◇38 神が魂に点火した光
「よし、後はもう寝ちまいな。」
救急箱を仕舞おうと立ち上がると、服が引っ張られた気がして振り向く。
「……中也、ありがとう。」
上目遣いで礼を言ったなまえに笑顔はなかったが、それでも俺の心臓は跳ね上がった。
理性を保つのは、こんなにも難しいことだったか。俺は唾と一緒に、込み上げてくるものを飲み込んだ。
「やっと喋ったな。」
自然と笑顔になった。素直になまえの声が聞けたことが、嬉しいと感じたから。
それからなまえを寝室へ連れて行った。
「俺はソファで寝るから、なまえは此処で寝ろ。」
寝台を前にして動かなくなったなまえ。不思議に思い視線を向けると、なまえも俺を見ていた。
なまえが首を数回横に振る。
「私がソファで寝る。」
そんな事だろうと思った。如何するか。頬を少し掻いた後、なまえを横抱きにして寝台へ寝かせた。
「わっ…ちょ、やめて!」
なまえは抵抗したが、俺はお構い無しに羽毛で閉じ込めた。なまえはおとなしくなり、顔を少しだけ出して俺を見る。
………頑張れ、俺の理性。
「寝られそうか。」
俺の問い掛けに小さく頷くなまえを確認して、頭を一撫でしてやる。
「おやすみ、ゆっくり休めよ。」
◇
そして今に至る。
寝れる訳がねぇだろ。
俺だって上司の前に男だ。その男の部分を押し殺して、俺はよくやってると思う。
盛大に自分を褒めてやりたい。
ソファに寝転がり乍ら、テーブルに置かれた儘の酒杯を見る。欲望にまかせた無神経な行動をしたくない。
彼奴は充分過ぎる程、傷ついた。
安心して羽を休められる場所が必要だ。
俺はそんな場所を作ってやりたい。
◇
厠で用を足した後、魔が差した。
なまえはちゃんと寝られているか、確認をする為だけだと、意味もない自分への言い訳を呪文のように唱え乍ら寝室へ向かう足。
自分の家なんだ、堂々としていればいい。そう思いつつも、こっそりと扉を開き、静かに寝台の横に立つ。
なまえは行儀良く、上を向いて寝ていた。
微かな寝息と安らかな寝顔に安堵する。よせばいいのに、俺はなまえに触れたくて手を伸ばす。
布団から少し出ていた手に触れてみた。
全く反応はなかった。
寝ているのだから当然と言えば当然だ。俺は何を確かめているんだ。
魔が、差したんだ。
俺の服を着て、俺の寝台で眠る無防備ななまえ。額にかかる前髪を少し分けて、其処にそっと口付けた。
完全に油断してた。
寝てると思ったんだ。
真逆、其の双眸に見上げられるとは、夢にも思わなかったんだ。
「……中也?」
「…狸寝入りなんざ、佳い趣味してンな。」
なまえの髪をくしゃりとしてから離れる。
「中也、いえ…中原さん。」
なまえは少し前から、普段は俺のことを名前で呼び、上司として接する時だけは苗字で呼ぶようになった。
今、なまえが俺のことを上司として接している事に、少し罪悪感が芽生える。
返事をして次の言葉を待っていると、聞こえてきたのは耳を疑うような言葉だった。
「全然、眠れないんです。隣で…寝てくれませんか。」
一瞬、息を呑む。
意外と冷静でいられたのは、なまえが俺を苗字で呼んだからだろう。
「はっ、随分と世話の焼ける部下だなァ?けどな」
少し笑い乍ら答え、一呼吸置いてから続けた。
「そりゃあ上司に頼むことじゃねぇだろ。
"中原さん"の儘で添い寝できる程、人間できちゃいねぇよ。」
なまえからは何も返ってこなかった。俺が言った意味が伝わったんだろう。
今どんな顔をしてるのか気になったが、薄暗がりの此の部屋じゃ、それこそ添い寝でもしなけりゃ確認できそうにない。
「目ぇ瞑って山羊でも数えるんだな。」
「それを言うなら羊では。」
「…どっちでもいいだろ!」
俺はそう言い捨て、退室しようとなまえに背を向けたが、右手が何かに囚われ阻止される。
何か。
そんなの、なまえに決まってる。
顔だけで振り向くと、布団から手だけが伸ばされていた。
あれ、此奴…顔どこやった。
「…や…ね、がい。」
くぐもった声が聞こえる。よく聞き取れない。どうやら布団に潜っているようだ。
「あン?なんだって?」
俺が聞こえないという反応を返すと、なまえは再び顔を少しだけ布団から出す。
だから…其れ、やめろって。
「中也、お願い。一緒に寝て?」
俺はなまえに掴まれていない手で顔を押さえた。
反則だろ、こんなの。
コレは俺への御褒美なのか、罰なのか、もはや解らねぇし、どっちでもいい。
俺は天を仰いでから、大きな溜め息の様な深呼吸をした。
「…………もう少し、奥に行けよ。」
そう言うと、なまえはもぞもぞと動き、俺が入る場所を空けた。
2019.03.01*ruka
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*confeito*