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昴さんと付き合うことになっても、お互いの関係が大きく変化することはなかった。変わったことと言えば以前は躊躇っていたメールを自然に送れるようになったことと、電話をするようになったこと。デートとまではいかないかもしれないけれど、お互いの時間が合うときには少し会って話すようにもなった。

けれど、特別恋人らしいことはしなかった。基本的に手を繋ぐこともなければ、もちろんそれ以上の関係になるようなこともない。端からみたら友達、同僚、もしくは兄妹とでも思われそうな距離感をいつも保っている。

今まで通りでいてくれるというのは正直ありがたかった。まだ赤井さんのことを忘れられていないのに突然恋人みたいに振る舞われても、私もどう接していいか分からなくなってしまうから。大人の対応をしてくれる昴さんには本当に感謝している。

そんな今日はその彼と珍しくランチの約束をしている日。

早く準備しなきゃ。支度を始めると携帯に着信があった。昴さんかなと思って携帯を手に取ると、相手はジョディさんだった。ジョディさんからの電話はなんだかとても久しぶりな感じがして、すぐに通話ボタンを押した。

「もしもし」
『名前久しぶり! なかなか連絡できなくてごめんなさいね。最近ちょっといろいろと忙しくて』

電話口からは前に話したときと変わらない、明るいジョディさんの声が聞こえる。相変わらずなようで良かった。その声に元気をもらい、私も自然と明るい声になる。

「ジョディさんお久しぶりです! お元気そうで何よりです」
『名前も元気そうで安心したわ。今日電話したのはちょっと聞きたいことがあったからなの。最近、何か変わったこととかない?』
「変わったこと、ですか……」

何だろう。変わったこと。最近あったことを思い出しながら少し考えてみるけど、思い当たることはひとつしかなかった。ジョディさんに言うべきことなのか迷ったけど、いつもこんなに私のことを気にかけてくれている人に隠し事をするのも申し訳ない。ええと、と言葉を濁らせながらゆっくりと話し始めた。

「あの、実は大変申し上げにくいんですが……彼氏ができました……」
『……えぇっ!? 嘘でしょ!? あなたあんなにシュウのこと……あっ、ごめんなさい』

少し間を置いてジョディさんが悲鳴のような声をあげたあと、言いかけた言葉を飲み込んだのが分かった。言いたいこともなんとなく想像できる。

赤井さん……。

いつも心の中で繰り返し呼ぶだけで、耳にすることはなかったその名前。自分で言うのと、他の人の口から発せられたものを聞くのとでは、胸の痛みが違うことに気が付いた。

「……いえ、大丈夫です」

本当はまだ全然大丈夫じゃない。赤井さんの名前を聞くだけでこんなにも胸が苦しい。やっぱりまだ私の中には赤井さんがいる。でも、ジョディさんに余計な心配をかけたくなかった。

『そう……でも本当なの!?』
「……はい。ちょっといろいろありまして……」
『いろいろって何? どういうこと?  分かるように説明しなさい!』

ジョディさんの声がさっきよりも大きくなる。怒っているのか、それとも私を心配して強い口調になっているのか。電話越しではジョディさんがどんな気持ちで話しているのか分からなかった。

ジョディさんがそう思うのも仕方ないと思う。

赤井さんが亡くなったっていうのに、何の前触れもなく突然他に男ができたなんて言い出すんだから。「何やってるのよ!」って怒られたとしても何も言い返せない。私だって、まさかこんなことになるなんてあのときは思っていなかった。
これは一から説明しないと納得してくれないような気がする。説明して納得してくれるのかも分からないけど。

「話すと長くなってしまうので、また今度お会いしたときでもいいですか?」
『そうなの? じゃあ今度ゆっくり聞かせてもらうわ。他に名前の周りで何か変わったことはない?』
「はい、それ以外特には思い当たらないです。何かあったんですか?」

ジョディさんに聞かれたことに対して答えたのに、また同じことを聞かれる。ジョディさんが求めていた答えはこういうものではなかったのだろうか。
でも本当に昴さんに会ったこと以外、赤井さんが亡くなった後に何かが変わったとか、変わったことが起きたというようなことはなかったから、これ以上変わったこと≠答えることはできない。

『……いえ、何でもないわ。それならいいの。いきなりごめんなさい。また今度その彼氏のこと詳しく教えなさいよ。それじゃ』

え、ジョディさん! ……と言っている間に電話は切れてしまった。結局何の用事だったのかよく分からない。今日のジョディさんは何だか慌ただしくて、どちらかというと一方的な会話に近かった。何かあったのだろうか。

ジョディさんとの電話が終わって時計を見ると、昴さんとの待ち合わせの時間が刻一刻と迫っている。まだ出かける準備も終わってないというのに。

大急ぎで準備を済ませ、待ち合わせ場所へと向かった。


このときの私はまだ、ジョディさんが本当に聞きたかったことに直面するなんて夢にも思わなかった。



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