*時間軸は高校1年生の秋〜冬辺り
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纏うように香る甘い匂い。目の前に立つ泣き腫らした顔をした彼女は、15歳前後だろうか。どうやら、5歳刻みで現れるらしい。
「私とお兄ちゃんは、結婚出来ないんだね」
「出来ると、思っていたのか」
「初恋、だったんだよ」
両親は仕事でいない、と5歳ぐらいの呉羽が言っていた。幼い頃から一緒にいて両親より一緒にいたのなら、そうなるものなのだろうか。生憎ながら自分にそういう経験は無いし、周りから聞いたこともない。
「貴方が、お兄ちゃんみたいな人だったら好きになれるのかな」
「…試してみるか?」
「え?」
人はコレを、魔が差した、とでも言うのだろうか。今目の前にいる彼女は、俺の知っている呉羽と今までの中で一番近い。どうにも、いつもの呉羽を見ているような気がした。
手を引きながら腰を引き寄せて、片手で頬を持ち上げてやれば驚いたようで身体を強張らせる。こういう経験は、少ないのだろう。
「え、えっ…」
「………冗談だ。」
あまりにも戸惑う呉羽にそう告げれば、本気にしていたらしい彼女は拗ねたように頬を膨らませる。
『ずるい人ね』なんて言う呉羽。俺によくそう言うことまで、似ているのだろうか。
「出会い方が違えば、私は貴方が初恋になったのかもね」
クスリと笑いながら、背を向ける。無い月を見上げる横顔が、笑っているのにどこか悲しげに感じた。
俺からの視線に気付いた彼女は、またクスリと笑う。
「またね」
軽く手を振って、走り出す。フッと彼女が消えるのと同時に吹いてくる追い風と、それに乗るような甘い香り。ずっと向かい風だったのにいきなり変わったソレに対峙するように立てば、俺と目があったことに驚いたような先程より少し大人びた呉羽がいた。
(弱い、な……)
彼女の泣きそうな顔には弱いと前々から思っていたが、ここまでとは思っていなかった。見ていることさえもしたくなくて、何も言わない呉羽の手を引き寄せて腕の中に閉じ込めれば、怯えたように俺の服を掴む。
「みんな、いなくなっちゃった」
「みんな……?」
「お兄ちゃんもね、お仕事で日本からいなくなっちゃった。仕方がないけど、やっぱり寂しいね」
一瞬、"みんな"という言葉に嫌な予感がしたが、それは杞憂だったようで。ただ、20歳そこらの女が一人というのは少し心細くあるのだろうか。
幸か不幸か自分の妹は少なくとも一人ではないことに安堵するも、アレがそういうことを気にする性格でもないかと息を吐く。
「きっとね、現実で貴方に会ったら好きになると思うの」
「…そうか」
「嫌だった?」
「そんなわけないだろう」
「…よかった」
俺の顔に手を伸ばして、視線を合わせる。少し照れたのか、頬を赤くしながら呉羽が笑った。
「ずるい人ね。私のこと全部分かったような顔してる」
「否定はしないな。……未来で、待ってるぞ」
消えていく、呉羽の身体。俺の言葉に驚いたように目を見開いて、再度笑う。
刹那、俺の腕の中で呉羽が消えた。
いつまでこの幻のような現象は続くのだろうか。もしコレが本当に月によるものなのだとしたら、まだ空に月が戻っていない今は終わらないということなのだろう。
どうしたものか、と思いつつとりあえずは呉羽の元に向かうべく立ち止まっていた脚を動かす。が、それは再びふわりと香る風に足止めをくらうことになった。
カツン、という足音と共に現れた呉羽は、俺の知る呉羽よりも幾分大人びている。20代半ば頃、だろうか。
「……言ったでしょう?貴方に会ったら、好きになるって。"私"は、貴方に惹かれてる」
「そうだと、いいんだがな」
「私には分かるわよ。だって、"私"は"私"じゃないけれど、"私"だもの」
まるで謎掛けのように、クスクスと笑いながら目の前の呉羽が言った。
カツン、とヒールの音を鳴らしながら近付く彼女は、楽しそうに口元に弧を描いている。
「ねぇ、1つだけお願いがあるの」
「何だ?」
「夢から覚めてしまう前に、50年分のキスを頂戴」
俺の頬に手を伸ばして、誘うかのように口を薄く開きながら顔を寄せる。50年分のキス、というのがどの程度のものなのか俺には分からないが、それなりのキスをしてやれば満足したように笑う。
「…現実の世界で、会いましょう」
微笑みながら、彼女が消える。辺りを見回しても誰かが現れることはなくて、甘い香りもしない。小さく息を吐いて、長いこと止まったままだった脚を動かす。
月は、まだ現れない。
掲載期間:2015.3.29〜2015.4.30
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