36. そりゃどうも


「炭彦」
「あ、善照」

俺は以前、名前ちゃんとお昼を一緒に食べたベンチで一人ぼーっと空を眺めていた。
そこにふらりとやってきたのが、にこにこと笑う炭彦だった。
炭彦は何も言わずに俺の横に腰を下ろし、俺の手からスナック菓子を一つ摘まんで口に放り込んだ。
もう肌寒いどころかそれなりに寒さを感じる季節だというのに、なんでこいつはこんなところにいるんだろう、と思うけれどすぐに俺を探していたんだなと自己解決した。

「苗字さんは無事に帰った?」
「ああ」

今度は俺の手にある菓子を盗んでいく炭彦。
そんなことしなくてもお前にやるよ、と袋をそのまま渡すと小さく「ありがとう」と炭彦が呟いた。

名前ちゃんがひいじいちゃんの時代に帰って、一週間になる。
あの後、ひいじいちゃんの前から消えた俺はそのまま元の愈史郎さんの家にいた。
愈史郎さんは「疲れた」と言ってさっさと俺を追い出したので、詳しく話を聞くことはできなかったけれど。
その表情は少し安堵しているように見えた。

それから俺はこうして一人で物思いにふけることが多くなった。
考えれば考えるほど、悲しいと思うし、寂しいとも思う。

俺の返答に炭彦もまた安心した表情を見せて「よかった」と言った。

「今は炭彦なの?それとも…」
「何度も言うけど、俺は炭彦だよ。炭治郎とは性格も違うし〜」
「わけわかんねぇ」
「だよね、俺もそう思う」

炭彦はそういうけれど、今感じる空気は炭彦の持つ空気とは少し違う気がする。
少なくとも名前ちゃんと俺の前で告白したあの日から、炭彦は俺に対して隠さなくなった。
それでいいと思う。
以前の炭彦も、今の炭彦も、結局俺にとっては何も変わらない友達だ。

炭彦は俺の顔を覗きこみ、視線を反らした。

「……名前ちゃんは幸せになったんだよね?」

気になっていたことを聞いた。
炭彦なら、炭治郎なら知っているはずだ。
俺は炭彦の口を見つめてごくりと唾を飲む。

「……善逸は、誰よりも名前の事を大切にしていた。それは名前もだ」
「ですよねー」

そんなこと聞かなくても分かっていたけどさ。

「いい夫婦だったよ、俺は最後まで一緒にはいられなかったけれど、きっと、ずっと」
「……それを聞けて安心したわ」

炭彦の言葉を聞いて、俺はベンチの背もたれに凭れるように深く座りなおした。
二人とも同じことを考えてるお似合い夫婦。

「名前ちゃんの名前言うだけでバンバン殺意飛ばしてくるようなひいじいちゃんが、名前ちゃんのために生涯つくさないはずもないだろうしね」
「……あぁ、善逸の嫉妬深さは誰よりも強いからな」
「あんな男に好かれて苦労したでしょ、名前ちゃん」
「どうだろうな」

ふ、と柔らかく笑う炭彦。
その目はどこか懐かしい光景を見つめているようだった。


「まあ、幸せでいてくれたなら、それでいいよ」


はぁ、と息を吐いた。
幸せになった、そう信じていたい。
彼女の望んだ未来が幸せの紡ぐ先だと。

「俺も最後の仕事をしないとなー」
「頼んだよ」
「わりと大役なんだよなぁ」

俺に残された仕事ってのは。
ポケットからぴらりと一枚の写真を取り出す。
それを炭彦が見つめて、こくりと頷いた。

俺はその場に立ち、ぱんぱんと尻を手で軽く叩いた。
気合を入れて最後の頼まれ事を遂行しますか。
ぐーっと空に向かって伸びをしたとき、ベンチに腰を下ろしたままの炭彦が口を開いた。

「善照」
「んー? 何」
「名前は、お前のことも、大切に思っていたよ」
「……嘘ばっか」
「嘘じゃない」

びっくりして炭彦の方を見ると、さっきまでの笑みは消えて、真面目な表情で俺をじっと見つめる炭彦。


「“俺”は、知ってるから、さ」
「あーそうでしたそうでした」


記憶のあるやつはいいねぇ、と嫌味のつもりで呟いた。
それでも先ほどより気持ちが楽になった。
こいつも良い奴だな、だからじいちゃんは炭治郎と仲間になったんだなと理解した。

なんだか炭彦にいいように扱われているような気がして、俺は唇を尖らせる。


「……俺にとっては、善逸も、善照も大切な友達だよ」


ぱくり、最後のスナック菓子を口に入れて炭彦が答えた。

だから、お前は良い奴なんだってば。
恥ずかし気もなくそういうことを言えるのがうらやましいよ。
俺は顔を反らして「そりゃどうも」というのが精いっぱいだった。


◇◇◇



放課後。
俺は一軒の家の前に居た。
震える指でインターフォンをならせば名前ちゃんと少しだけ似た声で「はい」と聞こえる。

「あ、我妻、です」

自分の名前を言うのがこんなに緊張したことはない。
インターフォンの向こうではすぐに「ちょっと待っててね」と聞こえ、しばらくすると目の前のドアが開けられる。
驚いた顔を覗かせた名前ちゃんのお母さんは、そのまま家の中へ入れてくれた。

リビングに案内され、以前座った場所に俺は恐る恐る座った。
俺の目の前をうろうろと忙しそうに歩く名前ちゃんのお母さんを見ながら、俺はどう切り出せばいいのかと頭に巡らせていた。
色々考えていたら、いつの間にか俺の目の前にことり、とお茶を置いてくれる。
向かいの椅子に名前ちゃんのお母さんが座って、俺を優しく見つめてくる。


「……ありがとう、我妻くん」


そして、俺は言われると思わなかった一言を聞いて、思わず目を見開いた。



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