◇10
ここの所、事務仕事が多かった。
体を動かす任務がなく、肩を大きく回し書類の山を見る。
それも幹部の仕事と思えば仕様がねぇし、やらないと言っている訳じゃない。
唯、少しの息抜きは必要だと思った。
「なまえに体術の訓練でもつけてやるかな。」
誰も居ない部屋で呟く。誰も居ない。なまえは俺の、幹部補佐の筈なのに。
厠に行ったのだと思ってはいたが、それにしては遅過ぎる。
別にそれを叱責する心算は微塵もない。
息抜きの理由をなまえに括り付けたかっただけだ。
あと五分待っても戻って来なかったら探しに行くか。
…阿呆らし、そんな時間制限になんの意味もない。
息を吐きながら立ち上り、執務室を抜け出した。
◇
なまえを見つけるのにそう時間は掛からなかった。声が聞こえてきたのだ。
それは給湯室から、花が咲いたような二人の声が。
「え!お相手が決まったんですか!おめでとうございます!」
樋口だ。姿は見えないが、声で解った。
樋口になまえを見なかったか聞こうかと思った次の瞬間、その必要がなくなった。
「そうなんです。首領の紹介で…」
なまえの声だった。
今までもなまえと樋口が親しげに話をしている姿を見た事はあった。
違和感はそこじゃねぇ。話の内容だ。お相手?首領の紹介で?
無意識に息を潜め、少し離れた壁に凭れて聞き耳を立てた。
盗み聞きなんて性に合わないが、現段階で得た情報から連想するに、そこに割って入って会話に加わるなんてことは出来なかった。
「実はもう式の日取りまで決まってるんです。」
「わあ!ではドレスを選ばないとですね!」
「ですね!やっぱり白かな?」
決定的だった。
式に、白のドレス。
情報が総て一つに繋がった。
いやいやいやいや、なまえが好きなのは俺の筈だろ。
なんなら今日だっていつもの様に交際してくれって言ってたのに。
なんでそんな嬉しそうな声で話してやがる。
唯の、建前だったって話か。
つか、どんな相手なんだよ。
「お相手の写真とかないんですか?」
いいぞ、樋口。丁度知りたい情報に繋がりそうな質問を口にした。
「えと、電子文書に添付してあった画像なら…あ、これです。この右の方。」
自分の目で確認できないのがもどかしい。一体どんな野郎なのか。
「おー!イケメンですね!」
ぐっ…イケメンかよ。もう少し具体的に、なんかねえのか樋口。
「シュッとしてて、大きそうですね!」
「このくらいだったかな。」
「大きい!」
大きいのか。イケメンで、シュッとして、大きい…樋口の残念な表現力から、ある一人の顔が思い浮かんだ。
思い浮かんでしまった。最悪だ。
唯でさえ佳い気分ではないというのに、包帯の付属品なんかの顔が浮かぶなんて胸糞悪い。
それに太宰なら樋口も知ってるか。落ち着け、俺。
ん……?
首領の紹介…相手が太宰じゃないにしても“政略結婚”の匂いがぷんぷんする。
その事になまえは気付いているのか?ちゃんと理解して了承したのか?
彼奴、抜けてるところがあるからな。
気付いてないとしたら、傷付くのはなまえ…と、そこまで考えて、強制終了とした。
この件に関しては俺がどうこう言える立場じゃねえ。なまえ自身が決めることだ。
ゆっくりと来た道を戻る。
もう考えるのは止めようと思っているのに、息を吐いて落ち着いた途端にまた考えていた。
どうかしてる。
業務に没頭すれば、屹度、いつの間にか忘れている筈だ。
屹度。
恋も憎しみもあらずして、
いかなるゆえにわが心かくも悩むか知らぬこと、
悩みのうちの悩みなれ。
ポール・ヴェルレーヌ |
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*confeito*