◇ 8 鬼蛇
「貴方様を、殺す…?」
解り易い程に怪訝そうな表情を向けるなまえ。無理もない。目の前の男が、自分自身を殺してくれと依頼をしてきたのだ。
「"貴方様"だなんて、他人行儀な呼び方はよしておくれよ。
あぁ、そういえば自己紹介がまだだったね。私は太宰治。特別に治で良いよ。」
そんな事は如何でも良いとばかりに、なまえは表情を益々険しくさせた。
「詳しく、説明して頂けますか。」
なまえの申し出に対し、太宰はおや?と頭を掻いた。
「想像っていたよりも愚鈍の様だね。説明も何も、言葉の通りさ。
君の手で私に死を齎してくれないか。」
頭を掻いていた手をゆっくりと降ろし、血がじんわりと滲む首元を包帯の上からなぞる。
月明かりがある筈なのに、睫毛が長いからなのか、瞳には光は無く、吸い込まれてしまいそうな闇しか感じない。
なまえは昔、同じ様な瞳をした人間が居た事を思い出す。今となっては所在も知れぬ彼の人を重ね、なまえは視線を少し落とす。
太宰は静かに其の姿を見つめる。
なまえはナイフを仕舞い、太宰を正面から見据えた。
「何故、私なのですか。」
太宰はなまえの問い掛けに直ぐには答えず、なまえを見つめ返す。
暫しの沈黙。
太宰はふと、目蓋を落とし呟く様に言った。
「却説、ね。唯の気紛れさ。」
潮風に消え入りそうな声が、なまえに届いた時、太宰が見せた刹那の表情に、またなまえは彼の人を重ねる。
「ねぇ。」
記憶の彼方に意識が飛びそうになっていたなまえを、不機嫌そうな声で太宰が引き戻す。
「"誰"の事を考えてるのさ。今、なまえちゃんの目の前に居るのは私なのに。」
顔に「面白くない」と大きく書いてある様な表情で太宰が問う。
「却説、ね。」
お返しとばかりに、太宰の真似をして返すなまえ。
軽く溜息を吐き、太宰が本題に戻す。
「聞いてるよ、なまえちゃんの評判は。失敗しないんだって?すごいねぇ。
失敗しない仕事だけ選んでるの?」
「…。」
軽い挑発。そんなものに易々と乗るなまえではなかった。
「此れは仕事の依頼だから断っても構わない。
君の"綺麗な経歴"に傷が付いても困るだろうからね。」
太宰はなまえを嘲笑うかの様に言い放った後、なまえに背を向けて公園入口へと歩を進めた。
「…確かに困りますね。」
顎に手を当てて悩む様な素振りをしつつ、太宰の背中に呟くなまえ。
首だけで振り向いた太宰の目に、不敵な笑みを浮かべるなまえが映る。
「依頼人を殺してしまっては、誰から報酬を頂戴すれば良いのでしょう。」
「…契約成立、だね。」
◇
一、報酬は成功後に現金一括払いのみとする
一、依頼人は、手法に於いて一切の関与をしない事
一、依頼人は、環境整備等の要請に応じる事
「成る程。随分となまえちゃんに都合の良い条件だねぇ。」
「嫌なら契約は白紙に戻しますが。」
なまえが仕事を請け負う際に必ず提示する契約条件を、此度も例外無く太宰に提示した。
「真逆!早速、君に最高の環境を与えてあげよう。」
言うや否や、太宰は二つに折られた紙をなまえへ手渡す。
なまえが受け取り紙を開くと、其処には手描きの簡素な地図らしきものが描かれていた。
「地図、ですか。」
「何処からどう見ても地図でしょう。其処に描かれている場所に、明日行ってみると良い。」
なまえは再び地図らしきものに視線を落とす。
右上に時刻と思われる数字、線と目的地らしき星型は描かれているが、目印になる様な物が殆ど描き込まれていない。
此れを本当に地図と呼んで良いものか、なまえは些か苛立ちを覚えた。
自分は太宰に試されている
其処にすら辿り着けない程度なら、任務を依頼するに値しないと。
「…其の地図じゃあ、君には無理だったかな。」
「否、充分過ぎます。」
「そ、結構。」
太宰はにやりと嗤った後、静かに闇に消えて行った。
「鬼が出るか、蛇が出るか。」
2018.01.28*ruka
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*confeito*