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待ち合わせ場所に着くと、いつもの大人っぽい格好をした昴さんが少し辺りを見回しながら待っていた。まだ約束の時間にはなっていないのにもう待っているなんて、本当に律儀な人だと思う。私に気付いた昴さんは笑顔を見せて、私の方に歩いてきてくれた。

「すみません、待ちましたか?」
「そんなことありませんよ。それでは行きましょうか」

そういえばどこに行くのか聞いてないけど、昴さんが歩き始めたのでつられて同じ方向へと歩き出す。話しながら歩いていると、あるお店の前で昴さんが足を止めた。どうやらここらしい。

着いたところは隠れ家と言えるような落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。都会の喧騒を離れたようなこのお店は、昴さんの雰囲気にも合っているような気がする。こういうところでコーヒーを飲みながら勉強しているのだろうか。

「素敵なところですね」
「気に入っていただけたのであれば何よりです」

注文したオムライスが運ばれてきた。それをスプーンで掬って口に入れると、ほっぺが落ちそうなそのおいしさに思わず笑顔が零れた。

「そこまで美味しそうに食べていただけるとは光栄です。やはり名前さんは笑顔の方が似合いますよ。その笑顔をずっと側で見ていたいと思ったんです。あなたの笑顔は本当に可愛らしいですから」

突拍子もなくそんなことを言われてしまうとさすがに照れる。今でも昴さんは真面目そうな人だと思う。でも時々歯の浮くような台詞でも恥ずかし気もなく言う昴さんは、実は天然なのか口が上手いだけなのか。

恥ずかしさから思わず向かい合わせに座っている昴さんの顔から目を背け、少し下に視線をやると食事をしている姿が目に入る。

「あれ。昴さんって左利きなんですね」

一緒に食事をすること自体ほとんどないから気付かなかった。……理由はそれだけじゃない。今まで気にもしたことがなかったのは、私が昴さんのことをちゃんと見ていなかったから。

「ええ。それがどうかされましたか?」
「いえ、亡くなった彼も左利きだったので同じだなって思って。あ、すみません、今は昴さんと居るのに……」

左利きの人なんていくらでもいる。友達にもいたし、会社にもいる。だからといって赤井さんのことを思い出したことはなかった。でもそれが昴さんとなると少し話は違ってくる。

「構いませんよ。重ねていただいていいと言ったのは僕の方ですから」

昴さんはいつもそう言ってくれるけれど、いつまでもそれでは駄目だと思っていた。これでは昴さんの存在自体を否定してしまっているような気がしていたから。

「でも私、ちゃんと昴さんと向き合います。昴さんは昴さんで、彼じゃない。もういない人のことをいつまでも引きずってては前に進めませんから。……いっそのこと全部忘れて、なかったことにできたら楽になれるのに……」

昴さんに対して言っているのか、それとも自分にそう言い聞かせているのか。

……多分後者だと思う。赤井さんを思い出す度に胸が締め付けられるくらいなら、いっそのこと全部忘れてしまいたい。本当に全て忘れて、昴さんのことだけを見て、本気で好きになれたらいいのに。

優しい昴さんのことが少しずつ気になり始めているというのも事実。だけど、どこかで赤井さんへの罪悪感や未練が足枷となっているのも事実。自分でもどうすればいいのか、どうしたいのか分からなかった。

「その彼のことを忘れる必要はないと思いますよ。今の名前さんがいるのは、その亡くなった恋人と過ごした日々があってのこと。それを全てなかったことにしてしまっては、今のあなたを全て否定することになります。ですから、忘れたいなんて仰らないで下さい。きっとその彼も、名前さんの幸せをどこかで願っているはずですよ」

昴さんが私を諭すようにゆっくりと、優しく話しかける。

とても泣きたくなった。

どうしてこんなにも私の心に響く言葉ばかりくれるんだろう。昴さんは欲しいときに、私が欲しい言葉をくれる。私の心の中が見えているかのように、ずっと空いたままだった穴を少しずつ埋めてくれる。心臓が跳ねたのが自分でも分かった。

赤井さんといたときにしか感じなかったこの気持ち。

私、もしかしたらこの人のことを本当に好きになれるかもしれない。確証はないけど、なんとなくそう思った。



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