15

 あたしの中で賭け事のイメージといえば、開拓地の隅で大人が集まってやることだ。負けた人間は顔面蒼白になって全てを失う。逃げ回ったら、再起不能になるまで暴力に晒されて、廃人同然になって何処かに連れていかれる。良いイメージは一切なかったし、誘われてもやらないと決めていたのだけど。食堂で座学の教科書を広げていたら、サシャとコニーに見つかってしまった。それも、ババ抜きの相手を探していた最中の二人にだ。休日に実家へ帰省したトーマスが兵団に寄贈してくれたトランプで、数少ない娯楽に訓練兵の間でトランプを使った遊びが流行った。夕食後に大人数で盛り上がるといったことが連日続き、一通りの遊びを経験すると、トランプ人気は下火になる。物置から見つかったチェスへ人気は取って代わられ、トランプは使われなくなっていった。それに目をつけたのがサシャだ。エレンとジャンの喧嘩の勝ち負けで支給されるパンを巡った賭けが従来のやり方だったが、エレンが対人格闘術の成績をメキメキと伸ばすので賭けにならなくなってきたらしい。トランプを持ったサシャの誘いは断れ、が暗黙の了解になってきた頃、教科書を読み込んでいたあたしは気が付かなかった。油断していた隙に席から立たされないよう、二人に囲われて動けない。一回だけだ、と頭を下げるサシャにあたしは渋々勝負を受けることにした。あたしはサシャに弱い。パンをあげてアニに怒られてからも、サシャが強請るような視線で涎を垂らしているとつい、甘くなってしまう。そこまで空腹感を感じていなかったのもあるけれど。
 結果としては、あたしの圧勝だった。トランプを握りしめて咽び泣くサシャを気の毒に感じて二戦目。またもや、あたしはあっさりと勝利。自分のパンを失って三度目の正直だと縋り付いてくるサシャに押し切られて再選。勝敗がついて、机に突っ伏しているのはサシャだった。

「なんでッ、なんでそんなに強いんですかぁ!」
「お前……マジで才能あるんじゃねえの」
「あ、あるかも……」

 愕然と呟いているのは人数合わせとしてサシャの賭けに付き合っていたコニーだ。信じられない、とでも言いたげな瞳で見られても自分にも原因が分からない。みんなが遊んでいるのを遠巻きに眺めていたけれど、サシャはその中でも強い方だったはず。普段からサシャの直感や野生の勘には助けられてきたので、それが関係しているのか定かではないにしても、あたしがサシャに三回も連続で勝利してしまったとは驚きだ。

「ノエルなら……ぼんやりしてるからチョロそうだと思ってたのに!!」
「聞こえてるよ……?」
「サシャ、相手が悪かったな」

 机に勢いよく拳を叩きつけたサシャが頬に涙を滴らせながら、悔しげに叫んだ。隣のコニーはまるでサシャを労るような声を掛けて励ましている。まるで、血も涙もない悪党になった気分だ。そもそも、誘ってきたのはサシャだけれど。

「おー、何だ。芋女泣かしてんのか?」

 机に張り付いて咽び泣いているサシャにパンは返すから、と口を開きかけて足音が聞こえてくる。反射的に顔を向ければ、ユミルとクリスタがこちらに近づいてきているところだった。

「ノエルが強すぎるんですぅう!」
「サシャはコテンパンにやられちまって、この通りだ」
「えっ、そうなの?」

 コニーが状況を説明すると、ユミルの後ろを着いてきていたクリスタが、ひょっこり顔を覗かせて言う。以外そうな表情をしていて、心底あたしもクリスタと同じような気持ちだ。普通に三連勝するならまだしも、サシャの心が折れるくらいの圧勝を連続でこなせてしまった。

「なんか、そうみたい」
「カモだと思ってたお前がまんまと負けちまったのか。こりゃ傑作だな」
「うわああああああ」

 ユミルの意地が悪い一言はサシャの心を的確に突いたらしかった。パンを失ったサシャの心は脆い。顔を上げかけていたサシャが再び、机に向かって唸り声を上げている。あまりにも悲痛そうな声なので、パンはいらないと伝えたいのだが、あまりの形相に声を掛けあぐねる。サシャが落ち着くまでそっとしておいていると、ニヤニヤと笑みを浮かべているユミルに対してクリスタが頬を膨らませた。

「ユミル!」
「何だよ。あいつが吹っ掛ける相手を間違えるのが悪いんだろ」

 ユミルは顎先であたしを指しながら言った。まるであたしが圧勝することを予測していたような言い方に、あたしもクリスタも首を傾げる。
 
「こいつは嘘つくのに慣れてやがるからな」

 ドクン、と心臓の鼓動が体の中でやけに大きく響いた。あたし以外はユミルの言葉を聞いても、ピンときていない表情をしている。それにホッとしつつもユミルと視線を合わせたら、目を細めた後にすぐ逸らされてしまった。席から大股で立ち上がったユミルはサシャの頭を軽くノックしている。

「最も、お前の頭が空っぽなだけかもしれねえが」
「じ、じゃあ!そういうユミルがノエルと対戦してくださいよ」

 自分の頭で小気味良い音を鳴らされていたサシャはその手を払いのけて、とんでもないことを口走った。背筋がサッと冷たくなるけれど、ユミルの顔が迷惑そうに歪んでいたのでホッと肩の力を緩める。
 
「私が?何でそんなこと面倒くせぇことしなきゃなんねえんだ」
「の、ノエルに負けるのが怖いんですか……?」
「さ、サシャ!?」

 このまま何事もなく終わってくれと祈るあたしを前にして、あろうことかサシャがユミルを挑発したのだ。雲行きが怪しくなったのはすぐにわかって、サシャの肩を掴むも時既に遅し。元の席に座りかけていたユミルが、戻ってきて言った。
 
「チッ、じゃあ。こうしようぜ」

 ユミルの口が愉快そうに吊り上がっている。さっきサシャを揶揄っていたような、何かあたしたちにとって都合の悪いことを思いついた時にする表情だ。
 
「負けた方が、上官の食糧庫に入って肉を勝者に献上する」
「ええっ!?」
「に、肉……!!肉ですか!?」

 予想していた通りの提案だった。ただでさえ、鈍臭いあたしが盗みに入れるとは思えないのにもし見つかったら罰則は免れないだろう。通過儀礼で芋を食ったサシャのように限界まで走らされる自分の姿がすぐに浮かんだ。
 
「む、無理だよ!無理」
「ああ?どうだよ、ビビっちまったか」
「ビビるっていうか。あ、あたしは肉食べなくても……」

 冷静になれば、あたしがこのゲームに参加する必要は一切ない。サシャが言い出したことだし、あたしは特別食に拘ってもないのだ。肉が食べられたら、天にも登るような美味しさなのは知っている。壁が破壊されて以来食べていないので、鮮明に味を思い出すことは難しい。もし、あの三人と肉を食べられたら、それはもう幸福に違いないだろう。味の薄いスープよりも、美味しいものを食べて欲しい気持ちも十分ある。それでも、あたしにとってリスクがあまりに大き過ぎた。
 
「おいおい!熱い戦いになってきたじゃねえか」

 あたしを置いてきぼりにして、コニーやサシャはやる気のようだ。コニーが捲し立てている横で、すっかり肉に意識を移したらしいサシャが涎を垂らしながら何かを呟いている。アニが野生の生き物と呼称するのも、あながち間違いではないと思った。
 
「ユ、ユミル!そんな条件……」
「安心してくれ、クリスタ。肉は分けてやる」

 唯一、あたしを心配そうに見つめてくれるクリスタがユミルに引き寄せられて頭を撫でられている。胸元で抱え込まれたクリスタのぐぐもった声が聞こえて、助け出そうと腰を浮かせたあたしにサシャが飛びついてきた。
 
「ノエル、もし勝ったら私にも分けてくださいね!ねっ!」
「そ、それは良いけど、まだ……」

 サシャは先程までが嘘のように目を輝かせて両手を握ってくる。肉のことを考えて力んでいるのか、掴まれている部分が痛い。顔を寄せてくるサシャとは反対方向に体を逸らしていたら、ユミルが顎を触りながら思い起こすように呟いた。

「そういや、この間ライナーが肉喰いてえってほざいてたな」

 ユミルの一言で、みんなと肉を食べている光景がより一層眩しさを増す。嘘でも本当でもあたしにとってその効果は絶大だった。どのみち、既に肉を食べられると思っているサシャの拘束から逃れられそうになかったし、勝負にさえ勝てればいいこと尽くめであることは間違いない。
 
「……乗った」
「へえ、度胸あんじゃねえか」

 あたしはユミルの挑発的な視線に深く頷いた。サシャに運よく三連勝していたあたしは自分の力を過信していたのだ。お互い、向き合って席に座ってユミルがカードを混ぜ始める。不安げなクリスタに見守られつつ、勝負が幕を上げた。賭け事をしないと決めていた自分は、もうどこにもいなかった。

「――私はこれで上がりだ。残念だったな」

 嫌な予感を感じ取ろうとすらしなかった数分後。ユミルの指先で滑らされたトランプはあたしの敗北を示していた。最初はあたしが優勢だったものの、ユミルが運を引き寄せて勝ちまで持って行かれてしまったのだ。大敗ではない、大敗ではないにしても。敗北の二文字を突きつけられたあたしの頭にあるのは、罰ゲームだけだった。

「嘘つきの顔は見慣れてるんだよ」
「ノエル。元気出してください……私のパンもついでに返してください」
「それはだめ……」
「えっー!?困りますよぉ!!」

 トランプを投げ出して、今度はあたしが机に突っ伏す。今になって、ことの重大さが肩に重くのしかかる。数分前の自分を殴ってやりたい。パンは返すつもりだったのに、元凶のサシャを見たら意地悪したくなってしまった。大声をあげて仰天しているサシャには申し訳ないが、少しだけ気分が晴れいく。

「そ、そのぉ……ユミルが肉を分けてくれたり……」
「こいつが献上する分はあたしとクリスタで堪能させて貰う」

 頼みの綱も失って真っ白になったサシャが足から崩れ落ちたのをコニーとクリスタが支える。耳元でクリスタが、分けてあげるから、と呟いているのを耳にしたけれど、ユミルにも聞こえていたらしく釘を刺されていた。

「そもそも、こいつが肉を盗れたらっつう話だけどな」
「うっ……本気でやんないと、だめ?」

 上官の食糧庫に盗みに入るなんて、それこそサシャくらいしか試みた試しがないんじゃないだろうか。ユミルが許してくれる希望を抱いて恐々としながら尋ねるけれど、ユミルはあたしの思惑を一刀両断した。
 
「当たり前だろ。さっさとやるぞ」
「い、行きたくないです……」
「あ?ほら、やるんだよ」

 抵抗の甲斐も虚しく、首根っこを掴まれて引き摺られていく。クリスタが呼び止めても、ユミルの足は止まることがない。あたしは正しかった。すぐに調子に乗ってしまう癖があるのだから、するべきじゃないんだろう。もう、賭け事は懲り懲りだ。ユミルに連行されながら、あたしはそう心に決めたのだった。