現実から逃げようとしているように見えた。

 
ずるり、と江戸川君の身体が私の腕の中で崩れ落ちる。どうやら意識を失っているようで、彼が起きる気配は無い。顔を覗き込むようにして見てみれば、その顔はさっきまでの大人びた顔とは違う私の知っている江戸川君の顔。
戻った、という言い方が正しいかどうかは分からないけれどとりあえずは私の知っている姿になったことに安心する。ただ、意識を失った状態の江戸川君の身体をベッドに戻す、ということは私には出来ない。
どうしたものかと考えていると、ふいに外から聞こえ始めた足音。

(さっきの人が、戻ってきた……?)

あと数分早ければ危なかったけれど、今の彼の姿は"江戸川コナン"の姿そのもの。特別焦る必要もないだろう。徐々に近づいてくる足音に耳を傾けながら、扉の方を見る。

「…やっぱり、元に戻ったのね」

扉の方から現れたのは、灰原さんだった。江戸川君の姿を見て、自身の持つ時計を見比べて確認しながら江戸川君の様子を見ている。

「なかなか貴方がこの家から出てこないから、江戸川君に襲われでもしたかと思って来てみたのだけれど…。その心配はなかったみたいね」
「襲うって……」
「冗談よ。江戸川君にそんな勇気あるとも思ってないわ」

灰原さんの言葉に、何と言っていいのか分からずに苦笑いを浮かべる。いまだに私に真正面から抱き着くようにして意識を失っている彼は、起こした方がいいのだろうか。今は落ち着いて眠っているだけのようにしか見えないのだけれど。

「……叩き起こしてもいいんじゃないかしら?」
「え?」
「貴方だって家に帰らないといけないんでしょう?」
「まぁ、そうなんだけど……」

子どものように眠る江戸川君を見て、小さく息を吐く。ここまで気持ちよさそうに寝られると、起こしてしまうのも申し訳ない気持ちがある。けれど灰原さんの言うとおりずっとここにいるわけにもいかない。
仕方ないから起きてもらおうと声をかけようとした瞬間、江戸川君の体がピクリと動いた。

「っ……」

モゾモゾと、江戸川君の身体が動く。タイミングの良いことに彼は目を覚ましたらしく、少し体を離してうつろな目で私を見る。

「結城……?」
「目、覚めた?」

江戸川君が、状況を確認するように頭を抱える。"工藤新一"のときの記憶がないのだろうか、と思うもそれは杞憂だったようで、あのまま意識を失ったのか、と言っているから大丈夫なのだろう。

「…悪い、」
「ん、気にしてないし」
「……謝るより先に、もう少し離れた方がいいんじゃないかしら?」

灰原さんの声が合図かのように、江戸川君が一気に私から離れた。どうやら灰原さんがいるということに全く気付いていなかったらしい。

「貴方のおかげで、いいデータが取れたわ。次に薬を渡すときは完成品を渡せそうね」
「完成、品だと……?」

江戸川君が、灰原さんを睨みながら尋ねる。彼が"工藤新一"に戻るための薬は、灰原さんが作っているということなのだろうか。状況を理解出来ていない私はただ二人の顔を見比べる。

「今回渡した薬は完成品に近いと言ったでしょう?それは、完成品との調合がほんの少しだけ違うのよ。貴方が、元に戻れるように。選ぶ機会を、与えるためにね」

灰原さんが、制服のポケットからひとつのピルケースを取り出す。中には錠剤がひとつ。それが、彼女の言う完成品の薬なのだろうか。それとも、今回江戸川君が飲んだと思われる薬なのだろうか。
江戸川君は彼女が何をしようとしているのか気付いたらしく、頭を掻きながら息を吐いた。

「オメーの言う完成品ってのを飲めば、完全に元の…工藤新一の身体に戻る、ってことだよな?」
「えぇ。死亡届を取り下げれば、貴方はまた元に戻れる」

代わりに、江戸川コナンが死んだということになるのだけれど。彼女はそう言ってピルケースをポケットに入れる。
状況は詳しいことはわからないけれど、江戸川君は選択を迫られているらしい。"江戸川コナン"として生きるか、"工藤新一"として生きるか。
元々大人びている灰原さんも、きっとそれは同じで。…いや、きっと彼女はもう決まっているんだ。今の姿と、本当の姿。どちらとして生きるか。
この世から、江戸川君がいなくなるような気がして。彼の服の裾を掴んだ。
 

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