37. それぞれの行く末
「…そんな、礼を言われることなんて」
一瞬何を言われたのか理解できなかった。
それでも名前ちゃんのお母さんは穏やかに「ありがとう」と言ってくれた。
この、俺に。
恨まれていると思っていた。
恨まれるぐらい酷い事をしたと。
自分の娘を二度と会えないようにした、男。
その子孫である俺。
勿論、俺自身もあの時代に名前ちゃんを帰すために協力したわけだから、恨まれて当然だ。
そう思っていたのに、まさか礼を言われるなんて。
「あの子のわがままに付き合ってくれて、ありがとう」
ふるふると顔を横に振って、名前ちゃんのお母さんは笑った。
まるで小さい子が可愛いわがままを言ったような、そんな言葉で。
もう二度と会えないというのに。
「我儘じゃない、です。俺も名前ちゃんのためにしてあげたかった、から」
俺は、俺が望んで手を出したことだ。
本心ではあの時代に戻ってほしくなかったけれど、それでも名前ちゃんの為にそうしたかった。
それは決して我儘なんかじゃない。
「……優しいのね」
そう言って名前ちゃんのお母さんは視線を落とした。
俺は何といえばいいのかわからなくて、ただ出されたお茶を見ていた。
「あの子が、戻ってきたとき、私は心底安堵したの」
「……」
「でもね、あの子の瞳は私たちを見ていなかった」
「…でも、」
決して名前ちゃんは家族に会いたくないわけじゃなかった、と喉のすぐそこまで出ていた。
が、名前ちゃんのお母さんは分かっているとばかりに頷く。
その表情はやはり哀しみを帯びていた。
「分かっていたのよ、あの子の大切な場所がどこなのか」
それでも、手放したくなかったの。
名前ちゃんのお母さんの手が僅かに震える。
なのに、その視線はしっかりと俺を見つめていた。
「貴方が、この家に初めて来たときに分かった。きっと名前はいつか、私の傍から消えてしまうって」
「…俺が、じいちゃんとそっくりだから」
「そうね、本当そっくりね」
ふふ、と哀しい笑みがそこにあった。
名前ちゃんのお母さんはひいじいちゃんを夢で見たそうだ。
俺を見るだけでも嫌な気分になるだろうに。
名前ちゃんのお母さんはそのまま、ふう、と息を吐く。
「名前を幸せにしてくれたかしら」
過去形。
もうこの世に名前ちゃんが存在しないことをわかっている、言葉。
俺はぎゅうっと自分の拳を強く握った。
「幸せだった!!」
思わず大きい声が出た。
名前ちゃんのお母さんが驚いたようにぱちぱちと瞬きをする。
「幸せだったんです、名前ちゃんは…幸せに、幸せにならないといけない」
自分だってその目で見たわけじゃないのに、断言した。
炭彦から言われて確信はしたけれど、絶対幸せだったって分かってた。
俺は自分のポケットから一枚の古い写真を取り出して、名前ちゃんのお母さんの前に置いた。
不思議そうに写真を覗き込む、名前ちゃんのお母さん。
「じゃないと、こんな顔しないでしょ」
名前ちゃんのお母さんは、写真に写った名前ちゃんの晴れ姿を見て、段々と瞳を潤ませていく。
先ほどより震えた指先がゆっくり写真に触れた。
「……こ、れは」
「俺の家にあった、ひいじいちゃんとひいばあちゃんの結婚の写真です」
「…あ、あぁ…約束…」
名前ちゃんのお母さんの瞳から零れ落ちる大粒の涙。
それはテーブルの上にぽたぽたと落ちていく。
「名前ちゃんが、お母さんにって俺に伝言を」
「……あの子、っ…約束を覚えて…」
くちゃりとお母さんの顔が歪む。
写真を持つ手が優しく名前ちゃんを撫でる。
名前ちゃんとの間に何があったのかは知らないけれど、きっと名前ちゃんの望みが叶ったんだと理解した。
写真を見つめて泣くお母さんの前で、俺も静かに涙を流した。
仕事はしたからね、名前ちゃん。
返事がない事は分かっていたけれども、心の中でそう呟いた。
「我妻くんは私の玄孫なのね」
「家系図がわけわかんないことになってますけど…」
「言われてみると確かに名前に似ているような気がするわ」
「本当ですか!?」
「……多分ね」
似ている、と言われて嬉しくなった俺はずいっと前に出て、きらきらした目で尋ねた。
若干引きつった笑みを見せつつも名前ちゃんのお母さんはコクコクと頷く。
「また、遊びに来てね」
「……いいんですか? 俺は…」
「私にとって孫みたいなものでしょう?」
ほんの少し腫れた目で優しく微笑まれて。
俺は心の靄が晴れるような気がした。
また泣きそうになるのを必死に堪えて、俺は玄関ドアに手を掛けた。
◇◇◇
「なんでそんな難しい顔してるわけ?」
私を抱く善逸さんが不機嫌そうな声を上げる。
はっとなって、善逸さんを見たら、思った通りご機嫌斜めだ。
「俺さ、さっき一世一代の告白をしたところだよね? 険しい顔されると色々傷つくんだけど」
「……それは大変申し訳ないですけれど、こちらもやっと理解したところでしたので…」
「意味わかんない」
「でしょうね」
私の頬をぶちゅ、っと両手で潰す善逸さん。
確かにプロポーズを受けた直後の表情ではなかったことは認めましょう。
それでも私は今やっと、すべてを理解したんです。
この答えが間違っている可能性も無きにしも非ずですけども。
「お願いがあるんですけど」
今だ私の頬を潰して遊んでいる善逸さんの手を止めて、じっとその琥珀色の瞳を見つめた。
「何」と不思議そうな顔で、今度は私の髪を撫でる善逸さん。
「言っとくけど、結婚したからと言っていい生活は保障はしないからね。俺だって今、無職なんだからさ」
「それは別にどうでもいいんですけれど、こればかりは譲れなくて」
「別にどうでもいいってどんな感性してんの!? 生活できないよ?」
「善逸さんと私がいればどうとでもなりますから」
そうでしょう、と呟くとぐ、と言葉に詰まる善逸さん。
その表情が薄っすら赤らんでいるのを見逃さなかった。
「……お願いって何?」
視線を私から外し、ぽりぽりと頬をかく。
照れ隠しの行動に思わず笑みが零れた。
「名前を、」
「名前?」
首を傾けた善逸さんの髪を撫でる手が止まった。
「ひ孫の名前は私が決めていいですか?」
まあ、こればっかりは許可されなくとも勝手に名付ける予定ですけれど。
善逸さんはぽかんと口を半開きにして「ひ孫?」と呟く。
「ええ、ひ孫です」
「自分の子供じゃなくて?」
「はい」
「何でひ孫なの?」
「それはおいおい。何が何でも私が決めますので」
「…は、はぁ…?」
怪訝そうな顔で見つめられても、私は譲りません。
その時が来たら、私はその名で呼ぶと決めている。
今までで出会った人の中で一番、優しい人の名前を。
きっと、そうなんだろう。
間違っているかもしれない、でもきっとそうだ。
あの人を見て心に沸いた懐かしいような愛しい気持ち。
恋ではないけれど、あれはきっと愛だった。
ねえ、善照さん。
私は絶対に、貴方に会いに行きますよ。
「よくわかんないけどさ、子作りには積極的だと捉えていいんですか?」
善逸さんの指が私の耳を意味ありげに撫で上げる。
ぞくりと背中に悪寒が走ったので、慌てて逃げようとしたけれど無駄だった。
◇◇◇
「あー…つっかれたぁ」
名前ちゃんの家を出て、俺はこれでやっと肩の荷が下りたと実感した。
寂しいと思っていた感情も家に行く前よりは折り合いついたようだった。
茜色の空に向かって大きく手を伸ばす。
何を掴むわけでもないのに、伸びた手は一瞬何か触れたような気がして。
でも、そこには何もなくて。
「…俺も、」
会えるだろうか。
もう一度、あの子に。
名前ちゃんはこれからきっと俺に会うだろう、何もわからない俺に。
でも、俺はもう…。
ぎゅっと空を掴んだ。
こうなることは分かっていたのに、俺ってば女々しい男だなぁと思う。
まあ、もうしばらくはこの気持ちに付き合っていこう。
またあの笑顔を見れる、その日まで。
空に視線をやっていて、気づくのが遅れた。
ドン、と真正面から俺にぶつかる人影に。
「あ、ごめんなさい!」
ぶつかった本人はすぐに気づいたようで、俺の前でぺこぺこと頭を下げている。
俺もゆっくり視線を下げて、ぶつかったその人に目をやった。
俺よりも小さい体の、ショートカットの女の子だった。
歳は同じくらいに見えて、下げていた頭が突然上がった。
その子の顔を見て、俺は目を見開いた。
「全然前を見てませんでした…どこかケガしませんでしたか?」
心配そうに上目遣いで俺を見る女の子の耳に揺れる、淡い緑の石。
そして、何よりその顔はどことなく…。
「……え、っと」
何の言葉も発しない俺に女の子の顔から冷や汗が噴出してくる。
そんな様子の女の子に俺はなんとか言葉を紡ごうと、無理やり口を開いた。
「あのさ、」
ぶつかってすぐにこんな事言うなんて、変人だと思われるかもしれないけれど。
「ねえ、名前教えてよ。何ちゃん?」
今度は泣き顔じゃなくて、笑顔で答えてほしいな。
あとがき
善照先輩と一緒に登校します、これで完結です!
番外とは思えないくらい長いお話にお付き合いいただきありがとうございました。
原作最終話でちょろっとしか出てない彼らをここまで引っ張って書くことができました。
番外を書いていなかったら、善照の事ここまで好きになっていなかったと思います笑
最後は賛否あると思いますので、女の子が誰なのかは言及しないでおきます。
少なくとも同一人物ではないので、皆様の想像で補完頂きますようお願い申し上げます。
善照が可哀想すぎて幸せにしたい。
……絶対短編書く絶対短編書く絶対短編書く(怖)
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました!