◆45 恣意的アルゴリズム


夜の帳が降りた今、聞こえてくるものは限られていた。
時折吹く風が奏でる木々の騒めきに、太宰となまえの悩ましげな吐息。
あれから太宰は、なまえに口付けを繰り返していた。角度を変えて何度も。
其の行為がどれだけの時間続いたか、太宰にもなまえにも解らなくなる程時間が過ぎた頃、機械音が無機質に響いた。
昇降機が二人の居る階で止まり、扉が開く。昇降機に背を向けている太宰には、降りてきた人物は見えないし、太宰で視界が埋まっているなまえにも見えない。
然し、其の革靴の足音には聞き覚えがあった。其の靴音が近くまで来て止まる。
舌打ちをした後、不機嫌そうな声で言った。

「人ン家の前で堂々と手ぇ出してんじゃねーよ、クソ太宰。」

其の一言で、漸くなまえの唇は太宰から解放されるが、体を抱き締められた儘だった。
太宰は顔だけを其の声の主、中原へ向け口角を上げる。

「やぁ、お帰り中也。羨ましいのかい。」

「は、言ってろ。」

いつもの挑発と思い太宰の肩を押し、なまえから離れさせる。
太宰も特に抵抗はせず、大人しく離れる。
支えがなくなったなまえは、一瞬がくりと身体を下げたが、一歩で踏み留まった。
其れを太宰は静かに見ていた。

「なんだ、手前…酔ってんのか。」

中原はなまえの肩を支えると、太宰を睨みつけた。

「おい、さっさと帰れ。明日の俺との任務、使い物にならなかったら俺が手前を殺す。」

太宰は溜め息を吐くと、昇降機へ歩き出す。

「そりゃ、おっかない。おとなしく帰るとしよう。」

素直に応じる太宰に若干の違和感を感じ乍ら、中原は家の鍵を開けた。

「嗚呼、そうだ。」

昇降機の前で振り返り、太宰が態とらしく声を上げた。中原は視線だけを向ける。

「右耳の手当て、してあげてね。」

そう言い残すと、太宰は手を振り昇降機へ乗り込んで行った。
中原は手当という言葉に息を呑み、なまえの輪郭を捉える。

「まだ何かされたのか。」

心配そうな瞳をまっすぐ向けられたなまえは、何故だか申し訳ない気持ちになり視線を外す。

「耳を、少し噛まれただけ。手当なんてそんな、大袈裟な程のものじゃ…」

「いや、彼奴自体が病原菌みたいなモンだ、消毒するぞ。」

中原は舌打ちをすると、昨日同様、自宅になまえを上げた。
其の頃にはなまえは自立出来る状態になっていた。

中原の後を着いて行くと、リビングのソファに座って待つよう指示される。
指示の通り、ソファの端に座り待っていると、中原が救急箱を持って現れた。
中原はなまえの隣に腰掛けると、右耳にかかる髪を持ち上げる。
暫く眺めたかと思うと、確かめるように何度も手で触れる。
なまえは擽ったくなり、堪らず声を上げた。

「ね、中也…擽ったい。」

中原になまえの声は届いていたものの、返事もせずになまえの耳を凝視していた。
確かに血液らしき赤いものが付着はしているが、肝心の其の出処…つまり傷口がないのだ。
眉間に皺を寄せる中原は視線を下げ、包帯が解けかけている首を見る。
矢張り青紫の痣が残っている。然し、今朝よりも随分と薄くなっていた。
無言の儘、なまえの右手首の包帯を解いていく。
ガーゼには、固まった血液の色があった。
ゆっくりとガーゼを退ける。

現れたなまえの手首は綺麗だった。

傷痕も何もなく、綺麗だった。


2019.11.09*ruka



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*confeito*