あの子は晴天が好きだった。理由を聞けば、空だけは同じだからと。私には言葉の意味を理解できなかったが、空を眺めるあの子の横顔は大人びていて好きだった。二人でこの青空を見れたらどんなに幸福だろう。

「ジンジャー、体制を立て直せ!!」

 教官の声で現実に引き戻される。そもそも、運動が平均以下なあたしが立体機動装置を使いこなせるはずなかった。数十秒は体制を維持できた、と思いたい。実際に何秒だとはわからなかったが、他の人よりも圧倒的に短くて、下手くそなのはわかった。体制を立て直しては姿勢を崩し、立て直しては崩してを繰り返す。上半身が宙にぶら下がる度、顔が地面に叩きつけられる。教官の怒号が聞こえなくなり、ひりついた顔面からたらりと液体がこぼれ落ちてやっと降ろされた。

「囮にもなれないようだな、ジンジャー。貴様のような足手纏いは必要ない、次回までに習得しなければ開拓地に送り返すぞ」

 全身の痛みに悶絶して立ち上がれないあたしの真上から、教官の声が聞こえた。他の人よりも長い時間吊るされてひっくり返ったからか、頭がぐらぐらと揺れている。

「聞いているなら、豚のように這いつくばっていないで返事をしろ!!」
「ハッ!」

 動かすだけで痛む体を持ち上げて返事をすると、教官が去っていく背中が見えた。顔を拭った手には真っ赤な鮮血がついている。何度触っても止まらない。

「貴様、そこにいては邪魔だ!」

 別の教官に怒鳴られるが、足に力が入らなかった。足が生まれたての子鹿みたいに震えて、まともに地面を踏めない。教官の視線が痛かった。唯一痛みなく動かせる手をついて体を支えるも、足を引きずってしまう。このまま、動物のように這いずってこの場から離れてしまおうと考えた頃だ。

「大丈夫かい、ノエル」
「ベルトルトぉ……わっ!」

 目の前に降りた影は大きかった。列から人を掻き分けて前に出てきてくれたベルトルトは手を差し出してくれる。謝りながら立とうとして、力が抜けた足がふらついた。不安定な体はベルトルトの胸に飛び込む。来てくれたのが彼で助かった。頭ひとつ分くらい背が違うあたしを受け止めるのに、そこまで苦労していないようだ。

「ごめん…やっぱりベルトルトは頼りになるね!」
「それはいいんだけど鼻とか顔とか…ボロボロじゃないか」

 教官の人を殺せそうな視線から逃れられたのはベルトルトのお陰だ。手を擦り合わせてお辞儀したら、彼は嬉しくなさそうな顔をした。

「全く……あんなに長い時間やらされたのはノエルだけだよ」
「だからかぁ」

 通りで一人だけ見窄らしい格好な訳だ。教官にみっちり絞られた女に周りの視線が集まって背中に突き刺さる。

「教官に目をつけられるようなことをしたんじゃないかな。心当たりは?」
「ある!参ったなあ…このままじゃ強制送還だって」

 訓練兵を卒業できなければ、調査兵団に入ることすらできない。自分自身の鈍臭さを誤認していた。夢の第一関門で躓く自分にいやけがさす。ノエルならば、こんな問題易々と超えなければならない。開拓地に逆戻りなんて有り得ない。有り得てはならないんだ。

「教えてください!ベルトルト先生」
「せ、先生って。やめてよ、ノエル」

 両手を組んで仰ぐようにベルトルトを見る。周りの目を気にしているような彼は狼狽えた。私の小芝居が効いているようだ。こんなことしなくともベルトルトは快く教えてくれるだろうが、楽しくなってきた体は止められない。腰を直角にして、大げさに頭を下げる。

「先生!お願いです!」
「……まずは鼻血を止めてからね」

 ベルトルトに指摘され、ようやく鼻血を止めた私は些細なコツや感覚を伝授してもらった。実施済みの列に並んでコソコソ会話する。教官にいつ怒られるかと様子を伺っていたが、教官から注意されることはなかった。複数人で同時に行っているとはいえ、暇な待ち時間を過ごしている同期の横で一通り教えてもらい、あとは実践だけだと意気込んだ。

「大体わかった!ありがとう先生!」
「もう……きっと解散したら自主練するんだろう?」
「大正解。そのつもり!次こそ――」

 キース教官の声はどこにいてもよく届く。まるで体が反応するみたいで。ビリビリと鼓膜を突き破るような声が響き渡った。

「何をやっている!エレン・イェーガー!」

 声の先にはあたしと同じようにひっくり返った男の子がいた。必死に起きあがろうという唸り声が聞こえる。親近感を覚えたあたしは心の中でエールを送ってみたが、一向に起き上がる気配はなかった。
 まだやれる、と悲痛な声が聞こえきたが、無慈悲にも教官は終了を言い渡していた。残念な気持ちと仲間ができたような気分で複雑だ。船で聞いたあの言葉。どれだけの憎悪を抱いているんだろう。第一関門で切り捨てられた絶望は計り知れない。

「ノエル?」
「え、ああ。ぼーっとしてた!」

 長い間、彼の姿を見ていたようだ。ベルトルトがいつもの困り顔で覗き込んでくる。慌てて取り繕いながらも、絶望したように地に伏せている彼から目を離せなかった。力無い体を金髪の子とマフラーの子が支えている。
 彼の名は――エレン・イェーガー。


 すっかりヘトヘトで訓練を終えた私は残って話している三人組に足を向けた。背後のアニに呼び止められる。振り返って笑顔で返事をしたら、うんざりしたため息を吐いて彼女は歩いて行ってしまった。

「ねね、君たちは同郷?初日から仲良いよね」
「あ?なんだよ」

 訓練でひっくり返ったのはあたしとエレンだけだ。その珍しさから悪目立ちしてしまい、試験中は見物にされて冷笑の的だった。あたしも冷やかしだと思われたのか、迫力のある眼力に凄まれる。怯みながらもヘラヘラと笑ってみるが、三人分の視線が突き刺さって痛い。昨日の自己紹介でいた無口な黒髪の子からの視線が特に。

「思い出した。今日のテストで教官に怒鳴られてた人だよね?」
「ああ、オレみたいにひっくり返ってた奴か」

 ぽんと手を叩いて言った金髪の子に続いて、エレンも思い出したようだ。不名誉な褒め方に顔が引き攣ってしまう。私の顔を見て察したのか、顔色を悪くした金髪の子は謝ってくれた。

「ごめん」
「い、いいよ!事実だしさ」
「あなた、私たちに何の用」

 黒髪の子が二人を守るように一歩踏み出して言った。昔の記憶がフラッシュバックする。あの時、エレンの横にいたのはこの子だったんだ。自己紹介で聞いた名前――ミカサ・アッカーマン。漆黒の瞳は美しい容姿と相まってあの子が呼び起こされたような感覚に陥る。馴染みのある色に緊張が解けてふっと笑う。すると、彼女は目を鋭く細めた。

「なにも面白くない」
「ごめんごめん!知り合いを思い出しちゃっただけなんだ」

 不愉快にさせてしまったことに頭を下げる。次に見た彼女は先ほどよりも警戒の色を解いていて胸の中でほっと息を吐いた。

「これを一緒に練習しない?あたしも強制送還予備軍だからさ。明日までにどうにか習得しないといけなくて…」

 夕日を仰ぎながら、適正判断に使われた装置を指差す。練習ついでに一切ブレがなかったミカサにも話を聞けたら嬉しい。

「だめ、かなぁ?」
「お前はどうして開拓地に送られたくないんだよ」

 肩をすくめて見せると、エレンから疑問を投げかけられた。隣の金髪の子も興味ありげにあたしを覗き込む。初日から開拓地行きの馬車が出ているのは知っていた。彼らはそれでも見たんだろう。

「調査兵団に入りたいから」

 誰かが息を呑むのが分かった。当たり前の反応だ。調査兵団に入ったら最後、文字通り死ぬまで戦い続けなければならない。聞けば、最初の壁外調査で新兵の三割が死ぬだとか。初対面から変な奴だと思われてしまったかもしれない。二人に弁解しようと口を開こうとして、エレンが被せるように言った。

「お前も?」
「うん。まさかの共通点だよね」

 彼が調査兵団志望なのは薄々分かっていた。昨日の食堂での出来事といい、巨人に恨みがあるらしいし。背後にいるミカサは目を伏せてエレンを見ている。何か考えている様子のアルミンがあたしと目を合わせ、確かめるように言葉を紡いだ。

「通過儀礼で、シガンシナ区出身って……言ってた?」
「そうだよ。あたしは、あの日……に」

 生暖かい感触があって手を眺める。何もない。何も掴めない手だ。自分の身可愛さに、あの子を売った手だ。

「む、無理に言わなくていいよ!」
「……ありがと」

 不思議な行動に耐えかねて金髪の子が助け舟を出してくれた。ベルトルトとはまた違った困り顔であたしを見る目に手を振って大丈夫だと伝える。アルミンの不安そうな表情がいくらかましになって、あたしもそっと息を吐いた。

「一緒に練習だっけか。やろうぜ」
「ホント!?やったー!!」

 一連の流れを見ていたエレンが思い出したように誘ってくれる。すぐさま提案に飛び付いたあたしは両手を上げて喜んだ。孤独でやるより百人力だし、なにより二人も協力者がいるのだ。喜び終わってからハッとした。一言も発さない彼女の存在だ。恐る恐る伺い見たら、こくんと頷いてくれた。

「エレンが決めたなら構わない。協力しよう」
「僕も力になれるか分からないけど、アドバイスするよ!」
「で、お前の名前は?」

 心強い言葉を残した二人に続いて、待ちに待った言葉をエレンが口にした。

「ノエル・ジンジャー。よろしく!」

 お互いの自己紹介後に始まった自主練で、先ずはあたしが先に吊るされることとなった。地に足をつけた状態から、金髪の子――ことアルミンに吊り上げてもらう。

「わ、わわっ!」

 昼間同様に吊るされてから一定時間保てるものの、姿勢を崩してしまった。反射的に頭を守ったので大事には至らずに済んだみたいだ。擦り傷は痛むが、鼻血は出てない。

「大丈夫?」
「へーきへーき!」

 駆け寄ってきてくれたアルミンに無傷だと主張するとハンドルを回して、元の体制に戻してくれた。
 ベルトルト先生から伝授された内容も意識してやっているからか、体感時間的には昼間より長く体を保てた感じがした。

「どうしたらずっと体を保てるのか……」
「もしかしたら、集中し過ぎてるのかもしれない」
「えっ」

 アルミンの言葉に耳を疑った。集中できていないから姿勢を保てないのだとばかり考えていたからだ。前にいるミカサも頷いた。

「あなたは身体が緊張し過ぎている、ような気がした」
「そう、僕も間近で見たから分かったんだ。君の動きは明らかに硬い。ほら、上手な人はリラックスしていたでしょ?」

 昼間は必死になって上手な人を観察した。確かにそんな人たち程涼しい顔で吊られていた記憶がある。

「もう一回やらせて!」

 アルミンがハンドルの前に立ったのを確認して、深く深呼吸した。息を大きく吸って長く吐き出す。ライナーが教えてくれたリラックス方法だ。前は手の掛かる子供だったから。

「あげるよ」

 アルミンの合図に頷く。徐々に地面から足が浮いていく感覚がした。目を閉じて、何も考えないように専念する。時折情報の波が雪崩れ込んでくる気配がしたら、真っ白なページを思い浮かべて打ち消した。空気を大きく吸って、遠くの蝋燭の火を消すように長く息を吐き出す。

「やったじゃねぇか!」

 エレンの言葉に瞼を開ける。私はひっくり返らずに吊るされていた。アルミンが目を輝かせて、ミカサも僅かに微笑んでくれる。その後も数分そうしていたが、頭を地面に打ち付ける気配はなくなっていた。

「アルミンのお陰だよ!ありがとう」
「いいや、君の力だよ。僕は何も」
「アルミンは凄えだろ」

 謙遜するアルミンの肩に手を置いて、自慢げなエレンが胸を張る。すかさず否定しようとするアルミンより前に大きく頷いた。

「うん!すげえ!」
「ノエル!?」
「アルミンはすごく、頭がいい」
「ミカサまで!?」

 達成感に心満たされながら、ミカサまで便乗してアルミンは頬を染めて黙ってしまった。数年リラックスとは縁のないものだったけれど、ここに来て大切になるなんて。驚きだ。開拓地に行きにならなくていい、今はただそれだけが胸を支配していた。
 次はエレンだ。私が出来るようになったのだから、彼もすぐ出来るようになるに違いない。まだほんのり赤い頬で必死にハンドルを回すアルミンを見つめた。

 結論として、エレンは体制を保てなかった。何回目かの挑戦で大きく頭を打ち付けたエレンは過保護なミカサが強制連行して救護室に行ってしまった。アルミンも二人を追って残されたあたしは玉砕したエレンの絶望的な顔が忘れられず、しばらく立ち尽くした。
 食堂にて。頭に包帯を巻いたエレンたちを見つけても話しかけられず、遠くから眺める。誰よりも巨人を殺す術を手に入れたい筈のエレンが成功できず、あたしができてしまうなんて。素直に喜べず、複雑な気分だった。

「暗い顔ばっかりするなよ」

 考え込むあたしの隙をついて、頬を掴まれた。ばっと声の主を見たら、前の席にいるライナーが愉快そうに笑っている。目があってやっと手を離してくれた。

「ヒリヒリする…」
「これで、さっきよりは相当マシな顔になった」

 大した力ではなかったが、引き伸ばされていた頬が気になってさする。不貞腐れた顔の何処がマシなのか、さっきまでの顔がそんなに酷かったのか。あたしには確かめる術がなく、勝手に頷くライナーを見ているしかなかった。隣のベルトルトに視線を移したら、微妙な顔で逸らされる。味方のいなくなったあたしは仕返しでもしてやろうと言葉を紡ぐ。

「今度やったらライナーがすけべだって言いふらすよ」
「それは…違うだろ」

 狼狽するライナーを置いて返答もしない。あたしが本気だと思ったのか、青くなった顔にほくそ笑んだ。第三者のベルトルトは呆れ顔でわたしたちを見ている。不穏な気配を感じた彼は別の話題を口にした。

「例の自主練。無事にできたんだろ?良かったじゃねぇか」
「うん、先生とアルミンのお陰でね」

 最初のふた文字を強調して言えば、ベルトルトが周囲を確認しているのが見えた。自分の意思がないと卑下しがちな彼は開拓地にいた時から一歩後ろであたしたちを見てることが多い。多少無理にでも引き出してみたりすると、彼自身が感じてるほどじゃないと思う。自分の芯はしっかり持っている。あたしは一面を見るのが好きだ。

「先生?」
「ベルトルト先生に色々教えてもらったんだ。それで最初よりも体制を保てた」

 予想通り聞き返して来たライナーへ答える。あたしのせいで変な話に巻き込まれてしまったベルトルトは諦めた顔をしていた。

「俺は呼ばないのか」

 あたしの顔とベルトルトの反応で大まかに察したらしい。口角を上げたライナーが冗談混じりに言う。

「ライナーは頼れるけどさ、先生って感じじゃないよ」

 開拓地でも私たちはライナーに引っ張られてきた。彼がいなかったら開拓地で生き延びられたか分からないくらいだ。今日の訓練も余裕で突破していたこともあり、身体能力も高くてあたしとは大違い。意地を張っているだけかもしれないけど、先生と呼ぶにはなんだか腑に落ちないのだ。認めたくない訳ではなかった。口に出しては言えない。実際に功績を上げているんだから、あたしみたいな足手纏いとは比べ物にならないけど。

「ねえ、ベルトルト?」
「…そうかもね」

 意味ありげな沈黙の後に肯定される。何か思うことでもあるのだろうか。聞こうとした所で、ライナーが割って入ってきた。

「昨日の芋女が周りの飯を狙っているみたいだ。お前も早く食べた方がいいぞ」

 その言葉にあたしの前で未だ手付かずの食事を思い出す。彼が指を指した方向には、皿の上にあるパンを片っ端から分けてもらえないか聞いて回っている姿があった。後ろ姿で死ぬまで走らされていた子だと分かる。今日は自主練もして疲れ切っているので食事はしたい。機会があったら分けてあげようと心の中で決めてパンを手に取る。
 開拓地にいた頃よりはマシでも満足できる代物ではないが、毎日食べられるだけ贅沢だ。食べ物に目がないらしい彼女もそれが目的で入団したのかもしれない。

 段々と食べ終えた人が増えて、食堂に空きが出てくる。あたしが食べ終えたのを見計らい、ライナーとベルトルトの二人と一緒に席を立つ。ふと見た先に、ミカサが一人テーブルに残されていた。食堂を出て行く中にエレンとアルミンを見つけ、そばにいた二人に断りを入れて駆け寄った。

「ふたりとも!」

 振り返った二人の表情は対象的だった。エレンは何かを決意した顔でこちらを見、アルミンはあたしに驚いている様子だ。

「これから、どうするの?さっき習得したばっかりの人に言われたくないかもしれないけど、あたしにも協力させて」
「ありがとな、ノエル。今はコニーとジャンに話を聞こうと思ってたとこだ」

 協力を申し出ると、エレンは目を輝かせて感謝してくれた。どうやら上手な人から話を聞くことにするらしい。何時間前に一回できただけの人間が我が物顔でしたアドバイスが役に立つとは思えず、頭を悩ませて名案が浮かんだ。

「ライナーとベルトルトに聞いてみたらいいかもしれない」
「ライナー?ベルトルト?」

 アルミンが聞き返した。突然出てきた名前に二人とも瞬きをしている。見た目の特徴を説明して、ライナーなんかは世話を焼いてくれる筈だと強調した。

「あたしからも話しておくよ」
「悪りぃな、助かる」
「ノエルは二人とはどう言う関係なの?」

 食堂でも一緒にいたことを指摘されて、頬をかく。第三者から自分を見られていたと思うと、振る舞いを思い出して気恥ずかしくなった。

「みんながあたしを連れて行ってくれたんだ。開拓地で女の子供一人じゃ、今頃どうなってたか分からない」

 なんであたしを見捨てないでくれたんだろう。理由は聞かなかったし、今後聞くこともないと分かっている。少なくとも、わたしをあたしにさせてくれた命の恩人だ。かけがえのない、大切な人たち。

「二年しかいないけど四六時中一緒にいたから……友達?なのかな」
「幼馴染みたいな関係なんだね」

 アルミンがふっと微笑みを浮かべて答えた。具体的な表現が見つからずに困っていたあたしは、その言葉に胸が浮ついた。むず痒い気持ちと暖かい感覚が染み出してくる。

「幼馴染かぁ。だといいな」

 噛み締めるように言葉をすると、無意識に口角が上がってしまいそうだった。慌てて「三人には敵わないけどね」と付け加える。夕方の訓練で三人は見るからに仲が良くて、誰よりも息がぴったりだった。あたしもいつか、三人みたいな関係にみんなとなりたい。
 話を切り上げて男子寮に向かう二人を見送る。一人で何をしているのか不思議に思ったライナーたちが背後から話しかけてきて、あたしは事情を伝えることにした。

「アニ、あたしたちの関係って何だろう?」

 女子寮のベットに寝転がって、問いかけてみる。答えは期待しなかった。言葉を吐き出したかっただけだ。一日目の厳しい訓練でみんなは昨日よりも早く寝てしまった。蝋燭の火も消され、あるのは窓から差し込む青白い光だけ。

「腐れ縁」

 開拓地毎に纏められ、アニとベットが隣だったのが幸運だった。夜の闇に溶け消えてしまうようなほど、小さな声が鼓膜を震わせる。驚いて意味もなく布団に包まった。口がだらしなく緩んでしまう。その日は寝るまで頭の中でアニの言葉を繰り返していた。



 翌日。朝一番に起きたあたしは早速調子をこいてアニの舌打ちを食らった。朝食に出された食事を平らげ、訓練開始ギリギリまでライナーとベルトルトの二人に手伝って貰い自主練に取り組んだ。昨日に約束を取り付けていたのだ。取り入れたアドバイスを意識してやってみると、かすり傷ひとつなく宙ぶらりんの状態から戻ってこれた。三人で一緒に喜んで太鼓判を押してもらい、準備万端で挑んだのだった。

 再試験はあたしからだった。一度深呼吸をして、顔を上げる。朝もできたし、絶対に大丈夫だ。教官が合図をして、徐々にワイヤーが張られて行く。足が地面を離れてもなお、あたしはひっくり返らず姿勢を保っていた。ライナーがガッツポーズをして、ベルトルトが頷いているのが見える。釣られてあたしも拳を握った。

「や、やったー!!!」

 おおっと群衆が響めく。昨日までボロボロの雑巾みたいになっていた姿を見ていた分、驚きが大きかったようだ。キース教官に数分凝視されていたが、最後には合格の一言を残した。
 地面に下ろされて真っ先に向かったのはエレンの元だった。汗を滲ませている顔と視線を合わせて、強く訴える。

「エレン、君ならできるよ」
「……おう。やってくる」

 エレンの名前が呼ばれ、あたしは彼の背中を見送った。アルミンにミカサ、不安げな二人の肩を触ってライナーの隣に並ぶ。

「やったな」
「ノエル、良かったよ」
「ありがとう」

 髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜてくるライナーの撫で方が今だけは心地よい。文句を言わず受け入れているあたしをベルトルトは物珍しそうに見ていた。
 視線の先、遠くにいる教官が合図を出す。ワイヤーが巻き上げられていく姿を、食い入るように見つめた。

「おおっ!」

 エレンの体は体制を保ったまま宙に浮いた。群衆の期待通りに歓声が上がる。あたしも拳を握りしめた。これでエレンは開拓地に送り返されずに済む。声が聞こえてきそうな晴れ晴れとした顔のエレンと目があったので、答えるように頷いた。

「あっ」

 エレンの目線がガクンと下に落ちた。群衆がざわめきだった。逆さまに体制を崩してしまった彼は、それでもなお持ち直そうとしている。不安になってライナーの腕を掴む。見上げたら、ライナーの横顔も真剣にエレンの動向を見守っていた。
 教官が近づいて、エレンの続行を求める声は無慈悲にも切り捨てられた。ハンドル役のワーグナーと呼ばれた人物も罰が悪そうにしている。地面に下ろされてしまったエレンの表情は影に隠れて見えないが、震えている肩から悔しさが滲んでいた。教官の言葉を全員が息を呑んで見守る。

「ワーグナー、イェーガーとベルトの交換をしろ」

 発されたのは意外な一言だった。真逆呼ばれるとは思っていたかったのか、ワーグナーも反応するのに間が空く。困惑した表情のエレンがベルトを交換して、再び吊り上げられる。教官の意図が分からず、見ているしか出来なかった。
 エレンの体が完全に浮いた瞬間、やっと理解する。

「装備の欠陥だ。貴様が使用していたベルトの部品が破損していた」

 教官は整備項目に追加する必要がある、と付け加えた。別の意味で群衆が沸き立つ。それもその筈だ。エレンは破損したベルトで一時的とはいえ、体制を維持していた。類稀なる素質を有していると証明されたからだ。適正判断の可否を問うエレンに、教官が大きく頷いた。

「問題ない。修練に励め」

 空に向かって拳が突き上げられる。エレンはやり遂げた。教官の言葉を聞いて、ようやく安心感が胸に広がる。手違いがあったとは言え、あたしもエレンも開拓地に送られなくて済むのだ。

「何とかなったみたいだな。エレンも、お前も」
「うん!あたしは故障なしでギリギリ合格だけどね…」
「気にするな、パスしちまえばいいんだ」

 無事、適正判断を終えれた事実に安堵して自分の出来の悪さに文句をつけると、ライナーがあたしの髪をまたもや掻き回しながらフォローしてくれた。元気付けてくれた彼に感謝の言葉を告げつつ、今後の訓練に向かって心の中で意気込んだ。

「目でどうだって言ってるよ!」
「違う、これで私と離れずに済んだと思って…安心してる」

 有無を言わせないミカサの言葉に、反論できる人間は誰もいなかった。ミカサが装置から下されたエレンへ真っ先に近寄っていくのを、一拍置いてアルミンが駆け寄っていく。喜びを分かち合っている三人の間に割り込もうとは思えず、隣にいたライナーの顔を覗き込む。すっかり表情を強張らせているのがおかしくて、笑ってしまった。