16

 皮が剥けて綺麗な状態になった芋を、水で軽く洗って調理用の樽に投げる。この作業を、あたしは何回やったんだろう。前屈みになって作業するので骨が凝り固まっていて、僅かに背を伸ばしただけなのにバキバキと嫌な音がする。瞼を閉じたら、脳裏に映るのは昨日の夜の映像だ。罰ゲームでユミルに連れて行かれたあたしは、上官食糧庫の前で躊躇していた。放置されていたランタンを持たされて、とても楽しそうなユミルに背を押される。二度目の命乞いもユミルにあえなく却下されてしまい、意を決したあたしは唾を飲んで誰もきていないことを確認した。食糧庫の扉に手を掛けて、その中にある豪華な食材たちを目にした瞬間。強い力で肩を掴まれた。ユミルかもしれないなんて期待する暇もなく、鬼のような形相をした二つの目玉と目が合ったのだ。あの光景をしばらく忘れられそうにない。ここ最近で一番怖かった。

「腕がぁ……腕が取れる……」

 あたしは芋の皮をナイフで剥いて、芽を取りながら泣き言をあげた。皮剥きなんて大したことないと思ったら、大間違いだ。芋は芽が残ってはいけないから、丁寧にこなさなければいけない。大胆に剥いて食用に投げたっていいんだろうけど、それで誰かが腹を壊しても嫌だった。
 
「その量やってりゃ、まあそうなるよな」

 同情の声を投げかけてくれたのは同じく罰則組のジャンだ。エレンと喧嘩して騒ぎを起こしていたところ、教官に発見されて二人仲良く罰則を受けている、といったところだろうか。あたしと二人の違いは、後ろにある樽の量だ。二人の量に比べて、あたしは二倍くらい多かった。どれくらい溜まったのかは、怖くて確認できない。
 
「ノエルは何したんだよ」
「上官の食糧庫に入って肉を盗もうとした」
「うわ、やばいだろ。それ」

 エレンの問いに淡々と答える。後悔を通り越して、悟りを開いてきたところだ。そういうこともある、うん。人生ってそんなもんだ。脳内で何かと理由をつけて、現実逃避をしても芋は減らない。
 
「んなサシャみてぇなことを何で」
「ユミルと賭けに負けちゃったんだよ」

 口に出すと、あたしがいかに愚かだったかが良くわかる。賭けに負けて、不利益を被って。開拓地で見てきた人たちとやってることが何も変わらない。アニにも、自業自得だ、と正論を言われてしまうし。本当に、あたしは何やってるんだろう。力無く投げた芋が樽の淵にあたって、転がる。重い腰を上げて芋を拾いながら、エレンたちにも聞いてみた。
 
「二人は?」
「俺は死に急ぎ野郎に巻き込まれてとばっちりだ」
「テメェが調査兵団を馬鹿にしやがったからだろうが!」

 やれやれと呆れているジャンにエレンが食いかかる。その拍子にエレンが落とした芋が靴に当たったので、ついでに拾い上げて椅子に座った。罰則中でも喧嘩できる元気を羨ましく感じつつ、二人に注意を促す。
 
「二人とも。また騒いで見つかったらあたしと同じ量剥かなきゃいけなくなるよ」
「ッチ……」

 あたしの後ろに佇んでいるであろう、恐ろしい大きさをしている樽を指差す。流石の二人でも、あたしと同じ運命は辿りたくないようだ。ジャンの舌打ちをしてから、二人とも声を荒げることはなかった。年中喧嘩している二人を黙らせられる量、考えただけで頭が痛くなりそうだ。絶対、後ろを振り向かないようにしよう。
 
「で、お前はなんでユミルの賭けに乗ったんだ?」
「ライナーとか、みんなで肉食べれたらいいかなと……思って……」

 それが、夢のまた夢だったのは言うまでもない。何かをする前は、いくらでも話を大きくできるのだ。あたしは欲望に負けたから、芋の皮剥きに追われている。

「やっぱお前馬鹿なんじゃねぇの」
「うん……」

 傷心中の心にはジャンの正論が深く突き刺さった。言い返す言葉もないので、押し黙って皮を剥いている手に視線を落とす。ナイフの先で芽を抉り取っていった。この作業に慣れたら、いつか役立つ日が来るんだろうか。

「ミーナを助けた時といい。変なとこで思い切りがいいんだよな、ヘタクソは」
「え、えへへ」
「褒めてんじゃねぇよ」
「え……」

 ジャンが褒めてくれたんだと勘違いして、照れていたら手のひら返しされてしまった。呆然としたあたしの顔が面白かったのか、ジャンがニヤニヤ笑い出す。文句の一つでも言ってやろうと、口を開きかけてエレンの声に割り込まれる。

「ッ痛ぇ!」

 エレンが指を押さえている部分から、血が流れ出ていた。見ているだけでチクリと刺すような痛みを思い出してしまって顔を顰めてしまう。
 
「お、なんだ。死に急ぎ野郎はナイフ捌きも大したことねぇな」
「うるせぇよ」
 
 茶化したジャンに向かってエレンが鬱陶しそうに声をあげる。あたしは身近に合ったバケツを手に取った。蛇口に近づけて、清潔な水がたっぷり入ったバケツを持つ。
 
「エレン、水で流しな」
「っああ。助かる」

 エレンに怪我をした指を差し出してもらって血を洗い流していく。傷は深くないようで、水をかけたら血は止まっていた。ついでに血がついた芋も軽く洗ってから、エレンに手渡す。あたしが簡易的な椅子に腰を戻してからは三人ともほとんど何も話さなかった。
 
「こんだけの芋をどうやって消費するってんだ……」

 疲労が蓄積してきたんだろう、心底うんざりした声色でジャンが言う。訓練兵団の人数が多いから、あたしと二人の分を合わせたら、三日四日程で食べきる量なのだろうか。残った芋だけ干すんだろうか。どっちにしろ、芋三昧なのには違いない。
 
「しばらくは芋のスープだろうね」
「ケッ、あの味が薄いスープが続くのかよ」
「調味料を多めに入れても薄くなるんだよなぁ、あれ」

 訓練兵団特製のスープを改良してやろうと、食事当番の際にこっそり調味料を二倍にしたりしていたのだけど、芋には染みずにスープばかり塩っぽくなるのでやめてしまった。

「そもそも、レシピと材料が微妙なんだろ」

 ジャンの予想はきっと正しい。ほぼ芋だけ入ったスープの出汁が塩胡椒だけなのがおかしい話で、肉の骨でもいいから用意してくれればみんなの食生活も改善するのに。毎食ご飯があるだけで幸せなのは自覚していても、人間の欲望は止まることを知らないらしい。
 
「ヘタクソが盗みに入った気持ちは分からなくもねぇな」

 ジャンが皮剥きの手を止めて、頬杖をつく。ぶらぶらと手首を揺らしたジャンは腕を伸ばして大きく背伸びをしてから続けた。

「育ち盛りだってのに肉の一切れも食えりゃしねぇんだ」

 ジャンの言葉はあたしがみんなに肉を食べさせたかった理由でもある。育ち盛りの時期に肉が食べられない訓練兵団の環境はもしかしたら、致命的かもしれない。毎日支給されるのが理想的でも、それが叶うことはないだろう。
 
「内地の奴等が訓練兵団にもっと投資してくれりゃあいいのにな」

 エレンの投げた芋が勢いよく樽に消えていく。内地か。あたしは内地に行ったことがないけれど、壁内のシステムは知っている。壁内の内側にいくほど、人々は肥えて煌びやかな生活を送っていることを。巨人と隣り合わせである不安もなければ、危機感が薄くなって兵団に投資しないのは必然的になる。

「あいつらは自分を肥えさせるのに必死だから、オレたちのことなんか目に入ってねぇんだよ」

 エレンの言葉に則って、内地の景色を想像してみる。横に広い人間や小綺麗な人間が入り浸る内地。変革を求めず、人類の未来を放棄して自分の幸せだけを追求できる人生。口には出さなかったけれど、それはそれで羨ましいかもしれない。人間は自分が不利益を被らなければ、いつまでも他人事でいられるのだから。
 
「おい、ヘタクソ」
「はっ?」
「顔を見ろ、顔」

 エレンの声を聞きながら、ぼんやりと皮を剥き続けていたところで、ジャンがあたしに声をかけた。思考の海に沈めていた意識を引き上げて、指を指された部分に手を伸ばす。

 「え……わー!!!」

 無意識のうちにナイフを手元で弄んでいたからだろう。顎あたりに触れた指先がどろりとした感触に包まれる。スッパリと縦に切れた傷跡から、血が流れていた。

「お前まで……何やってんだよ」
「大丈夫なのか?」
「う、うん。傷は浅いみたい……」

 何度か触って確かめつつ、エレンにした時と同じように清潔な水で洗う。刃物で切った特有の刺すような痛みがしているけれど、血もすぐに止まっているので平気だ。

「よう、罰則組」

 汚れた芋を水で洗い流していると、ガタイのいい体が片手をあげて入ってきた。その後ろから、目立つ長身の彼がついてくる。食事当番にしては時間が早いけれど、顔を見せにきてくれたようだ。
 
「んだよ、ライナー。冷やかしに来たのか?」
「半分正解だな。ノエルが今日罰則を受けるっつうのを聞いてたから早めに来たんだよ」

 今朝から様子のおかしいあたしを気にかけてくれたライナーに罰則を伝えたのだ。アニにはバッサリと切られてしまったことも、ライナーはうまく慰めてくれてメンタルが少し回復した。

「……ノエル。その傷はどうした?」
「ヘマして切っちゃったんだ。浅いし、痛くないよ」
「お前も兵士なら、ナイフを扱うのにも気を引き締めないとな」

 あたしに寄ってきたライナーがあたしの頬に手を添えながら言った。ご尤もな意見だ。ナイフと言っても、立派な凶器。乱暴にあつかえば、無駄な怪我をしかねない。

「一応、後で救護室行くぞ」
「ええっ、そんな大袈裟さな」

 このくらい唾でもつけとけば治るんじゃないだろうか。あたしがブンブンと首を横に振っても、ライナーの決意は崩れないようだった。

「お前の顔に跡が残ったら大変だろう」
「少しくらい良いのに…」

 顔に傷跡。むしろ、歴戦の猛者のようでかっこよくないだろうか。正体は手元をよく見ていなかった単なる不注意の傷だけど。
 
「駄目だ。わかったな、ノエル」
「もう、分かった。分かったよ。ライナー、仕方ないなぁ」

 凄んでくるライナーの表情から伺うに、説得は難しそうなので、わざとらしく譲歩する。そんなあたしにライナーは一仕事終えたみたいに、強く頷いた。
 
「よし」

 ライナーがあたしの頭に手を乗せて、ぐちゃぐちゃに撫でる。それが心地よくて目を細めていたら、ライナーがもっと撫でてくれた。

「こいつら、昔からこうなのかよ。ベルトルト」
「ライナーはノエルに対してはああなるんだ……」
「ああ、やっぱりな」
「やっぱり?なにがやっぱりなんだよ」

 ライナーの大きな手のひらが頭を往復している間に、何やら騒がしくなってきた。名残惜しさを感じつつも、ライナーの手から離れる。きょとんとした表情のエレンと一緒になって、あたしもジャンに問いかけた。

「なになに、何の話?」
「うるせー!見せつけられる俺の気にもなれ」

 口を尖らせたジャンが乱暴に言い返す。一体、何がジャンの気に障ったのかさっぱりだ。エレンもあたしと同じ思いのようで、急に不機嫌になったジャンを真顔で問いただす。
 
「は?何言ってんだ」
「もう黙れ、お前ら!」

 もう耐えきれないと言わんばかりの表情でジャンが言い放つ。こうなって仕舞えば、原因を聞くのは難しいだろう。あたしとエレンは原因不明の怒りを前にして顔を見合わせた。ピリピリしているジャンを刺激しないよう、静かに椅子へ腰掛ける。二人が訪ねてくれたのは嬉しいけれど、芋の数は減っていないのだ。談笑に花を咲かせたいところだけど、罰則からは逃げられない。剥きかけの芋を手に取って、あたしはナイフを滑らせ始めた。
 
「その、ノエル……もしかして、この樽は全部ノエルの?」
「うん」

 ベルトルトの言葉に手を動かしつつも頷く。席に戻る際、あたしも不意に目に入ってしまった。今まで剥いてきた芋が到底足りていない様子を。まるで、底がないみたいに樽は殆ど貯まっていなかったのだ。これを満杯にして樽二つ分剥かなければならない。罰則に課されたのは一人で到底終わらない量だった。
 
「まだ全然終わってねぇな」
「う、それ聞きたくなかったかも……」

 ライナーが樽の中を覗きながら言うので、心がズンと重くなる。このまま行けば、訓練兵団で一番芋を剥いたのはあたしになるだろう。ついでにナイフの扱い方も上手くなりそうだ。嬉しくない称号に芋を剥く手が遅くなる。

「おし、俺たちが手伝ってやる」
「え、いいの……?」

 半ば虚無状態でひたすらナイフを動かしていたら、ポンと肩を叩かれた。俯いていた顔をあげた先には、兄貴分の名に相応しい顔をしたライナーとベルトルト。まさに、絶望の中に差し込んだ一筋の眩い光だった。

「ベルトルトもいいよな」
「え、うん。まあ……いいよ」

 ライナーが振り向いて聞くと、あたしから樽へと目を向けたベルトルトは縦に首を振った。三人もいれば、話は変わってくる。このまま芋剥きを続けるつもりだったあたしは、思わぬ救世主に言葉を失ってただひたすらに合掌した。誰かが言っていた、持つべきものは友だ、と。

「は、狡ぃぞ。ヘタクソ!」
「ノエルはオレらの二倍ぐらいあんだから丁度いいだろ」

 ジャンの言うことは正しいけれど、今回ばかりは言い返してくれたエレンに感謝した。本来なら一人でこなすべきなのに、これからの作業を想像するとライナーの申し出を断る選択肢は頭の中になかった。
 
「俺らが手伝う代わりに、ノエルは食事当番に手を貸してくれよ」
「うわーん、神様、ライナー様!ありがとう!!」
「ははっ、そんな煽たって何も出ないぞ。ノエル」

 ライナーに飛びついて、頭をぐりぐりと押し付けながら心から感謝を告げる。やるはずだったことに比べれば、食事当番なんて比べ物にならない。ライナーとベルトルトの二人と料理するのは、それはそれで楽しそうだし。いいこと尽くめでしかなかった。ライナーとハグし終わったら、ベルトルトにも腕を回して精一杯抱きしめる。
 
「ベルトルトも!」
「また君は調子がいいんだから……」
「いやあ。このままじゃ、徹夜で皮剥きだったからね!!」

 一人だったら、食事はおろか。睡眠すら取れなかった可能性があった。あたしのはしゃぎようが忙しないのは分かっていても、喜びを体で表現するのをやめられない。救世主のベルトルトをぎゅうっと抱きしめているだけで鼻歌を歌い始めてしまいそうだ。

「そりゃあ良かった。とっとと終わらせて、夕食を用意しねぇと」
「うん!」

 意気揚々とナイフを配って席に座る。節々が痛かったのが嘘みたいに体が軽かった。談笑しながら作業するのは、罰則とは思えないほど楽しくて。いつの間にか地獄の罰則を終えることができたのだ。食事当番もキツかったけれど、達成感に満たされた体は疲れを知らなかった。

「あんたさ。罰則は終わったの?」

 二人に助けられたのが、何度目かわからなくなった夜。就寝前のベットの上で、背を向けて寝転がっているアニが声を顰めつつ聞いてきた。アニに泣き言を言って一刀両断されたのが随分と前に感じる。あれはあれで、いい思い出になったのかもしれない。あたしは隠れて口角を上げた。
 
「うん!ライナーとベルトルトが助けてくれてね。ほんと、本当に危なかった……」
「ふぅん」

 息を吐くようにして、アニが相槌をうった。同室の子が消灯の合図をして、部屋の明かりが消える。布切れ音だけが残された部屋であることを思いついたあたしは、口を開いた。
 
「あ、芋を剥くの上手になったから、コツ教えようか?」
「いらない」