツと近づく足音が俺の目の前で止まる。


「だから、手を離しちゃだめなんだって。俺みたいなイケメンが名前ちゃんを狙ってるよ」
「…は?」
「まあ、それは冗談…ってもあながち間違ってないけど」


男はポリポリと頬をかき、気まずそうに笑みを浮かべる。
どことなく、その表情に名前ちゃんを感じた俺は、どうかしている。
どう見ても俺にそっくりなのに、なんで。


「お願いだから、ずっと幸せにしてあげてよ。あの子は幸せになるためにじいちゃんの横にいるんだから」


男の拳が俺の胸にぽすん、と当たる。
力の入っていないそれに痛みなんて感じない。
だけど、何故か胸に響いた言葉。

置いてきた時点で理解しているつもりだった。
俺が死ねば、彼女は俺の知らないところで笑って生きていくんだろうと。
幸せになるんだろう、と。

一時はそれを望んだ。
俺についてきて一緒に死ぬよりは、どこかで生きて幸せに暮らしてほしいって。
だけど、それを思い浮かべるだけで胸の中に広がるモヤモヤとした感情。
モヤモヤしているのは当たり前。
本当はそんなこと望んでいない。
俺のいないところで幸せになんてなってほしくない。

あの笑顔は俺の横で。


はっとして顔を上げたら、男はふうと息を吐いていた。

ったく、夫婦そろってひ孫に面倒かけないでよね、と呟いて。


「じゃ、俺は言いたいこと言ったから帰るね。名前ちゃんを泣かせたら、ひいじいちゃんの墓にしょんべんかけてやるから」
「……意味わかんねえ」
「そのうちわかるっての。じゃーね、ひいじいちゃん。……頑張って」


俺にくるりと背を向けて、振り返ることなく男は手を振った。
最後まで俺のことを、ひいじいちゃんと呼んで。

次に目を開いたときには、景色は違っていた。



全身に痛みは走るし、瞼を開けるのも勘弁したいくらいだった。
だけど、瞼を開けた先に見えた、泣きそうな表情を見て俺は心の底から安堵した。


「………名前、」


やっぱり君が傍にいてくれないと。



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