◇6 中也さんの運転に酔い痴れるだけの話


その後、会社へ戻った。黒塗りの車で送ってくれたが、少し離れた所で降ろしてもらった。

上司への言い訳としては、急な体調不良で転倒からの脱臼で病院へ駆けこんだ為、連絡ができなかった、だ。
実際、腕を白い包帯で吊り、顔色が頗る悪かったことが信憑性を高め、お咎めなしとなった。
それどころか、早退を薦められたが、仕事をして気を紛らわせたかったので丁重にお断りした。

“敵の標的は、アンタに変わった可能性が高い。”

最後にイケメンこと中也さんが告げた言葉だ。
仕事中に何度もこの言葉を思い出しては、化粧室へ駆け込む。
とうに胃の中は空っぽで、もう何も出せるものなどありはしないのに。

繁忙期以外はあまり残業がない部署の為、定時に仕事を終える。それに、片腕でする仕事はなんとも不便で時間ばかりがかかって、実に非効率だった。
今日は何処にも寄り道をせずに帰ろう。
こんな日はお風呂でゆっくり温まって、さっさと寝てしまおう。

あれ、でも脱臼て温めない方がいいんだっけなど考えながら帰り支度をしていると、女性の同僚たちが色めき立っていた。
その時点で嫌な予感はしていた。
仲の良い同期もその中に居たので、こっそり聞いてみる。

「どうしたの、何かあった?」

お疲れ様と声を掛けると、笑顔で返事をくれた。

「あ、なまえちゃんお疲れ様!今ね、会社の正面入口に凄い恰好良い人が居るの!」

へえ、という短い相槌をしつつ顔が引きつる。

「うちの社員の誰かを待ってるみたいじゃない?あれ。」

ドキリと胸が鳴った。
色恋のそれではなく、もっと体に悪い感じの類だ。

「ほら、そこの窓から見えるよ。」

指で示された窓に恐る恐る近付く。
一呼吸おいてから隠れるようにして覗いた。

何やら恰好良い車に寄り掛かる、恰好良い人がいた。
中也さんだった。

となると、十中八九、私を待ち伏せていらっしゃるのではなかろうか。
思い上がりなら、飛び上がる程嬉しいが、恐らく違わないだろう。

血の気が一気に引いていく。
あの恰好良い人がポートマフィアだと知っている人が、万が一にも会社に居たら。
のこのこ出て行って笑顔で言葉を交わせる程、お目出度い頭ではない。

私はこっそりその場から離れ、裏口から会社を出ようと足を進めた。
然し、僅か数歩進んだ時点で足は止まった。

私が会社から現れない事を不審に思った中也さんが、会社に乗り込んで来る可能性は?

暴れるかどうかは微妙だが、受付で私の名前を出された時点でアウトだ。
次の日には一気に噂が広まってしまうだろう。それは回避したい。
私の平凡な日常にあってはならないトラブル上位だ。

重い重い溜め息を吐いて、隠れながら正面玄関へと回り込むことにした。

中也さんは煙草の煙を吐き出しているところだった。非常に絵になる。
ドラマのワンシーンの様だ。
どうやって気付かせるか考え始めたが、その必要はなさそうだった。

中也さんが此方を横目で見ている。
既に気付かれていた。

唯、私が隠れていることの理由を探っているような視線だった。
察しが良い人でよかったが、他の社員の目もあるので、これ以上近づけないし大声も出せない状況は変わらない。
なんとかジェスチャーで伝えてみる。

そこは、駄目、あっちに、回って。

上手く伝わるといいのだけれど…それを見た中也さんは、一度頷くと左側から車に乗り込んだ。
外車だった。



指で示した“あっち”の辺りに行き、外車を待つ。
この道路なら社員どころか住民すらあまり歩いていない。

果たしてあの大雑把な身振り手振りでこの道が解るかどうかは不明だったが、少し待って来なければ、何もなかったことにして帰路に着こう。

そう決心した途端に、外車が現れた。
速度を落として私の目の前で停車し、パワーウィンドウが下がる。

「乗れよ。」

拒否する、という選択肢は存在しなかった。

反対側へ回り込み、助手席へ乗り込む。
ふわりと良い香りがした。

「悪かった、配慮が足りなかったな。」

ちゃんと全部伝わっていたようだ。ちらりと横目で視線を受ける。
相手はあのポートマフィアだと解っているのに、イケメン過ぎてつい顔が熱くなる。
パスタ屋さんで見惚れていただけの憧れの君の、助手席に座っているのだ。
致し方ないと思…いやいやいや、気を確かに私。

相手はポートマフィア、これ以上関わってはいけない人だ。

「あの…」

恐る恐る言葉を発する。ん、と短い返事の声が酷く優しかった。

「今後、送迎は、必要ありませんから。もう、大丈夫ですから。」

直ぐに返事は返ってこなった。少しの沈黙が流れる。
カーステレオから洋楽が控え目に流れていたことに気付いた。

「みょうじが、何を危惧しているのかは解る。
だが、残念だがみょうじは無関係を主張するのは難しい状況になっちまった。」

ごくりと息をのむ。
額には薄っすらと汗が浮かんでいた。

「恐らく、みょうじを俺の女か何かだと思ってるらしい。
さっき会社の周りに張りこんでたヤツも昼の奴等と同じ組織だろう。」

「え……?」

体温が急低下しているのに、額の汗は引くことはなく顎へと伝う。

「会社の周りに、誰か居たんですか...」

中也さんに気を取られて全然解らなかった。

「“正面”からはよく見えてたからな、動きがあればすぐ対応できた。」

心配すンな、と笑った顔は矢張りイケメンだったけれど、それとは別の要因で頭がくらくらした。

中也さんが見張ってくれてなかったら、いまこうして息をしていなかったかもしれないってこと?
知らない内に命の危機に面していたの?

「あ、だからあんな正面玄関に車を横付けして…」

ふと、中也さんの横顔を見つめる。
“配慮が足りなかった”なんて言ったけれど、この人の行動にはちゃんと理由があって、それは私を守る為だったんだ。

「巻き込んじまったのは俺だからな、手前は俺が守る。」

通常ならばこんなイケメンにそんな台詞を言われたら舞い上がってしまうところだが、これは愛の告白のように甘美なものではない。

背筋が凍る。

確かに、中也さんは強いのだろうとは思う。
弾丸を素手で止めたのは、屹度“異能力”というやつだ。噂でしか聞いた事ないけれど。
ポートマフィアも異能力も、私とは無関係の世界のお話だったのに。
ああ、拙い、涙が出そう。

「相手も手段は選ばないだろうから、これからみょうじには俺と行動を共にしてもらう。」

ん?

「と言っても、一般企業だと有休も取り難いだろうから、普通に出勤してもらって構わねえ。
まあ、休みが取り難いのはマフィアも同じだけどな。」

ははっと笑う中也さんは、少し可愛いと思ったけれど…え、なにこれ、マフィアジョーク?
全然笑えないんだけど。

「悪いがみょうじの事も調べさせてもらった。
念の為、部下に自宅付近を見回らせたが、案の定、奴等が貼り付いてると報告があった。」

そこで中也さんが私を見た。鋭い視線だった。

「それでも手前一人で自宅に帰るか?」

拒否権はない、そんな圧力のある目に捕われる。
半分以上は恐怖が占めていた脳内に、僅か、けれども確かに、別のものを感じたが、それを打ち消す様に鞄の中に振動を感じた。

慌てて震源の携帯端末を取り出して見ると、彼氏からの着信だった。

一気に私を平凡な存在へと引き戻してくれた。
そうだ、私は異能力者でもないし、ポートマフィアなんかでもない。
善良なる一市民。静かに息を吸い込む。

「わ、私は、唯の一般市民です。身の危険を感じれば、警察を頼るまでです。」

いつの間にか前に向いていた中也さんが、ちらりと横目で視線を寄越したと思ったら「警察ねえ。」と鼻で笑われた。
まるで子供の思考と笑われた様で、頬が紅潮する。

「日本の警察は事件が起こってからじゃねえと動かねえよ。
まぁ“誰か“が死んだら、動くかもなァ?」

何が愉しいのか笑いながら話す中也さんは、矢張り堅気の人間じゃないのだと思わせる。

「こういった事案は警察よりも探偵社の方が…」

「探偵社?」

「あー…いや、なんでもねえ。胸糞悪い野郎の顔を思い出しちまった。」

盛大な溜め息を吐き、うんざりという表情をする中也さんだった。

「兎に角だ、身の振り方は手前でよおく考えるんだな。
元はと言えば俺の勘違いだから出来る限り護衛をする心算でいるが、要らねえってンならそれでも構わねえ。
ずっと呼び続けてる電話の相手に護ってもらうのも悪かねえ。
文字通り命を懸けりゃあ、奇襲も一回くらいはなんとかなるだろ。」

意地の悪い顔をする中也さんを見つめた。
“命を懸ける”なんて、そんな映画みたいな非日常、起こる訳がない。

少なくとも、私と彼との間では起こり得ない。
お互いがそこまでの存在とは感じていないから。

流れていく風景に視線を移し、世間体を保つだけの間柄ということを再確認した。
未だ震える携帯をそのままそっと鞄へ仕舞う。暫くして震えは止まった。

「どうするか決めたか。」

ブレーキをゆったり踏みながら中也さんが問う。
車が完全に停車したところで頷いた。

「……中也さんと、行きます。」

答えると、「よし」と呟いた中也さんが口角を上げて私を見た。

「ちゃんと掴まってろよ?」

「へ?ちょ、え、ええぇー!?」

突然、車が発進したと思ったら、ビルの壁を駆け上がった。
あれ、最新の車って垂直に進めるようになったんだっけ?道路交通法には引っかからないの?
状況をすんなり飲み込むのは困難だったが、現実は変わらずに垂直に上り続ける。
思わず両手で手摺に捕まる。
然し、不思議と地面方向への重力を感じない。

「少し荒い運転になるが我慢しろよ。追手を巻く。」

追手がいたのか、全然気付かなかった…お願いだから追手の人、早急に諦めて。
なんか車が垂直に走った次はジャンプまでしていたし。
それなのに重力の方向は変わらないから頭は追い付かないし、もう吐きそう。
結局私は、車が停車するまで意識を保っていられなかった。



2024.12.06*ruka


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*confeito*