◇ 6 生簀の鯉


潮風は何時もと同じ。
静寂を纏うこの公園も。
優しく輝く夜空の星も同じ顔。

違うのは私の心だけ。

ポートマフィアと図らずも接触してしまった一件から、ずっと、心が乱れている。

あの太宰という男の掌の上で転がされていた自分を考えると滑稽だ。
酷く自尊心が傷つけられた。

然し太宰のせいには出来ない。
ポートマフィアの介入は先の一件で容易に想像できた筈。
其れなのに対策もせず、何時も通り任務に臨んだ私に落ち度がある。

甘くみていた。
否、希望的観測だった。
ポートマフィアが介入してこなければ良いと。

あの二人に初めて接触した際に、直感的に感じた。
関わってはいけない人種だと。
無論、暗殺者などしている私も側から見れば"関わってはいけない人種"に括られるのだろうが。

でも彼等は私とは違う気がする。
異能者なのは先日の千葉での任務で確信した。

まず中也という帽子の男は、物質の質量か密度か、或いは其の何方もの操作が出来る異能。
あのドレスが一気に重くなった感覚は、そうとしか説明がつかない。

問題は太宰という包帯男の方だ。
あの男の異能は認めたくない。然し、中也と同じく、そうとしか説明がつかないから腹が立つ。

太宰が中也の肩に手を乗せた途端に、ドレスが本来の質量を取り戻したのは紛れも無い事実。

真逆…本当に異能を無効化できるのだろうか。

仕事柄、色んな異能力者を見てきたがそんな異能力は見た事がない。
発動条件は未だ不明だが、屹度何かしらの制約はあるはず…
そうでないと、全異能力者はあの包帯男に平伏す事になってしまう。

ま、考えても仕方ない事は考えない事にする。

だって、はっきり答えがあるはずなのに、今の私は其れを持ち合わせていないのだから。

…苛々する。

太宰の別れ際の言葉。

『近いうちに、また、ね。』

あの嫌味な微笑。反吐が出る。
思い出しただけで苛々するが、其れだけではない。
言葉の意味に直ぐ気付けなかった私自身にも苛々するのだ。

あの日、千葉からヨコハマに戻った私は何時も通り此の公園を訪れていた。



ドレスに合わせて結っていた髪を解き、潮風を吸い込もうとした瞬間。

ポトッ

「…。」

何かが地面に落ちる音がした。

動きが止まり、まるでマネキンにでもなったかの様だった。
嫌な予感しかしなかった。瞬時に冷や汗が溢れ出て、背中を伝う感覚が気持ち悪い。

時間が止まるか、時間が戻るか、今の音は無かった事になるかのどれかが叶うなら良かったが、そんな訳も無く恐る恐る自分の足元に視線を落とす。

「…はあぁぁ〜」

嫌な予感は的中し、長い長い溜め息を吐き乍らその場にしゃがみ込んだ。
膝を抱えるようにして、地面に落ちている其れ、小さな機械を横目で見遣る。

やられた。

中指と親指で摘まみ上げる。

小型の追跡装置、或いは発信機。
何れにせよ、此れで私の居場所はバレバレという事だ。

摘んでいる指に力を込める。其れを太宰に見立てたら、何時も以上に力が入った様だった。
小さな機械はメキッと小さく鳴っていくつかに分裂した。

当然、指の腹に少しの刺激を感じる。
自分の行動が起因しているにも拘らず、此れも全て太宰のせいにして、力任せに海に向かって小さな機械を投げ棄てた。

少しスッキリして、軽く息を吐く。

ポトッ

再び聞こえる落下音。

全身の血の気が引くのを感じた。

古びたブリキ製の人形が錆びた音を立てて首を捻るかの如く、私はぎこちなく首をゆっくりと地面に向ける。

顔が引き攣る。

視線の先には、先程此の手で海に投げ棄てた物と似た様相の小さな機械。

差し詰め、盗聴器の類だろう。これでもかという程力一杯、大袈裟に、ピンヒールで踏みつけて破壊した。

太宰と接近したのは血を拭われた数秒のみ。よくもまぁ、あの短時間で二つも小細工を仕掛けたものだ。

…二つ、だけだろうか。

あの包帯男、許すまじ。
私はこう心を乱されるのが一番嫌いだ。

嫌だ。

本当に、苛々する。

私の居場所を追跡して如何する心算なんだ。
…思い当たるのは、邪魔した制裁か。
無論、邪魔した覚えはないが。

取り敢えず、此のドレスを焼き払ってしまおう。



あれから数日が経ち、苛々が収まらない侭、任務をこなす。
此の公園に立ち寄るのはもう止めようかとも思った。そうすれば彼奴等にもう会わずに済む。

然し、逃げるようで癪だった。だから私は敢えて何時も通り、此の公園で潮風を吸い込んでいる。

あの包帯男は、私の名前を知っていた。という事は、とっくに調べられているのだ。
何処まで調べられているのかは不明だが、今更逃げたり隠れたりした所で、天下のポートマフィア様から逃げられる訳も無い。
彼らが本気を出したら、此の夜の世界で敵う訳が無いのだ。そんな事は承知の上で此の仕事をしている。

"生簀の鯉"なんて諺を思い出しつつ、吸い込んだ潮風を少しずつ、ゆっくりと吐き出す。

合わせるように閉ざしていた瞳をゆっくり開く。

背後に感じる気配。

嗚呼、苛々する。

潮風に靡く髪を耳に掛けて、体半分振り向き乍ら、背後の公園入り口付近に佇む男にそっと言葉を投げ掛けた。

「先日は、お世話になりました。」

そう言うと、包帯の男は、口許に僅かに弧を描いた様だった。

「やぁ、元気だったかい、なまえちゃん。」


2017.07.28*ruka



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*confeito*