◆3
主が不在の執務室にノックの音が響く。返事はない。
「中也さん、立原っす。入りますよー。」
立原はなまえに言われた通り時間を見計らって中原を訪ねたが、未だ戻っていない様だった。
然し、開いた執務室の扉からは煌々と光が漏れ出ていた。
そこに誰が居るのかの予想はついていた。
返事がなかった事から、立原はその人物の状態までも察していた。
「なまえ?」
空席の執務机は素通りして、そのまま応接室まで進む。
名前を呼んでも返事はなかったが、微かな寝息が聞こえていた。
長椅子の背凭れから頭が少し見える。
正面に回り込むと案の定、なまえが書類を手にしたまま眠っていた。
「ったく、また無理してンじゃねーの。」
立原が溜め息を吐きつつ、なまえの隣に座る。
「ん…みっちゃん…?」
振動を感じ、薄っすらと目を開けるなまえ。
立原は姿勢を正そうとする頭をぽんぽんと叩く。
「中也さん戻ったら起こしてやるから、もう少し寝てれば。」
「ん、ありが…」
なまえは言い終る前に立原に凭れ掛かり、再び眠りへとおちていった。
自分に体重を預けた体を支えるように、肩に腕を回す。
「…ひでー顔色。どうせあんまり寝てねぇんだろうな。そんなに好きかねぇ。」
立原はパソコンの横に積まれた書類の山をちらりと見ると、小さく息を吐いた。
「好きでやってんだろうから止めろとは言わねーけどさ、無理はすンなよ。って、聞こえてねーか。」
気持ちよさそうに眠る血色の悪い頬を突く。全く起きる気配はなかった。
「にしても、此奴あったけーな。俺まで、眠く…」
なまえの体温と眠気を共有してしまった立原が眠りにおちるまで、そう時間はかからなかった。
◇
「悪い、待たせた。思ったより時間が掛かって…」
中原が自分の執務室に戻り、応接室の長椅子へ視線を向けると、思い掛けないものが目に入った。
長椅子の背凭れから飛び出ていたのは、見覚えのある短髪の茶色い頭。
「おい、立原。なんで手前が」
話掛けながら近付くと、もう一つの頭が見えてきた。
「……。」
中原は黙って向かい側の椅子に腰掛ける。
「此奴等、人の執務室で気持ち良さそうに。」
顔を引き攣らせながら呟いた中原の視界に、なまえが纏めた資料が映る。
それを前屈みになり一束手に取ると、上から目を通していく。
いつもながらよく纏められている資料を読み進めながら、先刻の尾崎との遣り取りを思い出す。
◆
「姐さん、これみょうじから。明日の任務の付随資料だそうです。」
「おお、流石なまえじゃ。痒い処に手が届く、見事な資料よ。」
「ええ、まったく。今度茶でも誘ってやってください、屹度喜ぶ。」
「それは構わぬが…中也、近頃ちとなまえを働かせ過ぎではないかえ。」
「…はい、俺もそう思って休暇を取らせようと思ったンですが、彼奴、全然言う事聞かなくて。
余程、仕事が好きなんでしょうね。」
「それは、お主…好きなのは“仕事”ではなかろうて。
はぁ、なまえの心中を察すると此方まで苦しいわ。」
「はあ……?」
「相手は“六大幹部”の中原中也じゃぞ。相当無理しているに決まっておろう、察してやれ。」
◆
「んー…やべ、寝ちった…って!中也さん!」
立原が目を醒ますと、目の前に書類を読む中原が座っていた。
慌てて立ち上がろうとするも、中原に制止される。
「いい、そのままで。みょうじが起きちまう。」
中原は未だにすやすやと眠るなまえを親指で指差し微笑んだ。
それを見た立原は、口元を押さえた。
「なんだ、立原。」
「あ、いや、中也さんて、遂になまえと付き合うことにしたんすか?」
「あ?付き合ってねーよ。」
「…そ、すか。」
立原は続けて、じゃあその優しい表情はなんだと口をついて出そうになるのを堪えた。
「にしてもよお、立原。手前、随分と偉くなったじゃねぇか。」
「へ?」
立原が中原を見ると青筋を立てていた。
なまえを起こさない為か、声量こそ抑えられているものの、言葉から怒りが滲み出ていた。
「い、いやいやいやいや!これは不可抗力というか、事情が!」
「うっせぇ!静かにしろ!みょうじが…」
「ん…」
騒ぐ立原に、人差し指を口の前で立てる仕草を見せる中原だったが、なまえが身じろぎをした。
起こしてしまったかと中原と立原は息を飲んだが、どうやらまだ夢の中らしい。
「…で、手前等はなんでそんなに仲が良さそうなんだ。」
「え、そっちすか?」
立原は目を丸くした。思っていた質問と違うものが問われたからだった。
中原も中原で、立原の反応に疑問符を浮かべていた。
立原は頬を掻きながら、言っていいものか悩みつつ答えた。
「いや、何の用があって此処に居るのか聞かれると思ってたンで…
なまえとの仲を聞かれるとは思わず。」
「…ッ!」
中原の顔は急激に紅潮し、咄嗟に口元を押さえ顔を背ける。
「あー、えーっと…なまえとは同期で、気の合う飲み仲間っつうか。
で、俺が此処に来たのはこの前報告した組織の件だったンすけど…」
言葉を区切り、ちらりと中原を見ると、恐らく立原の言葉は届いていなかった。
未だ茹蛸状態の上司に軽く溜め息を吐く。
「俺、出直しますンで、なまえどうします?引き取ってもいいっすけど。」
中原はぴくりと反応を示すと、「あー…」と言いながら少し思案した結果、首を横に振った。
「起きるまで俺が見てるから、立原は帰っていい。」
その言葉を受けて、立原はなまえを起こさないよう慎重に立ち上がる。
上手い具合になまえを長椅子の背凭れに預け、立原はその場を去った。
夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
立原 道造 |
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*confeito*