◇10 命の期限


比較的穏やかな表情の二人に反して、なまえは表情こそ真顔だが、内から沸々と湧いてくる怒りを両手の拳に逃がし平静を装っていた。
自分は今、目の前の二人に愚弄されている。太宰を暗殺なんて出来る訳が無いと。

「で、期限は何時なんだ?」

そう言えば聞いていなかったと、なまえも中原同様、疑問の瞳を太宰に向ける。

「期限?期限なんて、勿論。暗殺出来るまで、だよ。」

相変わらず作り笑いを向けられ、苛々が募るなまえは反論を試みた。

「其れでは困ります。私には他にも請け負っている案件が…」

なまえは評判の良い暗殺者故、高額な報酬にも拘らず、依頼が絶えない。
同時に何件もの依頼を抱えているのが常であった。

「あぁ、其れなら心配要らないよ。代わりに全部片を付けておいたから。」

「…え?」

罠を仕掛けておいた案件が三件、調査中の案件が七件、まだ手付かずの案件が十数件…
なまえが提示した報酬額の半額で請け負うと太宰が持ち掛け、全て処理済みというのだ。

「そんな不安そうな顔しないでよ。ちゃんと報酬は全部なまえちゃんにあげるから。本来の半分になってしまったけれど、其れでも結構な額だよ。労せず報酬を手にできるのだから、こんな美味しい事はないでしょう。
まぁ、私との契約の手付金とでも思って受け取っ…」

「私はっ…!」

ベラベラと饒舌に話す太宰を遮る様に、なまえが声を荒げた。
太宰と中原の視線がなまえに注がれる。
太宰の言葉を聞いていたくなくて、咄嗟に遮ってしまったが、少なからず混乱している頭では次の言葉はなかなか出てこなかった。

見兼ねた太宰はそんななまえの胸中を見透かしているかの様に、少し嫌味っぽく言い放った。

「"一、依頼人は、環境整備等の要請に応じる事"
此の条件は、君から提示されたもので、私は其れに準じた行動を取ったまで。
なまえちゃんに雑念が生じ得る他の依頼を消し去っただけだよ。」

寧ろ感謝してほしい位だと言わんばかりに視線を向けられたなまえは反論できずに固まる。
中原はなまえが些か不憫だとは思ったが、口は挟まなかった。こういった場面で太宰に勝つのは、普通の人間では難しい事が解っていたからだ。

「とは言え、私の依頼は屹度、長丁場になるだろうから、収入が無いのは不安でしょう。
だからなまえちゃんには、今日からポートマフィアの一員になってもらおうと思って。」

「「はっ?!」」

突拍子もない太宰の言葉に、なまえと中原が声を揃えて驚きを露わにした。

「な、なんで私がマフィアなんかに…」

「潜入調査と思えば良いでしょう。今迄だって様々な職業に成りすましてきたはずだよ。」

再び太宰はやれやれといった表情で両手を広げた。未だ納得出来ないなまえは更に食い下がった。

「そうですが、でも私には私のやり方が」

「勘違いしないでほしいな、此れは提案では無く決定事項。それに此れ以上ない"環境"を提供しているつもりだけれど。」

苦虫を噛み潰した様な表情で反論の言葉を探すなまえを横目に、中原が問い掛ける。

「おい、太宰。ポートマフィアの一員にするってんなら先ずは首領に報告するのが筋だろ。」

「…此の件は私に一任されてるから。」

明らかに苛ついた棘の有る言い方で答えた太宰。視線はなまえを捉えた儘。
なまえは俯き、拳を強く握り、僅かに震えていた。
怒り、憎しみ、恐怖、一体今どんな感情がなまえを支配しているのか太宰は観察していた。

すると、なまえの拳の力がふっと抜け、顔を上げたかと思ったら、太宰に微笑みを向けた。

「仰る通り最適の環境ですね。私は何時でも任務を遂行出来る。随分と余裕がお有りの様で。」

太宰は己の顎に右手を添えて「ふむ」と呟き、表情を変えず答えた。

「まぁ、そうだね。あ、でも一つだけ条件を付けさせてもらうよ。
"ポートマフィアとしての任務中"は、なまえちゃんにもポートマフィアの一員として動いてもらうから一時休戦とする。
其れ以外の時間なら何時でも私を殺しに掛かって良いよ。」

なまえは鼻で嗤った。
"ポートマフィアとしての任務中"は殺さないでくれとの申し出に、結局此の男は本音では殺されたくないのではないかと思ったからだ。

「…構いませんが、通常、殺しに待ったは無しですよ?」

髪を耳に掛け、横目で太宰を見遣るなまえの表情は明らかに軽蔑の色を浮かべていた。
生命をやり取りする場で待てと言われて待つ愚者などいない。

「なまえちゃん、些かガッカリだよ。君には一から十まで説明してあげないとならないのかい?」

太宰は顔を抑え、大袈裟に溜め息を吐く。
其れを見つめるなまえの視線は鋭く、次の言葉を催促していた。

「此の条件は私の為ではなく、なまえちゃん、君の為のものだよ。」

「私の、為…」

浅く、一度だけ頷くと、太宰は腕を組み補足を続けた。

「もしも君が"ポートマフィアとしての任務"を邪魔するのであれば、私は容赦なくなまえちゃんを殺すだろうからね。」

中原が帽子を被り直し、視線を背ける。
だが、何も言わない。
太宰はそういう男だから。
また、癪ではあったが中原自身も其の意見には肯定的であったから。
だから擁護も、否定もしない。
何も言わない。

なまえは突き刺さるかの様な視線を太宰から外し、瞼を落とした。
少しの間を置く。
軽く息をふぅと吐き出す。

「安心しました。」

思い掛けない一言に太宰は腕組みを解き、なまえを見つめた。

「てっきり仕事中は集中してるから殺さないでって、甘い戯言をほざいているのかと。」

なまえは太宰ににっこり笑顔を向けた。
太宰は一瞬驚いた表情を見せた後、すぐにあはっと笑った。

「という訳だから、中也。無事暗殺が成功した暁には支払い宜しく。」

「あ?勿論、言い値で支払ってやるよ。」

急に話を振られ動揺を見せた中原。
太宰の頼まれ事なんて本当は、幾ら札束積まれても御免だったが、なまえには興味があった。

「良し、そうと決まれば報告に戻ろうか。」

先迄の張り詰めた空気が緩和された様子で、太宰は大きな伸びをし乍ら倉庫から出て行く。

「報告も何も、手前、今回何もしてねぇだろうが!」

其の後を文句を吐き乍ら中原が追う。
すると、数歩進んだ後に振り返り、なまえを指差した。

「手前も、呆けてねぇで着いて来い。」

なまえは無言で頷き中原の背を追った。

黒い影が三つ、深い闇に消えて行った。


2018.03.06*ruka



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*confeito*