一夜限りのシンデレラ

猫被りなシュウ君可愛い

 大学生、といっても無闇矢鱈に遊べるわけじゃない。やらなければいけないことはあるし、提出しなければならないものもある。締切は待ってくれないし、やらなければレポートは進まない。けれど、あともう少しというところが上手くまとめられなくてひとりパソコンの前で書いては消してを繰り返していた。いっそのことそれっぽくまとめてみようか、なんて一瞬考えたりもしたのだけれど、これが結局後の評価に繋がるのだと思うとどうのもそれをすることも憚られて結局は書いて消しての繰り返しである。

(あぁ、でももう夕方か……)

 ぐっ、と椅子の背もたれに寄りかかって背伸びをする。朝からずっとレポートに向かって合間合間に休憩を挟んではいたものの結局丸一日費やしてしまったことに小さく息を吐く。結局、まだ終わってはいないのだけれど。
 集中が切れたからだろう。自身の身体が空腹を訴えていることに気が付いて少しだけ苦笑いをする。お昼は家にあった栄養補助食品で済ませてしまったのだけれど、さすがに二食連続はあまりよくないだろう。なお朝ご飯は食べていない。
 椅子に座ったまま、夜ご飯は何を食べようか、と冷蔵庫の中身を思い浮かべて現実から目を逸らすようにそっと瞼を閉じる。確か冷蔵庫の中に食材はほとんど無かった気がする。気がするじゃない、ほぼ無い。そもそも当初の予定ではここまでレポートに時間がかかると思っていなかったから、レポートが終わった後に買い出しに行けばいいか、なんて楽観的に思ったのだ。どうしようこのままだと食べるものがない。一食ぐらい抜いても死にはしないけれどもお腹が空いたままだと眠れる気がしない。

「なんかサクッと食べられるものと……食材買うかなぁ」

 もう一度背伸びをして、は、と息を吐く。このままパソコンに向かっててもまとまるまでは暫くかかるだろうし、だったら気分転換も兼ねて買い物にでも出た方が頭がスッキリする気がする。道中でひらめけばそれこそ儲けものである。凝り固まった身体をほぐすように軽くストレッチをしつつ、レポートを保存してから身支度をし始めた。

  ◇ ◇ ◇

「お姉さんだ!」
「え?」

 スーパーで野菜を見ていたときに聞こえて来た声に顔を上げれば、その瞬間に軽い衝撃が私の身体を襲う。身体の下半分に受けた衝撃にびっくりしつつその原因を見れば、彼は可愛らしく笑みを浮かべて私を見た。その笑顔は、この前公園で会ったときのようなどこか憂いを帯びた顔つきではなくていつものシュウ君の顔だった。その姿に少しだけ気持ちが穏やかになるのを感じながら、私は表情を緩めてシュウ君の頭を撫でた。

「シュウ君、こんなところでどうしたの?」
「母さんと買い物! お姉さんしゃがんで?」
「うん?」

 恐らくはお母さんのメアリーさんとこのスーパーに買い物に来ていて、私を見つけたからメアリーさんから離れて私のところに来たのだろう。秀吉君も一緒だろうか。辺りを見回してみたけれどメアリーさんの姿は見えないな、と思いつつシュウ君に言われた通りにその場にしゃがめば、ちゅ、と小さくリップ音をさせてシュウ君が私の唇にキスを落とす。突然の行動に、ビクリと肩を跳ねさせたのは私。いかんせん、ここは外である。それもスーパーの中。

「シュウ君、ここスーパーだからね……?」
「お姉さんが可愛い顔してるのが悪いと思うな」
「ここまで来るといっそ清々しいね」

 元々押せ押せなシュウ君、ここ最近ぐいぐい来るようになったのは被っていた猫がどこかに去ってしまったのだろうか。さらっとこんなことを言うのはイギリス人の血なのだろうか。確かシュウ君のお父さんは日本人だったと思うけれど。
 そんな押せ押せのシュウ君に私自身若干絆されている部分はあるのだけれど、そこにはそっと見てみぬフリをしたい。お姉さんはこんな可愛いシュウ君に押されると弱いのだ。

(……まさか押されると弱いことにバレているとかそんなことはないと思いたい)

 ふ、と自分で思って、その可能性を拭えずに眉根を寄せる。押しに弱いことが十歳の子どもにまでバレているとはいかがなものか。シュウ君頭いいからお姉さんはちょっと不安です。だからといってどうすることも私には出来ないのだけれど。
 未だに私を見ながら会えたことに嬉しそうにしているシュウ君を一度見て再度辺りを見回すも、メアリーさんの姿は見えない。あまり広くないスーパーだから店の中にさえいればそのうち会えるだろうけれど、それにしてもまだ十歳のコが勝手にフラフラするのはあまりよろしくない気がする。

「シュウ君、メアリーさんと一緒に来たんだよね?」
「うん。秀吉も一緒だけど」
「一緒にいなくていいの?」
「秀一が急に離れていったと思ったら、貴方を見つけたからだったのね」

 突然上から聞こえてきた声に、むぅ、と目の前のシュウ君が眉根を寄せる。あからさまに不満を示すその顔に苦笑いをしながらメアリーさんを見上げて会釈をすれば、メアリーさんは少し呆れたようにシュウ君を見た。シュウ君は母親からの圧を感じているのか、決して顔をあげようとしなくてそこはやっぱり子どもらしいというかなんというか。どこか大人びていてもやっぱり母親という生き物には弱いらしい。

「貴方も、自分の息子だけど面倒なコに好かれたわね」
「シュウ君頭がいいから、すごいなぁとは思いますよ」
「でも、ドンドン吸収するから面白味がないのよ。絵本なんて一回読み聞かせたらまるっと覚えちゃって」

 秀一も秀吉も変なところ似たわね、なんて言うのはお母さんならではの苦労話だろうか。なるほど、シュウ君はやたら私になついてくれるから分かっていたけれどどうやら秀吉君も聡明であるらしい。ちらりと秀吉君を見ればメアリーさんと手を繋いだ彼と目が合って、にっこりと笑みを浮かべれば秀吉君もシュウ君とはまた違った可愛らしい笑みを浮かべてくれた。瞬間。

「ん」
「え、」

 ぎゅう、と私に抱き着いたのは、シュウ君。ぐりぐりと頭を押し付けてくるその姿に戸惑いながらシュウ君を見てからメアリーさんを見上げれば、メアリーさんは頭を抱えていた。突然の行動に首を傾げつつなんとなくシュウ君を抱き上げれば、ぎゅう、とシュウ君は私にしがみついた。不満を示すかのような動作に、一体どこにそんな要素があっただろうか、と首を傾げていれば私よりも先に口を開いたのはメアリーさんだった。

「大方、大好きなお姉さんの視線が秀吉に向けられたのが気に食わなかったんでしょうね」
「うわ新鮮……」

今まで私とシュウ君が一緒のときというのは私と二人のことがほとんどで、他の人が一緒にいることなんでほぼ無かったからこうして少しばかり拗ねたシュウ君というのは新鮮で新しい姿だ。メアリーさんに大好きなお姉さんを強調されたのはスルーしたい。いや他の人よりかは懐かれているとは思うけれど、それにしてもそんなに強調するほどなのか。
 シュウ君はなぜバラした、とでも言うようにメアリーさんの方を見てあからさまに不機嫌オーラを醸し出していて、それに苦笑いをしつつ私はシュウ君の背中をそっと叩く。秀吉君にしたのはほんの挨拶だからシュウ君が気にすることはないと思うのだけれど複雑な子ども心だろうか。

「とりあえずお姉さんはシュウ君が私の身長抜くまでは誰のものにもならないよ」
「絶対?」
「少なくとも今の所そんな予定はないかなぁ」
「……そんな約束をしたのね」

 この意固地な息子と。眉根を寄せるメアリーさんに首を傾げれば、メアリーさんはちらりとシュウ君を見た後に私を見て告げる。多分この息子、狙った獲物は逃さないタイプよ、と。なんだと。そう思って心の中でメアリーさんの言葉を復唱する。狙った獲物は逃さないタイプ。なんだと。

「……もしかして私とんでもない約束した感じです?」
「とってもね。まぁでも告白されても絶対にその気持ちを貴方が受けると約束したわけではないんでしょう? それならせいぜい外堀埋められるぐらいかしら。まだ子どもだから埋められる外堀なんて、たかが知れてると思うけど」

 それはこの息子さんが大人だったらトコトン外堀を埋める可能性があるということでしょうかお母様。聞きたいような聞きたくないようなそんな気持ちを抱えながら、そっとシュウ君から視線を逸しつつ彼を下ろす。さすがにその頃までにはちゃんと年相応の好きな人を見つけてほしい。

(いやでもいっそシュウ君が嫁に貰ってくれるなら結婚相手は探さなくていいのだろうか……)

 ほんの少しだけ、現実逃避。ハチャメチャに結婚願望があるわけではないけれど、まぁいつかはしたいな、なんて気持ちはある。いやでも十も年下の相手に貰ってもらうのも気が引ける。さすがにそこまで焦ってはいないので要はタイミングだ。今の所全くもって予定はない。

「身長が抜かれる前に秀一の気持ちが別のところに向くといいわね……」
「いやまってメアリーさんその台詞メチャクチャ怖いです」
「貴方が娘になることは歓迎するわ」
「え、怖……」

 ぎゅう、と私の脚に抱き着くシュウ君の頭を撫でつつチラリとシュウ君を見る。大丈夫大丈夫シュウ君の気持ちは一過性のものですそれはきっと恋心なんかじゃない。違ったらそのときはそのときだ。自分に言い聞かせるようにそう思いながら、メアリーさんからそっと視線を逸らす。いやまぁ確かにメアリーさんがお義母さんになるのは楽しそうだけれども。そんな不純な気持ちでシュウ君を選ぶつもりはないし何よりそのときのシュウ君の気持ち次第である。

「冗談は置いておくとして、秀一ってば暇さえあればすぐ貴方の家に行くけど迷惑かけてないかしら?」
「迷惑なんて全然。弟が出来たみたいで楽しいです」

 さすがにこの前のディープキスに関してはそっと蓋をしておく。あれ以来キスはしてくれるけれど変なことはしてこないからやっぱりアレはちょっと知った知識を使ってみたかったとかそういうことなのだろう。ぎゅう、と私の脚に抱き着くシュウ君に、少しだけ頬が緩む。恐らくはそういう知識だってちょっと本で読んだとかその程度なのだろう。それがどういう意味を示すのかは、分かっていないはず。
 ならよかったわ、と安心そうに笑みを浮かべるメアリーさんに、私も笑みを返す。私からすればシュウ君が来るのは大歓迎だ。年の離れた弟が出来たみたいで楽しいし、甘えられるのは嫌いじゃない。その旨をメアリーさんに伝えれば、シュウ君をよろしくされて、こちらこそ、と返しておく。シュウ君の頭がいいからたまにこっちがお世話になっているというのは私の為に伏せておきたい。

「ほら秀一、そろそろお姉さんから離れないと、」
「……また遊びに行ってもいい?」
「うん、いつでもおいで」

 私から離れておずおずと聞くその姿は親の前だからだろうか。笑みを浮かべてシュウ君からの問いに了承をすれば、シュウ君は花を咲かせるように笑みを浮かべてくしゃくしゃとシュウ君の頭を撫でる。瞬間、シュウ君が手招きをして私が身をかがませればシュウ君が少しだけ背伸びをして私の額にキスをした。その行動にいつもより私が驚愕したのは、メアリーさんの前だからだろう。ついさっきキスされたときよりも、ビクリと身体が震えた。会ってすぐにキスをされたから、警戒していた部分もあったとは思うけれど。

「……母さんの前じゃ変なことはしないよ。期待しちゃった?」
「ぇ…………」
「なんてね。またね、お姉さん」

 ヒヤリ、と背筋が震えた。艶を帯びた笑みを浮かべるシュウ君の台詞は声が小さく、メアリーさんの方を見れば額にキスしたことを呆れるような顔をしていたから恐らくシュウ君が呟いた言葉は聞こえていないのだろう。軽くお互いに会釈をして、各々買い物に戻る。シュウ君が少しだけ名残惜しそうに私を見ていたので、とりあえず笑みを浮かべて小さく手を振っておいた。
 シュウ君の姿が見えなくなって、自分の頭を抱える。シュウ君の言う変なことというのがどういうことかは分からないけれど、お母さんの前ではしない、という言葉に狼狽えるべきなのか、安堵するべきなのか。

(次会うとき、何もないといいな……)

 すん、とチベットスナギツネのような顔になることを感じつつ、気持ちを買い物へと切り替える。どうにも十歳の子どもに振り回され過ぎてはいないだろうか。そんなことを思いつつももう私にはどうしようもないだろう。私より、シュウ君の方が上手なのだと思う。多分。
 我ながら十歳に振り回されるのはどうよ、と思いつつ、私はとりあえず腹ごしらえの為にスーパーに来たんだったな、と本来の目的を思い出して陳列されている野菜へと意識を向けた。

2020.02.19
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