15
赤井さんらしき人を見かけた日のことを思い出すと、どうしようもないほど心が曇ってしまう毎日を送っていた。

あの日はまるで感情がジェットコースターのような一日だった。昴さんのことを好きになれるかもしれないと思った直後に、亡くなったって聞いていた赤井さんらしき人を見かけるなんて残酷すぎる。

あれが本当に赤井さんだったのかは分からないけれど、それでも赤井さんを思い出すには十分すぎるほどだった。そのせいでまた昴さんと赤井さんが重なってしまい、挙げ句昴さんに抱きしめられたときには「赤井さん」とまで言いそうになる始末。


……本当に最低だ。自己嫌悪に陥ってしまい、あれ以来なんとなく昴さんと距離をとってしまっていた。デートのお誘いが来ても体調が悪い、とか何かと理由をつけて断っているから、もしかしたら不審に思っているかもしれない。けれど、どうやら昴さんも最近忙しいみたいであまり詮索はされなかった。

あの日びっくりしたことはもうひとつ。
送りますから、と言われて昴さんの家を出るとそこは有名人一家の工藤邸。ご近所をあまり知らない私でもさすがに知っている。
知り合いなんですか? って聞いたけど何か事情があるみたいで、詳しいことは上手くはぐらかされてしまったのでそれ以上のことは聞けなかった。


……私、これからどうすればいいんだろう。赤井さんが忘れられないのに昴さんと付き合っているなんて、やっぱり選択を間違えたのかもしれない。付き合い始めた頃に感じていた罪悪感が、あの日を境にどんどん大きくなっていく。

もう自分一人では消化し切れなかった。こんなときに相談できる相手……本当は心配かけたくないけれど、今の私の状況を少ない言葉で説明しても理解してくれるような人は一人しかいない。気付いたときには既に携帯に手を伸ばし、コール音を鳴らしていた。

『あら名前、あなたから電話くれるなんて珍しいじゃない。どうしたの?』

電話をかけた相手、ジョディさんは思ったよりも早く電話に出てくれた。

「……っ、ジョディ、さっ……」

ジョディさんの声を聞いた途端、さっきまでは何ともなかったのに突然涙がこみ上げてきた。自分でもどうしてなのか分からない。話そうにも涙混じりの声になってしまったせいでうまく話せず、しゃくり上げることしかできなかった。

『名前!? どうしたの!? どこにいるの!?』

私の涙声に気付いたジョディさんの声色が変わる。あぁやっぱり心配をかけてしまった。なんとか涙を止めようにも、一度緩んだ涙腺はなかなか元には戻ってくれない。

「い、いえに、いますっ……」

結局涙声のままジョディさんと話さなければいけなくなってしまった。落ち着くまで話し出せないかもしれない。

『今ちょうど近くにいるから待ってて! すぐ行くから!』
「えっ……ジョディさ……」

私が何か答える前に、既に電話は切られていた。


それから数分もすると玄関のチャイムが鳴った。
モニターで姿を確認してゆっくりドアを開けると、慌てて駆けつけてくれたのが分かるほど息切れをしたジョディさんがいた。とても心配そうな顔をしていたが、私の姿を見ると安堵の表情を浮かべた。一度涙は落ち着いたのに、ジョディさんの顔を見たらまた泣きそうになってしまう。


「……で、一体どうしたの?」

部屋に招き入れたジョディさんにお茶を準備して、そのままジョディさんの座っているソファーに私も腰を下ろすと、すぐに本題を切り出された。

何かあったのよね? と詰め寄られる。だから私も直球で、どうしても聞きたかったことを聞いてみることにした。

「ジョディさん……あの、赤井さんって……」


──本当に亡くなったんですか……?


ジョディさんを疑う訳ではないけれど、どうしても信じられなかった。あの人がいきなり消えてしまった現実を、やっぱり私はまだ受け入れられない。あのとき見たあの人が本当に赤井さんだったとしたら、赤井さんは私の前から姿を消しただけでちゃんと生きてる。私のことが嫌いになって私の前からいなくなったのならそれでもいい。ただ、生きていてほしかった。

でもその希望は、ジョディさんの言葉で儚く消え去った。

「………ええ。シュウは死んだのよ。警察からもそう聞いてるわ」

じゃあやっぱり、あれは私の見間違い。赤井さんに似てるだけの別人だったんだ。薄れていく記憶のせいで、あのとき見た人が本当に赤井さんに似ていたのかも自信がなくなってくる。

「そう、ですか……」

赤井さんのことをいつまでも忘れられないせいで、とうとう街行く人にまで赤井さんの幻想を抱いてしまったなんて、どれほど私は未練がましい女なんだろう。いい加減受け入れなければいけない現実を、未だに受け入れられないでいるなんて。

「名前、一体どうしたって言うのよ。何かあったの?」
「……見かけた気がしたんです。赤井さんに似ている人を……」
「……っ!? それ、いつの話!?」
「一ヶ月くらい前です……」

私の言葉に珍しく動揺しているジョディさんが目に映る。びっくりするのも無理はないと思う。死んだと言った人間を見たなんて言うのだから。幽霊を見た、と言っているようなものだ。

「そう、あなたも見たのね……。でもあれは……」
「ジョディさんも見たんですか……」

あなた"も"ということは、きっとジョディさんも見たのだろう。そういえばちょうどその頃だった。ジョディさんから突然電話がかかってきて、変わったことがないかと聞かれたのは。ジョディさんが聞きたかったのは、もしかしたら私が見たあの人のことだったのかもしれない。

ジョディさんが顎に手を当てて考え込んでいる。何かを言い淀んでいるような感じがしたと思ったら、再びジョディさんが口を開いた。

「ええ。確かに私も見たわ。火傷をしたシュウに似た男をね……。あなたが見た人も同じ人だと思うわ。でもあれはシュウじゃなかった。別人よ」

ジョディさんははっきりと言い切った。別人。じゃあやっぱりもう、赤井さんは……。

「でも、実は今気になることがあってちょっと調べてるの。……シュウが巻き込まれたっていう事件のことでね」
「……どういう、ことですか……?」

ぼんやりとする頭で必死に考えようとするけれど、全く頭が働かない。そもそも赤井さんが巻き込まれた事件って、一体何なんだろう。人が死ぬような事件なら大々的に放送されるはずだし、警察が亡くなったのは赤井さんだって分かっているのなら名前も出そうなのに。そんなニュースを見ていたら絶対に忘れるはずがない。

「ごめんなさい、それは名前にも言えないわ。ただ、私もシュウが死んだなんて思いたくないだけよ。それよりも……」



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