◇16 巡る思考


部屋を出た中原は、扉の向かい側の壁を背に凭れ掛かり、胸衣嚢を探った。
其処に入れた筈の煙草が無い。
他の衣嚢を両手で探るが、其れらしい物は見つからない。

「あれ、ねぇな………あ。」

昨日の夜、自分で握り潰し、壁に投げつけた事を思い出す。
一度引いた苛々が再燃する。

太宰の嫌がらせで苛々する
苛々を鎮める為に煙草が吸いたい
煙草も無い
其れも此れも全て彼の青鯖の所為 ←今ココ

と自分を正当化し盛大な舌打ちをしてその場にしゃがみ込む。
所謂ヤンキー座りで帽子を取り、頭を乱暴に掻き、目前の扉に視線を向けた。

中原は先程のなまえとの遣り取りを思い出していた。
顔がにやける感覚を覚え、慌てて帽子で顔を覆った。
思い出していたのはなまえの言葉だった。
確かに脳裏になまえの下着姿はチラつくが、其れよりもなまえに「中也」と呼ばれた事を嬉しいと感じていた。
中原を下の名前で呼ぶ者など大勢いた。
大勢いたが、なまえが発した己の名前は突如として特別なモノになったかの様な感覚だった。
何故なのかが自分でも解らず焦燥やきもきしつつも、確かに歓喜が其処に在った。

「…ガキか、俺は。」

顔を覆った帽子を少し下へずらし、目だけを出す。
再び扉に視線を向けるも、また直ぐ帽子で視界を暗転させた。

「なまえちゃんの、何色だった?」

「あ?黒だよ…って」

答えた後に顔を覆っていた帽子を瞬時に剥がし、声が降ってきた方を見る。先までのにやにやは嘘だったかの様に、中原の表情は阿修羅の形相へと変貌した。
中原の視線の先に男が一人。太宰だった。

"何色か"という問いに対して、中原はなまえというワードで即答してしまった。
其れが何を示しているのか、即座に判断できたからだ。
太宰は中原が廊下で顔を隠して蹲っている(様に見えている)のは屹度、そういう事態が起きたからと予測したようだ。

「へー、黒かぁ。なかなかセクシーだねぇ。」

嫌味な笑みを中原に向ける太宰。
昨日の恨みもあり、中原の中で感情の糸のようなものがブツリと切れた。

「そうかよ…!」

勢い良く太宰の胸倉を掴む中原。
然し、太宰は至って平静に、そして興味も無いとばかりに軽く息を吐き口を開く。

「そういえば、紅葉さんが中也を探していたよ。行った方がいいんじゃない。」

「……姐さんが?」

中原は少しの間悩み、結果舌打ちをしてから太宰を解放した。

「執務室に居る筈だよ。」

けほっと一度咳込み、太宰は言葉を付け足した。
中原は太宰に背を向け帽子を被る。

「手前は俺が戻るまで、其処で待ってろよ!」

一度振り向き、人指し指を太宰に突き刺し決め台詞を放つと、中原は紅葉の執務室へと向かった。
太宰は「はいはい」と中原の言葉に適当に返しつつ、舌をぺろっと出し背中が見えなくなるのを確認した。

太宰が中原の言い付けを守る筈もなく、早速目の前の扉に視線を移す。

「却説。」

躊躇する事無くドアノブに手を掛けノックもせず無遠慮に開ける。
スカートのファスナーを上げるなまえが驚いた表情で太宰を見る。
外で待っていた筈の中原でなく、太宰が入ってきたからだ。

「…太宰、さん。」

「おや、着替えは済んでしまった様だね。残念。」

太宰は「やぁ」と右手を挙げてにこりと微笑む。
なまえは太宰を無言で見つめた。

「私の顔に何か付いているかな。」

小首を傾げながら太宰が問うが、なまえは答えず太宰に近づき包帯が巻かれた右手首を掴んだ。

一間の広くはない室内、入口付近に居た太宰を中へと誘導し、ある場所で止まる。

「何、なまえちゃ…」

ぽすり。

途端、背後に柔らかな感覚。
一般構成員用の仮眠室の物であるから、そこまでふかふかという訳ではなかったが、床や壁に比べたら衝撃なんて在って無い様なものだった。

太宰に覆い被さる様になまえが位置すると、太宰の視界は天井を背景にして殆どがなまえで埋め尽くされた。

「太宰さん、私…」

太宰を寝台へ押し倒し、頬を仄かに紅潮させるなまえ。
太宰の包帯で隠れていない目を、熱が籠った双眸で見つめ乍ら言葉を紡ぐ。

「私、太宰さんの事が好きになってしまいました。」

二人分の重さを受け止める一人用の寝台が、申し訳なさそうに、ぎしりと悲鳴をあげた。


2018.05.10*ruka



<<back


*confeito*