三人がかりで持ち帰った酒を全て酒蔵に運び込み、崩れ落ちないよう綺麗に並べると改めてその量に舌を巻く。一人で酒を並べたことでかなり身体が熱い。こめかみから頬にかけて汗が流れ、そこに髪が張り付いた。首に掛けていた布で拭うが、額からも汗が滲んでいる。やっぱり切らなきゃ邪魔だな。
酒蔵から出ると屋敷の方から騰様が歩いて来るのが見えた。もう一度汗を拭って小走りに騰様の元へ向かう。


「いかがなさいました?」

「これを渡そうと思って忘れていた」


差し出された手には綺麗な石が付いた簪があった。それをじっと見つめていると、手首を掴まれて手の平に簪が乗せられた。凝った細工に美しく透けた石、きっと高価なものだ。


「いらないは無しだ」

「ですが、」

「お前以外に渡す相手もいない」


そう言って騰様は踵を返した。
髪を邪魔がっていた私を見て、村で買ってくださったんだ。騰様はとてもお優しい。もうずっと、子供の頃から。髪を束ねていた帯を解いて捩じり上げ、後頭部で内側に巻き込む。そこに簪を差すとしっかりと固定されて動いても外れそうになかった。


「騰様っ」


騰様の背中に向かって声を上げて駆け寄る。振り返った騰様は私の姿を見て一瞬動きを止めた。


「どうですか」

「ああ、似合っている」


首に布を掛けているような私では素敵な簪も本来の美しさを見せられてはいないだろう。けれど騰様は似合っていると言ってくださった。そんな優しさを持つ騰様だから、落ち込んでいる時や悩んでいる時にそっと寄り添ってくださるような方だから、私は心の内を飾らずに話せるのかもしれない。
ずっと心にあった疑問を確かめたくなった。


「騰様、一つお伺いしたいことがあります」

「何だ」

「あの反乱の際に大王様の身代わりを務めていた少年をおぼえてらっしゃいますか」

「……ああ」


時が経っても刺さった棘はなくならない、痛みに慣れるか気付かない振りをするかの違いだけだ。気付かない振りはしたくない、慣れるなら真実を知っておきたい。自己の都合に塗れた勝手な思いだと理解している、だけどそれを知らずに前へは進めない。


「あの少年は、」

「お前と剣を交えた後、暗殺者に追われ殺された」


静かに呟かれた言葉が響いて思わず足を止めた。


「いつから気付いておられたのですか」

「お前があいつを見失った時からだ」


喉が熱くなってそのままぎゅうと奥が狭まると少し息が詰まる。
どうして、分かっていたなら教えてほしかった、あの時追わせてほしかった。私が言いそうな子供の駄々などきっと想定の範疇だろう。私はきっとあの場でもそう申し出たに違いない。


「私が追い掛けても結果は変わらなかったでしょうか」

「お前が確実に暗殺者を殺せるかどうか判断しかねた。それに、互角に戦えたとしても相手に逃げられれば、殿の計画は頓挫することになる」


確かに、大王様の身代わりに差し向けられた暗殺者を私が傷付ければ、もしそれが露見すれば、事はもっと厄介になっていたかもしれない。かと言って暗殺者を一瞬で倒せるような技量も持ち合わせていない。全ては私が未熟だから。きつく奥歯を噛む私の頬に騰様の手が添えられる。


「最もらしい理由を付けたが、安易に言えば天秤の話だ。お前とあの少年の命を秤にかけ、私はお前をとった」

「てん、びん」

「お前が傷付くことや殺されることと、あの少年が殺されることは私にとって同じ重さではない。その選択が出来るから、殿はあの日私をお前に付けたのだ」


綺麗事ではない、真実の言葉は真っ直ぐ胸に刺さる。


「私を恨むか」


視線を逸らすことも出来ず、棒立ちになる私の言葉を待つ騰様の瞳が揺らめいた気がした。


「正直に言っていい」


私だって騰様と同じだ。
王騎様と知らない他人の命、どちらかしか選べないなら私の答えはただ一つ。そういう選択を積み重ねて人は生きていくのだから、騰様を恨むなど以ての外。ただ、もっと私が強ければと思うだけだ。騰様の天秤に私の命をかけさせたのは私の弱さだ。


「騰様を恨むなど有り得ません」

「では、どうしてそんな顔をするのだ」


様々な感情が綯い交ぜになってぐしゃぐしゃの顔をする私に、またも優しく騰様が問うた。


「騰様に二択を強いた自分の弱さに嫌気が差します。私が強ければ秤は必要なかったのです」


少し強くなったと思っても上を見れば際限がない。成長と共に、遥か彼方との力量の差をはっきりと感じることが出来るようになっただけだ。


「驚いたな、そんな風に考えるのか」


顔を上げると驚いたという言葉のとおりの騰様と目が合う。


「お前が弱いから後を追わさなかった訳ではない。お前には徒に傷付いてほしくないと思っているからだ」


私のことを一番に考えてくださったから、騰様はあの時何も仰らなかったのだ。そして今も私を気遣ってくださっている。私は王騎様の召使いで、姉様と違って少し剣を扱えるだけの少しも特別ではないただの人なのに、どうしてこんなに大切にしてもらえるのだろう。


「お前があの少年に何か思うところがあったのは見ていて良く分かった。だが、お前が気に病むことはない。お前も私もあの少年も己が役目を全うした、それだけだ」


私が今、五体満足でここにいるのは騰様があの時選択してくださったからだ。それが騰様の役目だったからだ。私も漂も己が役目を全うした、それだけのことだった。それでも、私はもう子供ではないのだから、誰に言われずとも結果を考えて行動しなくてはならないのだ。いつか選択を迫られた時に後悔しない答えを選べるように。


「私の話を聞いてくださって、きちんとお考えを聞かせてくださってありがとうございました」


棘は抜けない、けれどこの痛みも私に与えられた大切なものだと今なら思える。あの日を、漂を忘れることはないけれど、あの日に囚われることはもうない。私は私が信じるもののために前に進まなくては。


「私はもう大丈夫です」