仕事が終わって携帯を見れば、ディスプレイには『新着メール1件』の文字。時間はすでに日付が変わっており、このメールが届いたのは前日のことなのだろう。
もともと自身の連絡先を知っている人間は限られているし、そもそも連絡をしてくる人間というのはさらに限られてくる。おそらくひょんなことから監視し、関わることになった"彼女"からだろう。未成年なはずなのにどこか大人びている、異世界から来たという彼女。
それにしても電話じゃないというのは珍しい、と思いつつメールを開封すれば、そこには風邪をひいたから家に立入禁止、というシンプルな内容だった。
ホテルに泊まることもあれば、監視という意味も含めて彼女の家にいることも多い。この世界の未来を知るという彼女もそれを知った上で俺に居場所を用意し、彼女はそれと引き換えにこの世界に頼れる相手を確保している、といったところだろうか。
話は逸れたが、立入禁止ということは感染る可能性がある、ということだ。そしてそれが軽度ではないということである。一人でこの世界に来たという彼女は当たり前ではあるが一人暮らしで、親はこの世界にいない。学校のクラスメイトにもどこか一線引いているらしく、年頃の女子のわりにそれらしい姿を見たことはない。と、なるとだ。
(まともに食べてないな……)
共にいるうちにわかってきたのだが、どうも彼女は食への関心が極めて低い。一人だとまともに3食食べないということをしているようである。そんな彼女が体調が悪い時にわざわざ何かを作るとは思えない。むしろ、空きっ腹に薬を飲むということをしていそうだ。
時間を見れば、日付が変わって1時間程。コンビニぐらいしか飲食物を売っている店は開いていないだろう。確か、彼女の家の前にはコンビニがあった。少し顔を見て、食べやすいものを適当に置いておけば起きたときに気づいて食べるだろう。
それを実行するべく、俺は立ち上がって足を動かした。
+ + +
(月が、やけに明るいな……)
満月の日というのは、確かに月が明るいものだ。それにしても、満月というものはこんなにも明るかっただろうか。
空模様を妙だと思いながら歩いていると、音を立てながら強い風が吹く。それと同時に、ふわりと香る花のような甘い匂い。風に、乗ってきたのだろうか。
足を止めて辺りを見回すも、甘い香りがするようなものは何もなさげに見える。勘違いだろうか、と思いつつ再び足を動かそうとしたとき。
(子供………?)
前方に、辺りを見回すようにキョロキョロとしている白いワンピースの子供。五歳、ぐらいだろうか。
(こんな時間に、か…?)
既に日付は変わって暫く経っている。また、たとえ昼間であったとしても五歳程度の子供が一人でウロウロと出歩くのは些か不自然だろう。
不審に思いながらその子供に近付けば、子供は俺に気が付いたのだろう。ビクリ、と肩を揺らして恐る恐る見上げてくる。
「呉羽………?」
俺を見上げてくるその子供の顔は、呉羽に酷似していた。また、近付いてみてわかったがどうも呉羽によく似たこの子供は確かに目の前に姿はあるのに、誰もいないような…。存在感が無いということとも違う、生きた人間ではないというか、まるで夢幻のような雰囲気である。
「お兄ちゃん、だあれ?」
泣きそうなのを堪えるように、自身のワンピースをぎゅっと握りしめる子供。膝を地面につけて視線を合わせれば、ワンピースを握りしめる手が少しだけ緩んだ。
「ただの通りすがりだ。名前は?」
「呉羽……」
「……一人、なのか?」
やはり、この子供は呉羽なのか。非現実的なことではあるが、そもそも呉羽の存在そのものが非現実なものだ。他の人間相手ならもう少し狼狽えるかもしれないが、呉羽相手だとどうも非現実的なことも仕方ないか、と思ってしまう。
「パパもママもね、お仕事なの」
「いつも、か?」
「遠いとこでお仕事してるから、なかなか帰ってこれないって、お兄ちゃんが言ってたの」
「お兄ちゃん……?」
呉羽からは、異世界から何故か突然この世界に来たということは聞いていた。けれど、自身の環境のことなどは一切聞いたことがない。家族構成なんて尚更だ。
「お兄ちゃんは、お兄ちゃんに似てるね?」
「…………」
……呉羽の中では繋がってるのだろうが、聞いてるこっちからすれば何を言ってるんだコイツは、と思ってしまうのも無理はないだろう。言いたいことは分かるがまるで文章になっていない。それよりも、だ。
「その、お兄ちゃんはどうした…?」
「出掛けちゃったの」
「出掛けた……?」
「んっとね、私がお熱あるから、寝てなさいって…。お薬、買いに行ってくるからって。でも、約束破っちゃった…」
落ち込んだ様子の呉羽を慰めるべく頭を撫でる。すると、一瞬驚いたようにビクリとしたが、すぐに笑みを浮かべる。
触れたところから伝わる体温は高く、どうやら本当に熱があるらしい。
「お兄ちゃんが戻ってくる前に、帰らなきゃ」
「一人で、大丈夫なのか?」
「平気っ!お兄ちゃん、またね」
コロコロと表情が変わる呉羽は、俺に手を振って背中を見せて駆け出す。が、数歩足を進めると突然の風とそれに乗るように香る甘い匂いと共に足元から存在が薄くなり、忽然と消えてしまった。
それはCG映像でも見せられているような、どうも現実離れした現象である。
俺は立ち上がり再度足を動かそうとしたとき。また、風と甘い匂いがすり抜ける。その2つが合図だったかのように、俺の目の前にはまた、一人の少女が立っていた。
「…………………」
泣き腫らした目をして俺をじっと見つめるのは、十歳前後であろう少女。やはり、その姿は、呉羽に似ている。
「……お兄ちゃん、居なくなっちゃった」
悲しみに耐えるように唇を噛み締めながら、呉羽がぽつりと呟いた。
小さく息を吐いて距離を縮めようと歩み寄れば、彼女はあからさまにビクリと身体を震わせる。
「……怯えなくて、いい」
今目の前にいる彼女には、気休め程度の言葉なのかもしれない。否、そうだったのだろう。彼女はふるふると首を横に振って、俺を見上げる。
「…わたしが悪いコだから、みんな、いなくなっちゃうの」
自身のワンピースを握り締めて、彼女は俺から遠ざかるように駆けていく。そして、さっきと同じように途中でフッ、と彼女の姿は消えた。
(この、妙な月のせいなのか……)
それ以外に、心当たりになるようなことはなかった。月には、昔から特別な力があるとかいう話もある。我ながら馬鹿らしいとは思うが、無理矢理にでも理由をつけてしまいたかった。
どうも俺は、彼女の泣き顔に弱いらしい。
妹と同い年の少女に何を馬鹿なことを、という自覚はある。だが、人間とは厄介なものでソレに気付いてしまえばもう気付かなかった頃には引き返せない。
「また、か」
強い風と甘い香りが、通り抜けた。
掲載期間:2014.12.15〜2015.3.29
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