Marguerite

知らない人

 
飛行機を降りて、携帯の電源を入れる。何時間単位で乗る飛行機にはなかなか慣れなくて、ついでに言うなら時差にはもっと慣れない。寝ていたけれどぐっすり眠った、というわけじゃなくて。

「身体きつ……」

年か、これが年なのか。有希子さんとか時差のある飛行機を変装の為に何度も乗っているみたいだけれどよく時差ボケを起こさないでいられるものだ。私なら無理。

(秀一さんと、会った方がいいかなぁ……)

優作さんのところに行ってから二週間程経った頃に一度電話で話してそれ以来は話してはいない。まぁ洗いざらい吐かされたから事情は知っているのだけれど。時差がある故にどうしても連絡が取りにくくて、結局日本に戻ってくるまで連絡はほとんどしていない。一応、日本にいつ戻ってくるかはメールをしたのだけれど。

(ちょっとだけ、迎えに来てくれるかな、なんて期待したんだけどなぁ……)

さすがにそこまで甘くはなかったか。仕事関係も、あるのかもしれないけれど。大きい荷物は向こうから直接家に届くように送ったから、今手元にあるのは最低限の荷物だけだ。タクシーでも拾って帰ろう。

「あの、すみません」
「はい?」
「呉羽さん、ですよね?」
「そう、ですけど……」

会ったことが、ある人だっただろうか。無いと思うのだけれど。見覚えのない、男の人。すらっと細身で背が高いけれど顔立ちはアジア系の秀一さんにも似たアンバランスさを見せるその人は、確かに私の名前を呼んだ。

「あの、俺赤井さんの部下なんですけど…」
「秀一さん、の……」
「はい。それで、赤井さんが迎えに行けそうにないから行ってくれないか、って言われたので…」

すみません、ホントはお2人の邪魔はしたくなかったんですけど。そうやって人当たりが良さそうに笑う目の前の人。赤井さんの、部下と名乗る。

(もしそれが本当だとしたら、この人は赤井さんの死の偽装を知ってるってこと……?)

そんなこと、あるだろうか。身近であったジョディさんにも伝えていなかったというのに。疑ってはいけないと分かっているのに、疑ってしまう。現に、秀一さんから私の方には連絡がない。

「ジョディさんは、お迎え駄目だったんですか……?」
「すみません、ジョディさんも仕事が立て込んでたみたいで」

あ、この人秀一さんの部下じゃない。そう思って、1歩後ずさる。もしもこの人が本当に秀一さんが信頼している部下だとしたら、ジョディさんたちには死んだという偽装をしていることを知っている筈。それならば、ここで帰ってくる答えは"ジョディさんには秀一さんが死んだことになっているから頼めない"というものな筈。それなのに、目の前の人物は"ジョディさんは仕事が立て込んでいた"と答えた。

「……貴方は、誰?」
「そんな、名を名乗るような者じゃないですよ。FBIでもまだひよっこですから」
「違う……。貴方、秀一さんの部下じゃない、」
「はい……?なぜ、そのようなことを?」

首を横に振って、目の前の人を見る。彼は、誰なの。もしかしたら、秀一さんが死んだということすら知らないではないだろうか。生きていると思っているのなら、こちらも迂闊なことは言えない。

「すみません、単に私が疑り深いだけです。秀一さんに確認してもいいですか?」
「あぁ、そうですよね。いきなり見知らぬ人に言われたら……。構いませんよ、確認してください」

堂々と言う姿に、眉根を寄せる。私の、勘違いだろうか。そう思うぐらいに、優しそうな笑顔を見せながら私に告げた。
私は携帯を取り出して、秀一さんの電話番号を探す。秀一さんの番号を見つけて、発信をしようと画面をタップした瞬間。

「っ、……!!」

突然、男の人が私の口と鼻を布のようなもので覆う。油断していた私は思いっきりそのタオルに染み込ませていたのか、薬品のような臭いを嗅いでしまった。瞬間、ぐらりと私の視界が揺れる。

「貴方に、恨みはないんですけどね……」

丁寧な言葉のまま、面倒くさそうに彼が呟く。ぐらりと傾いた視界で身体の力が抜けて、私は彼に支えられるようにしてなんとか立っている状態だ。嗅いでしまった薬品のせいか朦朧とする意識の中で舌を噛んで、ギリギリのところで意識が飛ぶのを必死で堪える。

「あらあら、大丈夫?」
「えぇ。飛行機の中で寝てなかったみたいで、貧血もあるので緊張していたのが一気に来たんでしょう」
「あら、そうなの……。気をつけてねぇ」
「はい、」

ぐったりとした私を見てなのか、目の前の人物も知らないのであろう通りすがりの人が話しかけてくる。彼はその瞬間に私の口元から布を退けて猫を被ったように受け答えをする。通りすがりの人は特に疑問には思わなかったのか、彼の言葉を最後に私達から離れていく。瞬間、彼が私の口元にぐっと再度布を押し付けた。

(っ、もう、駄目…………)

舌を噛んでいたけれど、ぐっと臭いを嗅がされるように押し付けられた布によって、再度頭がグラグラする。次第に私の視界は暗くなっていき、ついには意識を失った。

2016.08.14
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