19
着いてしまった。

何度見ても大きな家。自分から行くと言ったとはいえ、まさか本当にこの家に自ら足を踏み入れる日が来るなんて思ってもみなかった。

ちゃんと昴さんに私の気持ちを話せるのだろうか。未だに私の中では迷いと不安、そして恐怖が入り混じり、踏ん切りがつかないでいた。何度もインターホンを鳴らそうとしては手を引っ込めるのを繰り返す。これでは完全に不審者じゃないか。それにもう約束の時間だから、昴さんもきっと待っている。

大きくひとつ深呼吸をして、震える指でインターホンのボタンを押した。

『はい』
「……苗字です」

インターホン越しの昴さんの声に緊張して、つい怖々と返事をしてしまった。どうぞ、と言われたので大きな門を開けて玄関まで足を進めると、玄関先に着く頃にはちょうどタイミングよく玄関の入口が開けられ、昴さんがいつもの笑顔で迎えてくれた。

「名前さん、お待ちしていましたよ。どうぞ」

案内されたのはこの前休ませてくれたのと同じ部屋。テーブルには既にティーカップが用意してあり、そこの前のソファーに二人並んで腰を下ろすと、昴さんがちょうどよく蒸らした紅茶をカップに注いでくれた。

「名前さんにお会いするのも随分と久しぶりですね」

昴さんは何気なく言っただけなんだろうけど、やっぱり罪悪感から胸が痛む。

「せっかくお誘いいただいていたのに、本当にすみませんでした」
「いえいえ。名前さんの元気な姿を拝見できて安心しました。……それで、お話というのは……」

昴さんも話が何なのか気になっていたようだった。こんな早々に切り出されるとは思わなくて、まだ心の準備ができていないのに。一体何から話せばいいのだろう。とりあえず、できるだけ当たり障りのない話から切り出すことにした。

「……先日は、ご迷惑おかけして本当にすみませんでした。知人にもちょっと聞いたんですけど、あのとき見たって言った人はやっぱり亡くなった彼ではなくて、別人だったみたいです」
「そうでしたか……」
「嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」
「そんなことありませんよ。名前さんの方こそ辛い思いをされたのではないですか? その恋人のことを本当に愛していらしたんですね」

図星を突かれると何も答えられず、俯くことしかできなかった。昴さんは妙に核心を突いてくるから返す言葉が見つからない。さすがの私でも、昴さんに向かってこの問いに「はい」とは答えられなかったけれど、昴さんは私の気持ちに気付いていて試しているような気がした。


その言葉のあと、私は何も言えなかった。私から話があると言ったくせに、未だに本題を切り出せないでいる。何か言わなきゃいけないのに言葉が出てこず、ただただ時間だけが過ぎていく。

先に沈黙を破ったのは昴さんだった。


「名前さん、大丈夫ですか? 泣きそうな顔をしていますが……」
「あ……すみません……」

泣きそうなのは自覚していた。でも今泣いてしまったら、きっと何も話せなくなる。それでは何のためにここに来たのか分からない。話をしたい。でもまずは心を落ち着けなければ。

そう思ったら、何故か自然に昴さんの肩にもたれ掛かってしまった。

「名前さん?」

昴さんがとても驚いたような声で私の名前を呼んだ。

「すみません、少しだけこうさせてください……」

心を落ち着かせようと思っただけなのに、なぜこんなことをしたのか自分でも分からなかった。それはきっと昴さんも同じ。

無意識に赤井さんと重ねているのか、赤井さんへの想いを誤魔化しているだけなのか。それとも本当に昴さんと向き合おうとしているのか。自分でも分からないけれど、昴さんに触れると心が落ち着くような気がして、隣に座っている昴さんの肩に頭を寄せた。

今日の昴さんからは、さっきジョディさんに会ったときに感じた懐かしいあの匂いが仄かに香る。昴さんって煙草吸うんだ。今まで吸っているところを見たことがなかったので、煙草を吸うこと自体に驚いた。それが同じ銘柄ときたら尚更。
心臓がじわりと熱くなるのがわかった。

そのままそっと目を閉じると、赤井さんのあの笑顔が思い浮かび、赤井さんと一緒にいるような錯覚に陥った。多分この匂いが余計にそうさせていた。


……だめだ、昴さんと赤井さんを重ねては。今日は昴さんと話をするって決めてきたんだから。自分の脳を無理矢理現実に引き戻す。

昴さんの温もりを感じながら、今度はジョディさんの言葉を思い出していた。

本当に昴さんは私のことを愛していてくれるんだろうか。

もしそれが本当なら、私が昴さんを好きになれたらそれで全て丸く収まる。このまま本当に昴さんのことを好きになってしまえたら、昴さんを傷つけることもないし、私もわざわざ口に出したくないことを言わなくて済む。

ああもう。いっそ昴さんのことだけを考えて、本気でこの人を好きになりたい。


半ば自棄になったその思いが、自分自身でも予期せぬ行動を引き起こした。



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