空が白み始める頃には起き出す者もいて、各々が戦の準備を行う。騰様の天幕を片付けて王騎様の元へ向かうと、すでに防具を纏い、椅子に腰掛けておられた。目を閉じ、精神を調えていらっしゃるのか、それとも兵法を考えてらっしゃるのか。声を掛ける事も憚られ、音を立てずに側で控える。
「晶霞」
「はい」
しばらくすると声を掛けられたので、王騎様の足元に跪く。ゆっくりと目を開き私の姿ををご覧になられると、いきましょうと仰った。頷いて脇に置かれた矛を両手で渡すと、軽々とそれを担がれたので、改めてその剛健な巨躯を頼もしく思うのだった。
一刻ほども移動しないうちに戦場へと辿り着いた。王騎様が歩兵を三つの軍に分けて配置をするよう軍長様達に指示すると、本陣と後陣もすぐに配置についた。王騎様の邪魔にならないよう本陣の後方で馬を止める。
膝が少し震える。ここの空気は鉛のように重い、身体に纒わり付くようで息をするのも苦しくなる。こんな所で戦うのか。王騎様が今日は戦に出るなと仰った意味が分かった。戦場が初めてで経験も無い私では、剣を握ったところで半分の力も出せないだろう。
「殿、そろそろ我々も」
「ええ、武運を祈ります」
「ハッ!」
録鳴未様達も前衛に散っていく。本陣と後陣は合わせて一万五千、前衛の三軍には合わせて四万の兵がいて、いよいよ戦が始まろうとしている。知らず知らず頬に汗が伝い、身体に力が入る。
「晶霞!」
本陣の前方の王騎様がこちらを振り返る。
「昨日話した事を覚えていますね!」
「はい……はいっ! どうか、ご武運を!!」
やっとの思いで言葉を吐くと、王騎様は何も言わず腕を高々と掲げられた。その瞬間、本陣が大きく揺れた。いや、あまりにも大きな皆の歓声が空気を震わせ、地響きの如き波を生み出していた。これが、中華全土に名を轟かす秦国の大将軍。王騎将軍万歳と皆が口々に声を上げるその様に圧倒されてしまう。存分に士気が高まったところで、王騎様は前衛へ馬を走らせた。
「これを目の当たりにすると、凄いだろう」
「はい、脚の震えなど止まってしまいました」
騰様はこの歓声の渦中でも笑っておられた。
しばらくすると前衛でも大きな歓声が上がり、ここまで響いてくる。これを目の前で見せ付けられる敵軍は堪らない、嫌でも王騎様という大将軍の存在に気圧されてしまうに違いない。そして咆哮のような叫び声と共に前衛の前進が始まった。
「左が少し押されていますね」
「ああ、殿はそうなるように兵を配置している」
すぐに前衛から王騎様が戻り、伝令に何か指示をしている。王騎様の策ならば、苦戦しているように見えていても、それだけではないはず。鱗坊様、どうか今しばらく堪えて下さい。
王騎様の頭の中ではどこまで戦が進んでいるのだろう、騰様達にもこの戦の先が見えているのだろうか。目の前で繰り広げられる人同士のぶつかり合いは、私が思っていた以上に泥や血に塗れ、これは現実なのだと脳にこびり付くほど実感させられた。