決行の夜、闇は深い。
「そろそろ配置につきます」
「ええ、武運を祈ります」
「ありがとうございます。王騎様もどうかご武運を」
口角を上げ、宝刀を担いだ王騎様はとても大きく見える。自ら昌文君と戦うと仰られたその目は揺らめく熱を秘めていた。瞼を閉じるとあの日見た背の翼が浮かぶ。ゆっくりと目を開けた。息を吐く度に頭が冷えていく。
隣からの視線を感じて顔を上げると騰様と目が合う。
「晶霞」
「ご心配には及びません」
「そのようだな」
騰様達と馬を走らせ宮殿の裏手にある森へ向かい、木々の影へ姿を隠す。彼らが逃亡を図るならこの辺りから森に入ろうと考えるはず。
ほどなくして、遠目にも宮殿から火の手が上がるのが見えた。心臓が鳴り、それ以外の音がぼやける。やがて闇の中から騎馬兵に守られた軒車が現れた。彼方から王騎様が昌文君に斬りかかるのを確認し、手綱を握り締めながら振り返る。
「出ます」
騰様が頷くのを見て手綱を軽く引き、馬の腹を蹴ると軽やかに走り出す。振動と共に鼓膜が震える、後ろの騎馬も私に続くのが地を蹴る馬蹄の音で分かる。剣を抜いて切っ先を軒車へと向ける。大きく息を吸って声を絞り出す。
「逃がすなっ!」
私達に気付いた騎馬兵も勢いは衰えず、検車を庇うようにこちらへ馬を走らせ始めた。
「百騎ついてきて下さい!」
行く手を阻む騎馬に剣を振るう。呼吸はどんどん浅くなる。視界の端の血飛沫が誰のものか振り返る余裕もない。今はかの少年を逃がす事に集中しなければ。
周りの騎馬を蹴散らしながら軒車に近付く。あともう少し、
「あきらめるな!」
軒車の中から現れた少年が馬に跨り剣を掲げた。あれが大王様の身代わり。
このまま軒車を追い詰めながら森の方へ誘導するつもりが、馬に乗られてしまった。少年は騎馬兵を引き連れ更に馬を走らせる。
「必ず生き延びられる!」
空気の変化にはすぐに気付いた。びりびりと肌に感じたそれは一瞬こちらが飲み込まれるほどだった。この子は本物だ。相手の士気は一気に上がり、こちらを押し返し始めるまでになると、一旦距離を置かざるを得なくなった。
私達の目的はあの少年をここから生きて逃がす事、このまま距離を置きながら奥にある森へ誘導出来れば。周りに視線を巡らせながら動ける騎馬を探す。
「晶霞!」
「っ!」
声で我に返る。
「このっ」
少年は先頭にいた私に向かって剣を振り下ろした。それをいなして剣を構える。先程まであんなに距離を置いていたのに僅かの間に剣が届くまで間合いを詰められてしまった。馬を得て森へ逃げるかと思ったのに、まさかこちらへ向かってくるなんて。
知らずのうちに汗が頬を伝っている。この少年はお飾りの身代わりではない。相手は死に物狂いで私達を殺そうとしているのだ、一瞬たりとも気を抜けない。
「晶霞、少し下がれ」
後ろから追い付いた騰様のが私と少年の間に入ろうと馬を走らせる。咄嗟に身体が動いていた。
「いいえっ、下がりません」
口をついて出た声は思いの外大きく、騰様と私の馬がぶつかりそうになる。いつもより大きく見開かれた瞳が私を映したが、すぐに馬の腹を蹴った。
騰様に頼っていては意味が無い。やっと王騎様の御役に立てる機会が巡ってきたのだ。少年の周りにいた騎馬が二つに分かれ、一方が昌文君の方へ向かう。騰様は残しておいた兵を呼んでいた。
少年はまた私に斬りかかる。それを真正面から受け止めて上半身を使って薙ぎ払った。周りの騎馬が徐々に散っていく中、私と少年の馬は勢いに任せて丘を駆け上がる。
乱れた呼吸を整えながら背後を窺う。鬱蒼と茂る木々に月の光が飲み込まれそうな森だ。丘の上には剣を構えた少年がこちらを睨み付けていた。単騎で来るつもりだ。一撃を耐えてそのまま森へ抜けてもらう。
少年の瞳が鋭く光る。先の先が見えたのは初めてだった。