スピンオフヒーロー
※付き合ってないふたり
※エレベーターに閉じ込められて
※先輩の生活捏造しまくり
なにもこんな時に、とはいつもいつもタイミングの悪い自分へ対する心の中の愚痴である。
ようやくこぎ着けた先輩とのデート、いや、男ふたりで出かけたところで世間はデートとは呼ばないのかもしれないけれど。
少なくとも俺は浮かれていたし楽しく幸せな時間を噛み締めていた。
この瞬間までは。
遅くなってしまったから、今日はウチに泊まっていかないか?と誘われてしまえば断る理由なんてどこにあるのだろう。
先輩の自宅はセキュリティの整ったエレベーター付きのマンションで、こんなところで一人暮らしなんてすごいな......。
思考回路はまるであてもなく頭の中をぐるぐるする。
エレベーターが停電して動かなくなってからかれこれ20分はたっただろうか。
エレベーターが動かないことでも、そのエレベーターの復旧がいつになるか分からないだとか、そんなことはいっそどうでもよかった。
俺の不運は、今まさに、この瞬間も暴れくるう便意なのである。
そもそもだ、数日間デートを楽しみにしていたからか、便秘気味だった自覚はある。
それがなぜ今ここで催すのか、それは甚だ疑問ではあるが。
この危機的状況をどうにかするには道はひとつしかない。
(復旧まで耐えること)
幸い、いつになく先輩は静かだ。もしかしたらふたりきりな事を意識してくれてんじゃねぇのか?なんて余裕のない頭で妄想する。
とか意識しないようにしても腹にかかる違和感は確実に外に出ようと肛門を圧迫してくる。無情だ。
「あと、どれくらいかかるんすかねぇ」
意味がない問答とわかってはいても口をついてでるのはそんなことばかり。
自分に余裕がなきゃ気の利いた言葉なんて思いつかない。
ただ気を紛らわせたくて中身のない会話を振った。
「そうだな、心配しなくともすぐに業者の人が来てくれるさ!」
相変わらず無駄にポジティブなセリフが腹に響く。
そうっすね、と返せば個室の中は再び静寂に包まれる。
なんて余裕があったのはもういつの話だろう。
あれから10分ほどしか経っていないはずだが腹具合は文字通り急降下していた。
俺は先輩にバレないようにコートの上からこっそりお腹をさする。
ぎゅる、と腸が動いた気がして焦って手を離した。
これは非常にまずい。
先程から冬だというのに変な汗が額を伝う。
簡単に言えば気を抜けばもう漏らしてしまいそうだった。
なるべく意識を散らさないよう霞がかった思考で肛門に力を入れる。
「高峯?」
体調が悪いのか?と心配そうな瞳を向けるのは先輩しかいない。
もし俺が間に合わず漏らしてしまっても先輩は引かないだろう。
これは好きな人の前で恥ずかしいところを見られたくないという男の意地だった。
「なんでもありませんよ」
ぐるぐると唸る腹を押さえたい衝動に必死に耐えるしかなかった。
そんな我慢もついに限界を迎えそうだ。
なんだかもう先輩もいたたまれない表情でこちらを伺っているからバレているのだろうな。
「もしかして腹が痛いのか...?」
「下してる訳じゃねぇんスけど...」
ここまで来たら隠しても仕方がないと俺は情けなく答えた。
まだ漏らした訳では無い、バレてしまったからと俺は堂々と腹を抱えてうずくまった。
うずくまると意に反して肛門が少し開いたような気がした。
さあ、と青ざめ俺は必死に尻に力を入れる。なんて情けないのだろうか。
こんなことなら最初から断ればよかった、素直に帰ればよかった。
後悔先に立たず、ぎゅる、とまた便意の波が襲ってくる。
「よかったらこれを使え」
先輩に手渡されたのはあろう事かコンビニ袋だった。
そんな、まさか、頭の中をぐるぐるする否定と恥ずかしさと、出せるという喜び。
すぐに頷くことは出来なかった。
「臭うし...汚い、です」
俯いてようやく絞り出したのはそんな答え。
案の定先輩はそんなの気にしないと、呑気に笑った。
「非常事態なら仕方が無いだろう、それにそのまま汚すよりはマシじゃないか??」
幾分か焦った口調で先輩がほらほら、と誘惑して来る。
素直に受け取れなかったのは最初の数回だけであった。
「見ないでください!絶対!見ないで!」
先輩はといえば「あ、あぁ!」なんて間抜けな声を出して後ろを向いてくれた。
俺はそんなことにも構っている余裕がなくてガチャガチャと乱暴にベルトを外す。
ベルトというものはこんなときに限って上手く外れない。
(漏れる漏れる漏れるっ)
高校生にでもなって、だとか先輩がいるのに、だとか、非常事態なんだから仕方が無いだろう。
だってエレベーターは動かないし、俺の肛門はもう開いている。
そう、不可抗力だ。
ぱたぱたと足踏みをしながらようやくベルトが外れる。
なんとも滑稽なスタイルだが尻に袋をあてがいしゃがんだ。
「うっ...」
途端に袋が重くなり、凶悪な臭いが鼻をつく。
臭いの原因である俺が吐き気を覚えるほどの臭いだ、先輩はもっと気持ちが悪いことだろう。
それでも排便は終わらずぼとぼとと袋に溜まっていく。
時折汚いオナラの音が混ざり羞恥に顔が染まった。
それでもようやく苦しい腹から解放されて俺は息をついた。
「あの、すいませんでした...」
ずっしりと重くなった袋を固く結べば、裏腹に腹はすっきりと軽くなっていた。
恥ずかしさに穴があったら入りたい気分を押し殺しお礼とともに終わったことを先輩に告げる。
苦し紛れに袋を自分の足元で隠した。
「気にするな!」
「…ありがとうございます」
あのままでは確実にズボンの中にぶちまけていた事だろう。
改めて先輩の提案に心の中で感謝する。
だっておもらしなんて、そんなの最悪だ。
これはおもらしじゃない、不可抗力だし、そう思えばいくらか気分も浮上した。
「あと少し、と言っていた割には遅いな...」
ぼそ、と先輩が呟いたのはそれから5分もしないこと。
心なしかイラついているようにも見える口調に俺は首をかしげた。
「まださっきから5分も経ってないスよ?」
「あ、ああ、それも、そうだな...」
そういえば、少し余裕が出てきて初めて先輩が静かなことに疑問を覚える。
いくら気まずいとはいえ、むしろいつもの先輩ならここで空気も読まずに話しているような気がするが。
「もしかして気分悪くしました...?」
思いつくのは未だエレベーター内に残る醜悪な臭いだ。
いくら袋を固く結んだところで所詮本来排泄する場所ではないため、その匂いは少なからず残っていた。
もしその臭いが先輩の気分を害していたのだとしたらなんということであろう。
再び自分の顔が青ざめるのを見て、先輩は強く首を振った。
「ちがう!決してそうでは...っ」
「先輩?」
そして先輩が小さな呻きを上げしゃがみこんだのも同時だった。
まさか、俺は一緒にしゃがみこんで先輩の顔をのぞきこんだ。
「う...っ、く」
滝のような汗を流して、もはや土気色をした顔の先輩は抉るようにお腹をさすっていた。
「先輩も...お腹痛かったんですか...?」
唖然としながらそんな言葉がついて出る。
一体、いつから、エレベーターに閉じ込められた頃にはもう先輩はお腹を下していたのだろうか。
ギュルギュルと聞こえる先輩の腹の音は確実にくだしている音だった。
「先輩...ごめんなさい...俺...」
結局俺は自分のことに夢中になって先輩のことなんて何ひとつ気がつけなかった。
俺の心境を察してか先輩はそんな状態でもお前のせいじゃない、なんて笑って見せた。
先輩はどこまでもヒーローなのだと、嫌というくらい理解してしまった。
自分を犠牲にしてでもそんな風に。
くだらないプライドで我慢していた自分に腹が立った。
袋になりそうなものはもう持っていなかった。
今度こそ、俺は先輩に「頑張ってください」なんて意味の無い言葉しか用意することが出来なかった。
あれからまた10分はたっただろうか。業者が来る気配はない。
先輩はもうなりふり構っていられないのか「あー」とか「うー」とか遠い目で呻くような声を発していた。
限界が近いのは目に見えていた。
俺は見ていられなくて、もう、かける言葉も見つからなかった。
そのかわり、俺は着ていたカーディガンを先輩の腰にまいてやった。
「すいません...」
そういうと先輩は驚いたように目を見開いたがすぐにゆるゆると首を降る。
「あ、ひっ...いっ」
随分と長く先輩は耐えていたように思う。
決壊は呆気なく訪れた。
さっきまで蹲っていた先輩が突然跳ねるように膝立ちになり体を強ばらせた。
びくびくと痙攣して先輩の口からは力無い声が断続的に漏れている。
ぶちゅ...びち...と明らかにおならとは違う音がその合間に耳に届いた。
「先輩!」
俺は思わずその体を抱きしめていた。
先輩はそんな俺を引き剥がそうとしたが、止まらない排泄にびくり、と身体を震わせ結果的には俺の体に縋った。
「大丈夫、大丈夫ですから、全部出しちゃいましょう?」
頑張りましたね、と言うと排泄音に混じって嗚咽が混じった。
あの先輩が、泣いている、腹を下して、漏らしながら。俺のせいで。
そう思うとなんともおかしな気分になる。
罪悪感と後悔、それ以外に溢れた感情に、俺は見ないふりをした。
ぶしゅ...ぶりゅ...と排泄は続き、相当下していたのか固形を留めないそれはズボンに染みて先輩の大腿を伝っていく。
業者の人が扉を開けたのは先輩の腹が落ち着いて10分は経っての事だった。
俺たちの姿を見て大人は気まずそうに、哀れんだような目で謝罪をした。
先輩のおかげで俺の失態は気づかれなかった。
先輩は、ずっと俯いたまま泣いていた。
視線から逃れるように先輩の手を引く。
ズボンの中が気持ち悪いのか時折びく、と手が震えるのがわかった。
俺はなにも言わずに歩いた。
今、何か言ってもただの慰めにもならない事を知っていた。
部屋の前に着くと先輩は震える手で鍵を取り出し扉を開ける。
「着替えてくる、から」
「えっと、じゃあ勝手におじゃましてます...」
暗にその言葉の後に続く言葉が「来ないでくれ」だということに気づいてその場を離れる。
1度も目を合わせてくれることは無かった。
「災難だった...」
シャワーも浴びてきたのだろう体からほかほかと湯気をたたせて帰ってきた先輩の第一声だった。
災難、で済むのだろうか...。
「その...」
なんと返したらいいか言いあぐねていればそれは先輩も同じなようだった。
「見苦しい所を見せて、すまなかった」
静寂の中先に声をあげたのはまた先輩の方で。
「それを言うならお互い様ですから」
せめて格好つけて言えたのはそれくらいだった。
それでも先輩の表情は明らかにほっとしていて、それだけで俺も安心できた。
「高峯は優しいんだな」
エレベーターに閉じ込められてから初めて笑った。
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