◇44 君は


織田と別れた後、太宰が用意した"番犬付きのマンション"へ到着すると、なまえを支え乍ら昇降機へ乗り込む。
其の直前、柱に掛かっていた時計をチラリと見ると、太宰は小さく呟いた。口元には緩やかな弧を描いて。

「…頃合、かな。」

昇降機が上昇するにつれ、足に力が入らなくなっていくなまえ。

「無理しないでいいよ、立ってるのも辛いんじゃない。」

太宰は楽しそうに笑い、なまえの腰に手を回す。なまえは太宰を睨みつける。
赤く火照った体は確かに酒を飲みすぎた所為だとは思うが、力がこんなに入らないのはおかしい。

「いい表情…若しかして、誘ってるのかい。」

なまえの腰に回した手を、ゆっくりと上へと動かす。
その手の行き先を察知したなまえは、制止すべく自分の手を重ねるも、力はほぼ無いに等しかった。

「……何を、飲ませたの。」

潤んだ瞳で見上げるなまえの耳元で、太宰がそっと呟いた。

「筋弛緩剤だよ。」

眉間に皺を寄せるなまえ。
油断した。
織田や坂口という第三者が居た事と、其処で見せた太宰の表情に。

「無粋な真似はしてくれるなと、そう言ったのは貴方なのに…っ」

太宰に吐き捨てる様に言うなまえに、無表情で答えた声は暗かった。

「厭だな、唯の戯れだよ。なまえちゃんの酒に混ぜたのは市販の物だし。
まぁ…一寸量は多目だったけれど。」

"一寸"という言葉に反応するなまえ。
市販薬でここまで筋肉の緩みと息苦しさを感じるのは異常だ。
浅く呼吸を繰り返し、反論しようと太宰を睨むが力が入らない。

昇降機が停止し、引き摺られる様に降りる。
なまえの部屋の前まで来た処で、太宰が口を開いた。

「ねえ、中也にはどこまで許したの。」

支えられていたなまえの体は、扉に叩きつけられ、股下に太宰の足が差し込まれた。
自立が難しい程になっていたなまえは、其の太宰の足で漸く立てていた。
太宰はなまえの肩を扉へ抑えつけ、耳を舐め上げた後、耳朶に勢いよく噛み付いた。

「痛…っ」

太宰の歯形がくっきりとつき、少量の血が滲む。太宰は耳にかかる髪をそっと持ち上げると目を細めた。
其の儘手を首筋へと下ろしていき、自分と同じ様に巻かれた包帯に指をかける。

「苦しかったかい。」

視線を首の包帯に向けた儘、なまえに問う。
慣れた手つきで包帯を解いていく。
腕を上げるのもやっとのなまえは、太宰のネクタイを握るので精一杯だった。

「なに、口付けでも欲しいの?」

「違…んんっ」

太宰は片手でなまえの首を絞めるようにして、強制的に上を向かせると唇を塞いだ。
無遠慮に口内を侵していく太宰の舌が、逃げるなまえの舌を捕まえては絡ませる。
太宰は首を絞めている手に力を加え、軌道をも塞ぐ。
薄く開いた目で太宰を見ると、真っ黒な瞳と目が合った。

そしてなまえは掴んでいた太宰のネクタイから手を離し、瞳を閉じた。
抵抗をやめたのだ。
すると、太宰もなまえの唇を解放し、首を絞めていた手の力も緩めた。
酸素を得たなまえは咳き込むと、いよいよ体制を保っていられなくなり、太宰の胸へ倒れ込む。
太宰はなまえを優しく抱き締める。
なまえは肩で息をしながら太宰の心臓の音を聞いていた。

「君は」

頭上から降り注ぐ穏やかでいて、少し哀しそうな声に耳を傾ける。

「君は…命の炎を燃やしているようでいて、其の実、灯を消したがっている。」

なまえはゆっくりと顔を上げる。
其の先には泣きそうな顔をした少年が居た。

「死にたいのは、私なのに。」


2019.10.26*ruka



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*confeito*