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待ち焦がれていた最愛の人が私の目の前に姿を見せてから、私はただひたすらその彼に身を寄せていた。どれくらい時間が経ったのかも分からない。

こんなにも自分から赤井さんを求めるのは初めてなんじゃないか、というくらい赤井さんから離れたくなかった。赤井さんもそんな私を拒むことなく、きつく抱きしめて離そうとしない。あの日から今日までの失っていた時間を埋めるように、私たちは寄り添っていた。

ここまで訳が分からないことが続くと、まるで夢でも見ているかのような錯覚さえ覚える。けれど今感じているこの温もりはやっぱり本物で、夢だとは到底思えなかった。亡くなったはずの赤井さんが、本当に私の目の前にいる。その事実だけでまた涙が頬を伝った。

赤井さんをもっと近くで感じたくて、縋るように両腕を赤井さんの首に回す。そのまま首元に頭を寄せると、私の気持ちを感じ取ってくれたのか、それに応えるようにそっと頭を撫でてくれた。赤井さんの手は簡単に私に魔法をかける。心の奥に火が灯り、とても満たされて温かくなった。


そんなことを考えていると、ふいに赤井さんの首に回した両腕が、赤井さんの首に付けられている無機質な物の存在に気付いた。そういえばさっき赤井さんの声が聞こえる前、ここから妙な機械音がしていた気がする。

これは何か聞こうと思って、一度赤井さんから少し離れて顔を見上げた。

目が合った赤井さんは、本当に優しい微笑みを浮かべていた。私の大好きな表情。そんな赤井さんの表情に心を奪われ、そしてもう二度と見ることはできないと思っていただけに、また涙が零れ落ちる。それを見た赤井さんは私の涙を自分の指で拭い、私の瞼にそっと口づけを落とした。目を開けると、赤井さんは私にまた優しく微笑みかける。

「赤井さん……もう、二度と会えないと思ってた……!」

どうして今まで教えてくれなかったの?
私を騙してたの?

少なからずそういう気持ちもあった。でもそれ以上に赤井さんが生きていて、今ここにいることが嬉しくて。とてもじゃないけど赤井さんを責めることはできなかった。

「君には本当に悪いことをしたと思っている」

赤井さんはぽつりぽつりと、これまでの経緯を話し始めた。自分がFBIの捜査官であり、その捜査の中でどうしても死んだことにしなければならなかったこと。その後は"沖矢昴"として、マスクと変声機で変装をして生活していたこと。ごく限られた一部の人しかこのことは知らず、私やジョディさんにも言えなかったそうだ。あまりにも驚愕の事実の連続で、一体どこから突っ込んだらいいのか分からない。

「ジョディにも訳あってこの事を話したが、まさか名前にも話すことになるとはな。……本当は"沖矢昴"としても名前と接触する気はなかったんだが……」

私の目を見て話していた赤井さんが一瞬目を逸らし、少し顔を曇らせたのを私は見逃さなかった。

「じゃあ……どうして……」

あの日昴さんに声をかけられなければ、私たちは知り合うこともなかった。私は昴さんの存在なんて知らないまま、赤井さんがいなくなったという現実から目を背けて、それでも現実を突き付けられて、空虚で希望のない毎日を過ごしていただろう。そこから救ってくれたのは、他でもない昴さんだった。

「……やはり俺には名前を放っておくことができなかった。あの日偶然見かけた君があまりにも別人のようで、どうしても声をかけずにはいられなかった」

あの日赤井さんが見た私は顔に生気が無く、憔悴しきっていたそうだ。そんなひどい顔をして平気で出掛けていたのか、と思い出して自分の女子力の無さに少し頬が熱くなったけれど、そんな私とは対照的に赤井さんは悲痛に歪んだ顔をしている。

「俺が一番守りたいと思っていた名前の笑顔を、自らの手で奪ってしまった。しかし俺はもう死んだ人間、名前の前に姿を現すことはできない。俺が生きていることが知られれば、君にも危害が加わることになるからな。それならば、せめて"沖矢昴"としてでもいい。名前の側にいて、名前の笑顔を取り戻そうと思い名前に近付いた。どうしても名前を失いたくなかったんだ。……だが、それが余計君を苦しめることになるとはな」

何も言わずに赤井さんの話を聞いていると、ようやく全てが分かった気がした。

昴さんに出会ったのは赤井さんが亡くなったって聞いた後。赤井さんに似ているとあんなに何度も思ったのも、昴さんがあれほど赤井さんの代わりにしていいと言ったのも、さっきジョディさんが言っていた言葉も、全て昴さんが赤井さんだったから。

自嘲するように笑う赤井さんは本当に沈痛な面持ちをしていて、赤井さんの気持ちが痛いほど伝わってきた。赤井さんがいなくなって私一人が辛いと思っていたけど、きっと赤井さんは私の何倍もの思いを一人で抱えていたんだ。


それなのに、私は……。


「ごめんなさい……」


自分の無力さに泣けてくる。
知らなかったとはいえ、赤井さんがそんな思いをしているときに私は何もできなかった。赤井さんがこんな大きな決断を下していたことに気付けなかった。

昴さんになってからも私の側にいて、本当に大切にしてくれていたのに、その優しささえ蔑ろにしてしまった。"昴さん"と向き合うことから逃げ、本当はその奥にいた赤井さんまでもきっと苦しめてしまった。

「君が謝る必要はないだろう」
「でも……私……」
「名前が待っていてくれた。それだけで十分だ」

続きの言葉を言う前に赤井さんが口を開いたので、私の後悔が赤井さんに伝わることはなかった。赤井さんが再び私を身体ごと引き寄せ、また赤井さんの腕の中に閉じ込められて身動きがとれなくなる。

「名前の正直な気持ちが聞けるのなら、"沖矢昴"も悪くない。名前が俺のことを、そこまで思っていてくれたとはな」

昴さんの前で何を言ったのか今までのことを思い返してみると、確かに思わず赤面してしまうようなことでも平気で口にしていたような気がする。赤井さん本人にだってなかなか言えなかったのに。
今更になって恥ずかしさが込み上げてきた。


「ずっと俺のことを思っていてくれてありがとう。名前が忘れないでいてくれて嬉しかった」

そんな私に構うことなく、赤井さんは改まった声でそう言った。

その言葉で胸がいっぱいになり、何とも言えない感情が押し寄せ、また頬を濡らした。小刻みに震える肩を掴まれ、軽く引き離し距離を取られると、私の見るに堪えないであろう泣き顔が赤井さんの前に晒される。私の目には困ったように笑う赤井さんが映った。さっきからあまりにも泣いてばかりいる私に呆れているのかもしれない。

私の涙をまた指で拭き取り両手を私の頬に添えながら、今度は真剣な眼差しで見つめられる。

「俺はこれからも名前と共に生きたい。君を手放したくないんだ。だが俺は、外の世界では"沖矢昴"としてしか生きられない。君に負担をかけることも、寂しくさせてしまうようなこともあるだろう。それでも名前は俺と……そして"沖矢昴"と一緒にいてくれるか?」

きっとこれは赤井さんの切なる思い。もう何も知らなかったときの私とは違う。赤井さんと、……昴さんと、一緒にいたい。もう二度とこんな大切な人を失いたくない。

「赤井さん。私、赤井さんのこと本当に大好きです。今でもそれは変わりません。でも、"昴さん"も私にとって大切な人なんです。わがままかもしれないけど私、"昴さん"とも一緒にいたいです……!」

今までなかなか伝えることができなかった赤井さんへの思いとと共に、昴さんとのこれからのことを話す。なんだか二股をかけているような感じがして居たたまれなくなったが、赤井さんがそれを聞いて満足そうに笑みを漏らしたので、私もつられてはにかんだ。

「ああ。あいつも君のことを愛しているからな。だがあいつに会っていいのは、俺が会えないときだけだ。それ以外のときにあいつに会うのは認めない。まぁ、最初から会わせる気もないが」
「ふふっ、もちろんです」

"昴さん"をあいつ呼ばわりして冗談交じりなことを言う赤井さんが可笑しくて、本当に愛しくて、もう一度赤井さんに抱きついた。それを赤井さんも受け入れてくれて、また強く抱きしめられる。そのまま顔を上げると、とても穏やかな表情をしている赤井さんと視線がぶつかった。

そういえば"昴さん"も、同じような目で私のことを見てくれていた。本当に、ずっと私の側にいてくれたんだ。

それに引き寄せられるようにお互いの距離が縮まり、どちらからともなく唇を重ねた。


私は"あなた"に、二度目の恋をした。



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