◆ 3 潮風の行方


ヨコハマの海が見渡せる、小高い丘に作られた小さな公園。暗闇と静寂に包まれた此の場所で、一人、潮風に髪を靡かせている。

なまえは仕事の後、決まって此の公園で海を眺める。
何をするでもなく、唯々、海を眺めるのだ。

暫く眺めた後、潮風で肺を満たし、瞼を落とす。
すると不思議と、自分が此処に存在していないかのような感覚が訪れる。
暗闇に身体ごと融けて、消えてしまったみたいに。

無心で其の感覚に耽る。


嗚呼

如何か

此の儘…


意識が彼方へ飛んで行ってしまいそうになったその瞬間。
必ず、直前の仕事で殺めた人物の最期を思い出してしまう。

なまえが確かに存在している事を証明するかの如く、既に魂の存在を亡くした人物が脳裏にはっきりと。
其の魂の重みも背負って生きろと、訴えられているかの様に。

「今日も、か。」

なまえは瞼を少しだけ上げ、零す様に呟くと潮風の行先へ消えて行った。



数日後 ー

何時もとは違う千葉の港になまえの姿はあった。
倉庫街なぞ何処も似た様な景色にはなってしまうが、慣れたヨコハマの港とは匂いが違う様な気がして、なまえは若干の違和感を感じていた。

今宵は満月。

組織の幹部たちは先のポートマフィアとの抗争で、まんまとポートマフィアを出し抜いた自分達の勝利を祝す舞踏会を催していた。中からは何やら賑やかな音楽やら笑い声が聴こえる。

自分たちの頭の命が狙われているとも知らずに。

「暢気なものね。好都合だけど。」

なまえは舌を軽く出して、港に佇む舞踏会会場の入り口へと近づいた。
入り口にはガタイの良い、如何にも腕力自慢の守衛が二人立っていた。

此の舞踏会は唯の舞踏会ではない。
麻薬密輸組織の上客だけを招待した極秘の仮面舞踏会だった。
訪れるのは各界の著名人のみの為仮面で素性を隠し、更に招待状必携であった。

なまえは驚くでも慌てるでもなく、会場の裏手に廻った。
会場の見取り図は頭に入っていたなまえにとって、二階の広縁から侵入するなんて、雑作もない事だった。

黒いロングドレスがひらりと宙を舞う。

今日は暗闇に紛れる必要があった為、なまえは漆黒のドレスを纏っていた。

なまえが降り立った広縁には、ドレスと同じ漆黒の影を、空に輝く満月が創る。

上に羽織っている外套を脱げば、白い肌が際立ち何とも妖艶である。

さっと仮面を着け、何食わぬ顔で舞踏会場へ降り立ち、洋酒を手に取り場に馴染む。

…妙だ。警備が手薄過ぎる。
正面入口こそ屈強な男二人が居たものの、裏口には一人も配備していないのは不自然だ。
身構えていたなまえは肩透かしを食らったようだった。

然しまだ罠の可能性もある。
警戒しつつ、不自然でない程度に周りを見渡し、標的を探すなまえ。

大方、あの曇り硝子で囲われた部屋の中でキメているんだろうと推測された。
参加者全員、仮面を被ってはいるものの、身形や背格好で組織の人間が一人も居ないことが解った。

「…!」

なまえが会場を見渡していると、一人の男と目が合った。

先日とは違い、舞踏会用の服装をしてはいるが、服からは包帯がのぞいていた。

(…確か、ポートマフィアの太宰。)

職業柄、人の顔や特徴を覚えるのが得意だったなまえは、直ぐに誰か理解する。
ポートマフィアも此の組織を追っているのだ。また対峙する可能性が高い事は想定内だった。

太宰もなまえに気づいた様子で、にこっと微笑まれ、手を振られる。

なまえは舌打ちをして太宰を睨みつけた。邪魔される訳にはいかない。ポートマフィアより先に任務を遂行しなければ、と思っていたなまえに一人の男が話し掛けた。

「美しいお嬢さん。壁の花にしておくのは勿体無い。私と一曲どうだね。」

酔っているのか赤ら顔でなまえを口説く男は、誰もが知る政界の有名な先生だった。
此処で繋がりを作るのも悪くない考えだったが、ポートマフィアの姿を見たなまえは内心、若干の焦燥に駆られていた。

なまえは先手を打つ事にした。

「あの、私、少し酔ってしまったみたいで…」

よろよろと男に寄り掛かかるなまえ。満更でも無さそうな男は、よし!と言いなまえの腰に腕を回し厭らしい笑みを見せた。

「では少し一緒に休もうか。…もっと気持ち良くなれるぞ?」

なまえのお尻を撫ぜながら誘う男に、なまえは嫌悪感しか無かったが、綺麗に微笑むと是非と答え、更に男に密着した。

"休もうか"

舞踏会での此の言葉の意味は、薬をヤッて気持ち良くなろう、という事。此処にいるのは薬狂いの人間許りなのだ。

目論見通り、男はなまえを曇り硝子の部屋へ連れて行こうと歩き始めた。
なまえはちらりと横目で太宰を見遣る。すると太宰もなまえを見ていた。再び目が合う。

そして余裕と許りにまた笑顔を返された。

其の笑顔が気持ち悪くて無性に気になったが、男に寄り添い曇り硝子の部屋に辿り着いた。

案の定、部屋の中には組織の頭と数名の女性が淫らに交じり合っていた。如何やら全員ガッチリ、キマっている様だった。

「私達も仲間に入れて貰っても構わんかな?」

男が組織の頭に問い掛ける。大きめの黒い革張りのソファーにゆったり腰を掛けていた頭が、少し体を起こしなまえを見る。

下から上へ品定めをするかの様に。

「…いいだろう、此処に来い。」

頭はぽんっと自分の両足を軽く叩き、なまえを自分の元へ呼んだ。
なまえはドレスを両手で摘み、軽くお辞儀をして頭へと近づく。

促される儘、頭の片膝へ腰を下ろし胸板へ擦り寄る。
頭はなまえの仮面を少しずらすと、にやりと嗤い、其の儘仮面を剥ぎ取った。

「今夜は素敵な夜にしよう。」


2017.03.14*ruka



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*confeito*