鍋の番をしていると外から馬の足音が聞こえた。窓から覗くと騰様が馬を降りて、近くの木に馬を繋いでいるところだった。火を消してから慌てて玄関まで出迎えると、騰様が険しい顔をして入って来る、荷物を持とうと膝を付くと手でそれを制した。
「殿はどこだ」
「まだ書斎にいらっしゃるかと」
「馬だけ頼む」
「かしこまりました」
騰様がこのように急いておられるのも珍しい、咸陽で何かあったのだろうか。外に出て、木に繋がれた馬の綱を外して、ゆっくりと厩舎へと移動させる。水と乾草を用意してやるとじゃぶじゃぶと水を飲み始めた、よっぽど喉が渇いたらしい。艶やかな毛並みに手の平を滑らせて、お疲れ様と声を掛けた。
炊事場へ戻り、途中になっていた食事の支度を再開する。騰様は書斎で王騎様とお話をしているらしいが、お二人が出てくる気配は一向にない。お茶を持って行った時の王騎様は深く考え込みながら腕を組んでおられ、それだけでも何か大きな事が起こっているのだと分かった。
「晶霞」
振り返ると入口の方で家人の老翁が手招きをしていた。湯殿の用意をしていたはずだが終わったのだろうか。
「王騎様達はまだ湯殿へは行かなさそうだな」
「ええ、長くかかりそうです」
「ちょっと腰が痛くて横になりたいんだ」
「後は私がやっておきますから、休んでいて下さい」
腰を押さえながらありがとうと言い、部屋へ戻る老翁を見送った。食事の支度はもうすぐ終わるから、とこれからの予定を考えながら鍋の中を混ぜる。一通りの料理を作り終えたので、食卓に器や箸の準備を整え書斎に向かった。
「王騎様、お食事の支度が出来ました」
中に向かって声を掛ける、すぐに分かりましたと変わらない声が返ってきたので少し安心して下へ降りた。湯殿へ寄って王騎様のお召し物を置いてから食卓へ戻る、お酒やお茶を用意しているうちに王騎様達が降りてきた。
「騰様もお食事にされますよね」
「ああ、お前の料理は美味いからな」
騰様も先ほどとは違い、声色も様子もいつものようだった。ご飯をよそって椀物と副菜を用意する、最初にお酒を飲まれる際は、主菜を最後にといつも決まっているので副菜の味を少し濃くしてお酒に合うようにしていた。
「失礼致します」
王騎様と騰様の杯に酒を注ぐ、透明の波がゆらゆらと揺れていた。その風景を見て、あ、前にもこんな事が、と朧気な記憶が脳を掠めた。
「今日は貴女も一緒に食べましょうか」
「えっ、でも、」
「たまにはいいでしょう」
腰を痛めた老翁を思い出した、知られたら怒られるだろうな。でも王騎様と一緒に食事が出来る機会もそうない。
「さあ、食事にしましょう」
今日は王騎様のお言葉に甘えてもいいかな。大きく頷いて、食卓にもう一人分の用意をする、王騎様の隣に招かれて席に着いた、向かいには騰様が座っている、ああ、この風景に見覚えがあったと瞼を閉じた。