Marguerite

截拳道の基礎講座


脱衣所から、扉の開く音がした。その音の後にリビングダイニングに現れたのは短くなった髪をタオルで拭きながら現れた赤井さん。髪を切り終えた後早々にお風呂に入ってもらったのだ。

「せめて髪乾かしてくださいよ、風邪ひきますって」
「冬じゃないから大丈夫だろう」
「とか言って風邪ひいたらどうするんですか。お仕事に穴開けたら大変でしょう」

私が座っていた椅子に赤井さんを座らせて、赤井さんにそのまま動かないように釘を刺して脱衣所に置いてあるドライヤーを持ってくる。
私が赤井さんの髪を切ろうとしたときと同じような表情を赤井さんにされたけれどもあえて気づかないフリをしておくことにしよう。近場のコンセントにプラグを差し込んでスイッチを入れる。

「…お前が乾かすのか」
「お痒いところはございませんかー」

大体美容室でシャンプーされてるときに訊かれる言葉を投げかけてみる。が、赤井さんはわりとされるがままだ。信頼されている、ということにしておこう。

「そういえば赤井さん。私そろそろ截拳道教わりたいんですけども」
「覚えていたのか」
「えー…じゃあ忘れてください」
「安心しろ、教えてやる」

わしゃわしゃと赤井さんの髪を扱いながらドライヤーを動かす。前に截拳道の話を赤井さんからされたが、そのままだったのだ。ふと思い出したので赤井さんに投げかけてみたところ教えてくれる気はあるらしい。問題は私にもちゃんと出来るのか、ということだ。

「…截拳道に、基本的にはルールがない」
「え、そうなんですか?」
「練習試合など例外もあるがな。目潰しや頭突き、それこそ金蹴りも有りだ」
「へぇ……」

少々暴力的、という話は聞いていたけれどそこまでなのか。そう思いながらドライヤーの風を変えようとした。が、短いだけあってもういいと判断したのか赤井さんは私の手からドライヤーを取ってスイッチを切った。大方乾いていたので、それがわかった上での行為だろう。そのままドライヤーを置いて私を膝の上に座らせ、私の手を包むように握り、拳を作る。

「截拳道の一番基本的な動作は"Single Direct Attack"だ。いわゆる一発の単純攻撃だな。通称SDA」

ゆっくりと、赤井さんが私の拳を前に突き出す。そしてもう片方の腕は構えを作らせる。

「単純攻撃、という名だけあって相手との最短距離をたどって攻撃を真っ直ぐと打ち出すが、フックやアッパーのような曲線的な動きもコレに分類される」
「幅が広い、ってことですか…?」
「そう。まぁ覚え方としてはパンチだろうとキックだろうととにかく一発単純攻撃はSDAに分類されると思っていい」

前に突きだしていた拳と構えていた腕を元の位置に戻される。未だに拳は握られたままで、どうしたものか。考えても仕方が無いのでとりあえず私は赤井さんに寄りかかって赤井さんの言葉に耳を傾けることにする。

「実践もまず最初にSDAを教えていくが…
SDAに角度を付けて打ち出す"Single Angle Attack"、
あらゆるコンビネーションを用いて打ち出す連続攻撃の"Attack By Conbination"、
相手の腕を固定して打ち出す攻撃の"Hand immobilization Attack"、
カウンター攻撃の"Attack By Drawing"、
リズムやタイミングを崩して打ち出す関節攻撃の"Progressive Indirect Attack"
この5種類も後々習得してもらうことになるから覚えておけよ」

「え、ちょっ……今私ちょっと頭いっぱいいっぱいです」

一度にそんなに言われて覚えられるか、と言い返したい気持ちを抑えて赤井さんに告げる。とりあえず一番最初の基本はSDAということだけはわかった。
Single Angle AttackがSDAに角度をつけたもので、Attack By Conbinationがー…などと呟いているとふいに赤井さんに頭を撫でられる。何かあったのかと首を傾げながら彼を見れば、いつものように少しだけ口元は孤を描いている。

「心配しなくても、実践回数を積めば嫌でも覚える」
「そういうもんですか」
「そういうもんだ」

赤井さんはぐしゃぐしゃと私の頭を撫で回す。妹、というよりは犬猫みたいなペットのような扱いをされているように感じるのは私だけだろうか…。

(軽蔑されるよりはマシだけど、ね)

ちゃんとした年齢を聞いたことはないけれど、髪を切るときに三十代と言っていた辺り三十代前半といったところだろうか。私が今高校一年生で誕生日はまだ先なので15歳。……考えなければよかったと思ったのは黙っておこう。
頭を撫でられる心地よさに、私の意識は徐々に落ちていった。
 
2014.07.17
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