09
「帰りましょう。もう日が暮れてしまいましたね」

私の返事がYESだと分かった後の昴さんは、もしかしたら気のせいかもしれないけれど、何だかずっと上機嫌のような気がした。

今日は車で来たらしく、近くの駐車場に車を停めているので家まで送ってくれるそうだ。丸みを帯びて可愛らしい形をした綺麗な赤色の軽自動車の前で、昴さんがロックを解除した。昴さんってこんな可愛い車に乗ってるんだ。昴さんの意外な一面が垣間見えた気がした。

助手席の方に昴さんが来てくれてドアを開けると、どうぞ、と声をかけられたのでその言葉に甘えて助手席に乗り込んだ。自然なエスコートで私を女の子扱いしてくれたことがうれしかった。

赤井さんの車とは違って運転席との距離が近い。ほんの少し手を伸ばすだけで昴さんに届いてしまいそうなくらい。たったそれだけのことなのに妙に緊張してしまい、ついドア寄りに位置取りをした。私がシートベルトをしたのを確認すると、エンジンをかけて走り出した。


本当にこのまま付き合ってしまっていいのだろうか。こんな曖昧な気持ちのままなのに。きっと彼のことをちゃんと好きになってくれる女の子はいくらでもいると思う。それを私のせいで奪ってしまうなんて、どれほど申し訳ないことをしているのだろう。昴さんは本当にそれで後悔しないのだろうか。

否定しなかった、いや、できなかったとはいえ、私の中ではまだ葛藤が続いていた。

「そんな顔しないで下さい。もっと軽く考えていただければいいですから」
「えっ……? あ、はい……」

本当に、何故か昴さんといると赤井さんを思い出してしまう。今だってどうしてか分からないけど、一瞬赤井さんが頭に浮かんだ。運転する横顔……だろうか。

昴さんは彼と昴さんを重ねていいって言ってくれたけれど、もし付き合うならさすがにそんな失礼なことはできない。ちゃんと昴さん≠ニ向き合わなければいけないと思う。よく恋愛は上書き保存なんて言うけれど、そんなこと本当にできるのか。赤井さんとの思い出の上に昴さんとの思い出を塗り重ねて、赤井さんのことを忘れる、だなんて……。

「僕があなたと一緒に居たい。それだけのことですよ。無理強いをしてしまったようですみません。でもそれほど本気だと言うことは分かっていただきたい」

真剣な声色、真剣な言葉に、ほんの一瞬心臓がとくんと音を立てた。こんなことを言われて動じない女性がいるのなら是非お会いしてみたい。

昴さんの顔を見ることができなくて、昴さんと反対側の窓の外を眺める。車の窓ガラスに映る自分の頬がほんのり赤く見えるのは、きっとこの車のボディの反射のせい。





「ここでしたよね」

公園からあまり離れていないところにある、私が住んでいるアパートには道が空いていたこともあってほんの数分で到着した。

「そうです。送っていただいてありがとうございました」

シートベルトを外し、ドアを開けようとドアハンドルに左手をかけたところで、空いていた右手に昴さんの左手が乗せられた。

「何かあったら遠慮せずにいつでも連絡してください。あなたが辛いときには、これからは僕が名前さんの支えになりますから。もちろん、名前さんからの連絡でしたら何もないときでも歓迎しますよ」

まるで悪戯っ子のように微笑む昴さん。同い年の私よりも幾分大人びている彼の、初めて見るあどけない少年のような表情だった。それだけ言うと重ねられていた手を離し、どうぞ、と言われたのでドアを開けて車から降りた。ドアを閉めたのと同時に助手席の窓が開く。

「それではまた。おやすみなさい」

手を振る昴さんにお辞儀をすると、彼の車はゆっくりと走り去って行った。


……私、本当に昴さんと付き合うことになったんだ。

赤井さん見てるかな。こんな私、軽蔑するよね。
あなたを裏切るような真似をしてごめんなさい。

本当は今でも赤井さんのことが好き。この気持ちは変わらない。会えるのなら今すぐにでも会いたい。会いたいのに、あなたはもういない。

昴さんは、そんな私の願いを叶えてくれたような気がした。また赤井さんに会えたような気がした。私が勝手に二人を重ねて赤井さんの面影を求めているだけなのだけれど、昴さんはそれを許してくれた。
最低だよね。言われなくても分かってる。だからこれからは昴さんと向き合おうと思ってる。

でもやっぱりまだ、すぐにはあなたへの想いを断ち切れないから……あともう少しだけ、好きでいさせてね。


空を見上げながら、もういない赤井さんのことを想う。
今日は星が綺麗に見えると言っていたのに、滲んだ空には何一つ瞬く星は見えなかった。



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