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立原が退室して数分。執務室は静寂を取り戻していた。
なまえの微かな寝息に、時折、中原が書類の頁を捲る音が聞こえるだけ。
そこに布の摩擦音が聞こえ、中原が顔を上げる。
なまえの体が徐々に傾き、倒れそうになっていた。
中原は手を伸ばしなまえの肩に触れ、重力操作を行う。
なまえの体は倒れることなく留まった。
再び書類へ視線を戻した中原だったが、暫し停止した後、静かに立ち上がる。
外套掛けから自分の外套を取り、向かい側の長椅子へ移動するとなまえにそれをそっと掛け、そのまま横へ腰を降ろした。
先程と同じ様になまえの肩へ触れ重力操作を行い通常へ戻す。
なまえの体が中原へと凭れ掛かり、立原にしていた様な恰好になった。
頬に若干の赤みを帯びながら、中原の意識は書類へと戻っていった。
◇
それから数分もしないうちに、なまえがもぞもぞと動き始めた。
起きた訳ではなく、恐らくは体勢を変えようとしているのだろうと、中原は特に気に留めずにいた。
「!」
が、突然、思い掛けない箇所へ重みを感じなまえを見ると、中原の腿を枕にして横たわっていた。
「たく、仕様がねぇな。」
言葉とは裏腹に口を緩ませながら、なまえの頬に掛かる髪を払う。
頭を撫でてやると、なまえは気持ち良さそうに摺り寄ったので、中原の書類を持つ反対の手は、ゆるゆるとなまえを撫で続けた。
◇
「ん…みっちゃん、ごめ、私寝過ぎちゃ……………た。」
体勢はそのままに、未だ眠そうな目を擦りながらなまえが目にしたのは、記憶とは違う人物だった。
目の前には立原ではなく、憧れの人の少し不機嫌そうな顔が至近距離にあった。
「え、あー…未だコレ夢か。早く起きなきゃ。」
なまえは自分の頬を強めに抓るが、痛みに涙目になるだけだった。
呆然としていると、反対の頬を中原が更に強く抓った。
「い、いひゃい!」
「夢じゃねーよ、人の膝枕で気持ち良さそうに寝やがって。」
にやりと笑う中原に、飛び起き忙しなく瞬きをするなまえの顔は直ぐに真っ赤になった。
「あの、私…え、中也さんの膝枕!?でもみっちゃんが起こしてくれるって…あれ彼奴どこ行った。
それより、何で中也さん!?え、じゃあこの外套は中也さんの!?私ごときにこの気遣い…優しさの塊ですか!?ついでに顔に巻き付けて深呼吸していいですか?あ、先にお帰りなさい?」
中々混乱から抜け出せないなまえの言葉は可笑しいようで、中原には引っ掛かりがあった。
然しそこで気付く、なまえの携帯端末に登録されていた“みっちゃん”の正体に。
混乱しつつも興奮気味のなまえから外套を取り上げて、更に鼻を抓み、動きを止める。
「飯、行くぞ。」
短い一言を発して、鼻を解放する。
「で、でも私寝ちゃって、資料が未だ…というか、申し訳ございません……」
「姐さんに、手前をこき使い過ぎだって言われてよ。」
俯いて涙ぐむなまえを見る事無く、書類を纏めながら中原が言う。
「俺自身、手前の事は評価してる。仕事は早くて正確且つ緻密。
視野も広く気が回る上に、頭の回転も速い。誰にでもできる事じゃねぇよ。
加えてあのやる気と前向きな言葉に頼っていたのは確かだ。」
「や、やめて下さい…褒め殺しにする気ですか。」
堪らずなまえが制止に入る。湯気が出そうな程に真っ赤になった顔を両手で隠していた。
中原はまとめた書類を手に立ち上がると、漸くなまえを見た。
「だが、特段体が丈夫な訳じゃあねえし、生物学的にも体力は男共には劣る。だから無理はするな。」
中原が言い終ると同時になまえが立ち上がり、中原の手から書類の束を奪った。
「私を誰だとお思いですか、六大幹部である中原中也の自称右腕ですよ。ナメないで下さい。」
不敵に笑うなまえに、一瞬驚いた中原だったが、直ぐににやりと口を歪めた。
「はっ、言うじゃねえか。」
なまえの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でると、覗き込む様に目を合わせて言った。
「“自称”はつけなくていい。」
「…ッ!はい!」
中原の言葉になまえは嬉しそうに目を輝かせた。それを見た中原も満足そうに笑った。
「じゃ、飯に…」
「私、この書類片してから帰るので、先に上がって下さい!」
「いや、飯にだな…」
「お疲れ様でした!」
完全に舞い上がっているなまえに中原の言葉は届いておらず、直角に頭を下げると、書類を抱えて執務室を出て行ってしまった。
「あ、おい、飯…は、今度でいいか。」
現状において自分にも原因があることを理解していた中原は、笑いながら溜め息を一つ吐いて帰路についた。
愛はもっともすばやく育つものに見える。
だがもっとも育つのが遅いもの、それが愛なのだ。
マーク・トウェイン |
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*confeito*