傍を離れる午前5時
私の名前を呼んだ彼は、何事もなかったかのように眠っている。起こしてしまおうか、とも思って手を伸ばしてみるけれど、彼に触れる直前でその手は止まった。
(聞き間違い、とか……?)
さっき、私が夢の中で秀一に会ったからだろうか。彼の声が秀一の声だなんて、あるわけがないのに。
「馬鹿みたい…」
彼が本当に秀一だったらよかったのに。そんなこと、あるわけがないのだけれど。日本に来て変装した職場の人間に助けてもらって、一緒に呑んで、身体を交えるなんて、いったいどれだけの確率だろうか。そんな夢お伽話、あるわけない。今日の自分はどうかしている。きっと、全部夢のせいだ。そう、夢のせいなんだ。
ボスリ、とベッドに転がって真っ白な天井を見上げた。
+ + +
一体、どれだけそうしていたのだろうか。ぼんやりと眺めていた天井。まだ日は昇らないけれど、彼がいつ起きるかは分からない。
筋肉痛により痛む身体を起こして、乱雑に部屋の入口に置かれていた鞄を手に取る。中に入っていた財布を取り出して日本円のお札をベッドサイドテーブルに置く。メモに適当に言葉を残して、それと共に。日本のこういうところの相場は知らないけれど、足りないということはないだろう。
ベッドに眠る彼に、起きる気配はない。
「…………"秀"」
貴方が呼べといった名前を呼んでも、その目は閉じられたままで。きっと、もう会うことはないだろう。
「貴方の本当の名前、呼びたかったわ」
もしも、というのは無いけれど。出会いが違えば、私は貴方に恋焦がれていたのかもしれないから。本当の名前ぐらいは、呼びたかった。それは、叶わぬ願いとなってしまったけれど。
最後に彼に触れるだけの口付けをして、鞄を手にとって立ち上がる。ここにまだいたい気持ちを抑えて、私は部屋の扉に手をかける。
(彼が、本当に秀一だったらよかったのに)
そう思うのと同時に、鞄の外にあるポケットに入れていた携帯が音を立てて床に落ちる。それを拾おうとしゃがんだ瞬間。私の中で1つの疑問が湧き上がった。
――彼が、秀一だったら?
最初に出会ったとき、英語は得意ではないと言っていたのに何故英語で話していた私を助けた?私が名前を聞いたのに何故わざわざ"秀"と呼ぶように言った?車の中で渡された私の好きなココア、何故彼はそれを知っていた?会ったばかりの女を何故甘い言葉で誘った?
「ほんっ…と、馬鹿みたい」
今更そんなこと考えても、どうにもならないというのに。きっと、浮かび上がった疑問は全て繋がる。繋がってしまう。でも、それを繋げてしまったら全てが駄目になる。
「……サヨナラ」
バラバラのピースは、繋げられることはない。
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