◇ レイ・チャールズによろしく哀愁 弍
疲れた。
身も心もボロボロだ。
中也が出て行った後、暫くリビングでぼーっとする。
木製の円卓には、中也が作ってくれた美味しそうな料理が所狭しと並んでいた。
私の涙腺は限界を迎えて、脱水症状を起こすのではないかと思うくらい涙が零れ出た。
気付けば空が白んできていて、シャワーを浴びようと立ち上がる。
そこで思い出した。
日付変わって今日は久々の休暇だ。
だから、中也は来てくれたのだろうか。
出かける約束などはしていなかったが、気を遣ってくれたのだとしたら…申し訳ない気持ちでまた涙が出てきた。
もういいや、一眠りしてからシャワーを浴びよう。
ソファに横たわり、瞼を落としたら電池が切れたみたいに、一瞬で眠りへと溶け込んだ。
◇
次に目を覚ましたのは正午頃で、外は太陽が燦々と照りつけていた。
のそりのそりと起き上がり、シャワーを浴びる。温度を低めに設定したシャワーで頭を冷やして、いろんな事を整理する。
少しだけ、気持ちが落ち着いてきた。
「(嗚呼、そうだ、太宰さんに連絡しないと。昨日不自然に電話を切ってしまったから。)」
部屋着に着替えて髪を乾かした後、リビングに戻ってスマホを手に取る。
中也が作ってくれた料理がその儘になっていた。
乾燥果実があしらわれたカナッペを一つ摘み口へ運ぶ。
「おいし…」
言葉と一緒に涙を一粒零した。
人差し指でそれを拭い、着信履歴から太宰さんへ電話を架けた。
◇
「いやぁ、真逆なまえちゃんがデェトをしてくれる日が来るとは!絶好の心中日和だね!」
午後三時、私は探偵社の下にある喫茶処うずまきに居た。
目の前にはテーブルを挟んで、ウフフと頗る楽しそうな太宰さんが私の手を握っている。
心中日和とはどんな日和なのか全くもって理解不能だが、そういえば自殺嗜好家?なんだっけ。
変な人……ん?心中って、え、私と?
やんわりと手を離そうとしたが、案外強い力で握られていて、離してもらえなかった。
「それで?例の彼氏と上手くいってないのかい。」
「!」
まだ何も話してないのに、何で解るんだろう。
彼氏が居る事は、顔合わせの時に話したけれど、詳しい話は全然してないのに。
「何があったかは解らないし、私はその彼氏の代わりにはなれない。」
急に太宰さんの声のトーンが変わった。真剣で、耳触りの良い優しい声。
「だけれども、私ならなまえちゃんの様なご麗人に、そんな哀しそうな顔はさせないよ。」
私の手を握る力が軽くなり、片手を口元に引かれ優しく口付けられる。
顔に熱が集まる。
こんな事されたら、どんな女性だってそうなるでしょう。私は悪くない。
気恥ずかしくて、そそくさと手を引っ込めた。
「私、見てしまったんです。彼が他の女性と居る所。
然も私の同期と。凄く楽しそうに笑っていて、凄く嫌だった。」
俯き乍ら昨日の事を話す。
何で太宰さんにこんな事話してるんだろう。
迷惑だろうなと思い、チラリと太宰さんの顔を伺うと「それで?」と優しく微笑まれた。
誰でも良かった、誰かに話を聞いてもらいたかった。
私は太宰さんの優しさに甘える事にした。
「最初は本当に嫌悪感しかなくて、裏切られた様な気さえして…昨夜、彼と初めて大喧嘩したんです。」
何時も中也は優しくて、私が嫌がる事とか一切した事が無かった。
凄く、大事にされていたんだと、思う。
「一晩寝て、冷静に考えてみたんです。彼の幸せを。」
あんなに楽しそうに笑う中也は、仕事中では先ず見れない。
だから、私と居る時だけの、私だけが知ってる中也だと思って自惚れていた。
「彼と一緒にいた私の同期、凄く美人なんです。私なんかよりもずっと優秀だし、優しくて良い子なんです。
だから、私、その子とも仲良いんですよ。
今回の事があっても、嫌いになんてなれないくらい…」
本心だった。
樋口とは数少ない女性の同期という事もあり、入社当時から切磋琢磨して時に励まし合ってきた仲だった。
彼女の存在に何度助けられたか解らない。
嫌いになんて、なれる訳がなかった。
「そもそも、彼が何故私を選んでくれたのか解らないんです。
彼女に比べたら私なんて月並み以下だし、私が彼に一方的に憧れて、その熱意に負けたとしか…」
圧倒的に強くて、部下思いな中也に憧れて、ずっと背中を追い掛けてた。
苦笑いをして、珈琲を一口飲む。太宰さんは唯、優しく私を見ていた。
「凄く、お似合いだったんです、その二人。
嗚呼、敵わないなぁって思っちゃったんです。」
珈琲碗を両手で包む。程良い温かさで掌がじんわりと熱を帯びる。
「好きな二人が幸せになるのなら、私は身を引こうと思うんです。」
首領の言葉を借りるのなら、これが最適解。そう思わずにはいられなかった。
私が二人の邪魔をしてるとしたら、それこそ居た堪れない。
「成る程…素晴らしい自己犠牲の精神だね。」
ずっと黙った儘だった太宰さんがにっこり笑い乍ら言った。
自己犠牲…そんな格好の良いものではないけれど。
「でも、それじゃあ、なまえちゃんの気持ちは如何なる。君の彼を想う気持ちの行き場は。」
そんなの、心の深くに押し潰して、いつか時間が忘れさせてくれるのを待つ他ない。
「君が、潰れてしまいやしないか。」
まるで、心を見透かされているかの様に物言う太宰さんは、優しい様でいて怖かった。
また涙腺が悲鳴を上げる。
人前で、喫茶処で泣くなんて恥ずかしい。子どもじゃあるまいし。我慢して。
「こんな所で私とお茶をしてる場合じゃないんじゃないのかい。
私の調査によると君は今日…」
カランカラン…
店の入口の鐘が鳴る。
誰も出て行ってないから、お客さんが入店したんだろう。
入口に背を向けている私からは誰が入店したのか解らなかったが、太宰さんは誰が入店したのか見えたらしい。
そして知っている人物なんだろう、露骨に嫌そうな表情をしている。
「探偵社ってのは随分と暇らしいな。昼間っから女とお茶してるなんてよ。なァ、太宰。」
「え…」
この声。
聞き間違える訳ない。
振り返ると帽子を被った男が近づいてきていた。
「如何して此処にちゅう…中原さんが?」
驚きの余り、いつも通り"中也"と呼ぼうとしたが、太宰さんが視界に入り、咄嗟に上司と部下を装う。
探偵社に何か用があって立ち寄ったんだろう。
でもおかしいな…探偵社との遣り取りは一応私が予定立てて進行してる。
今日は探偵社との話合いは無かった筈。
「まったくだよ!なんでなまえちゃんと愛を深めてる最中に蛞蝓の顔を見なきゃならないんだい。
ジメジメするからさっさと出てってほしい限りだね。」
太宰さんはシッシッと追い払う様な仕草をし乍ら、自然に私の手を握る。
今の中也の前では勘弁してほしかった。
…でも、もういいのか。
身を引くって、決めたのだから。
そう思った次の瞬間。
中也が私の手を掴み、強引に太宰さんから引き剥がした。
「…あらら。本気で怒らせちゃったかな?」
「解ってンならこれ以上なまえにちょっかい出すな。」
本気モードの中也だった。殺気がビリビリと伝わってくる。正直、怖い。
早く手を離してほしかった。
「あーあ、なまえちゃんと心中したかったのに…おっかない彼氏がいたもんだ。」
太宰さんは大きな溜息を吐いて、座椅子の背凭れに寄り掛かかる。
私は中也に掴まれた手を更に強く引かれ、強制的に席を立たされる。
中也は然りげ無くお会計伝票を手に取る。
「…世話になったな。」
「どういたしまして。御礼は土下座して額を床に擦り付け乍らで良いよ。」
「はっ、言ってろ。」
私はよく解らない儘、中也に手を引かれ店を出た。
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2018.08.02*ruka
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*confeito*